娼婦と処女のあいだ

web文芸詩『破滅派』はネットに接続する環境がある人なら、誰でも読むことができます。となると当然、誰でもコピーができます。皆さんがもっとも心配しているのは、この点ではないでしょうか。

でも、恐れることはありません。人のものをパクるような奴はおうおうにして才能がなく、大した物は書けないでしょう。そんなまがいものは世界の片隅でひっそりと消費され、姿を消すに決まっています。

その逆に、パクった奴が何かの拍子でお金をもうけたり、有名になったりした場合も心配しないで大丈夫です。ついでに引き上げてもらうぐらいのつもりでいましょう。広告費みたいなものだと思えばよいかと。

端的に言って、自らの著作権というものに対して、我々は「娼婦」のように振舞うべきなのです。正式なやり方で取り上げてくれるなら、誰も拒まない。しかし、あまりにもズーズーしい輩に対しては、それなりに強い態度で臨む必要がありますし、『破滅派』編集部はそのための助力を惜しみません。この件に関しては本体サイト内の「著作権について」を参照してください。

ここで注意しなくてはならないのは、著作権を犯されることよりも、他人の著作権をうっかり犯してしまうことです。

あなたは本を読んだとき、「引用」というものにお目にかかったことがあるでしょうか。論文などでは脚注がつき、hametuha between bitch and virgin 2007、pp1-2という具合に参照が示されるのが普通です。引用のルールは簡単に示すと、以下の通りです。

  1. カッコ、行アキなどで区切り、引用であることを明示する。
  2. 引用元を明らかにする。

正式な引用の具体例としては、『破滅派』002号所収の『国歌の花道』(太郎次郎ゴロー)を見ていただくとわかりやすいかと思われます。一番大事なのは「引用元」を明かすこと。そうしないと、「盗用」ということになってしまいます。

うっかりパクる

が、『国歌の花道』の場合、評論文だから話が早いのであって、うっかりが生じるケースとは、小説・随筆などの場合です。もっとも想定されるのは、登場人物にアフォリズムを語らせる場合ではないでしょうか。

たとえば、「今起きている事件の正しい見方というのは、それが過去になってようやくわかるものだ」という発言を登場人物にさせたい場合、ヘーゲルの言葉を引いて、『ミネルヴァのフクロウは夕闇に飛び立つ』と語らせたとします。こうすることによって、その登場人物が知的であるような印象をもたらすことができるし、また、なんとなくカッコいいです。

こうして引用はしてみたわけですが、筆者はヘーゲルのどの本に書いてあるのかさっぱり忘れてしまったため、引用元を明かせません。

でも問題はありません。その理由は、ヘーゲルの死後50年が経過し、著作権が切れているためです。これは「パブリック・ドメイン」と言います。みんなのもの(パブリック)になったものを利用することはすべての人にあたえられた権利なのですね。

訳者の著作権が残っている場合(日本は50年、各国により違いがあります)は「盗用」になってしまいますが、『ミネルヴァのフクロウは夕闇に飛び立つ』はうろおぼえのため、たぶん大丈夫です。詳しくはベルヌ条約などをごらんください。

なんとも曖昧な言い方ですが、これはすなわち著作権の現状を示しています。皆さんがこれまでに読んだ小説の中できちんとした引用を見たことは少ないのではないでしょうか。引用をしながら巻末に参考文献として挙げていなかったり、引用それ自体がうろ覚えであったり……。

破滅ガイドライン

じゃあ、『破滅派』だってそんな感じでいいじゃないか。

皆さんの中にはそんな暴れん坊将軍もいるかもしれません。ですが、そこは一つ我慢していただきたい。というのも、『破滅派』がいい加減な「引用」で他人の著作権を踏みにじった場合、こちらが同じ目に遭ったときに反論できなくなる(あるいは、反論の説得力がなくなる)恐れがあります。

よって、『破滅派』に参加していただくあなたには、以下のガイドラインの遵守をお願いします。「処女」のように守り抜いてください。

著作権の切れていない作品に関しては、引用元を明示する
どこに書いてあるか忘れた場合、最悪でも書名ぐらいは挙げる。また、翻訳作品は訳者の著作権にも注意する。
歌詞は必要もないのに引用しない
ほとんどの歌詩には権利管理団体があり、とくにJASRACはうるさい。許可を受ければ引用は可能だが、お金をたくさん取られるので、現状では不可能である。
ただし、作品内において引用の要件を満たす限り、特に問題はありません。
ウェブサイトからの引用も著作と同様に扱う
インターネット環境というのは、安易なコピー&ペーストが横行している。あれは単にバレていないだけで、立派な違法行為である。ぜひ注意していただきたい。

以上、差し出がましいようですが、著作権に関する注意事項を説明させていただきました。

なお、筆者の私見ですが、引用はむやみに行わないほうがいいと思います。もちろん、引用を多用したポストモダンな小説もあるにはありますが(大江健三郎 懐かしい年への手紙 講談社文芸文庫 1992)、引用を主軸にすえた作品を書くのは大家になってからの方がいいでしょう。

アマチュアの書くほとんどの引用は「決めゼリフ」として使われます。「決めゼリフ」なら、なおさら自分で考えるべきです。他人の考えた文章を拝借する癖がつくと、自分の筆力が身につきません。言葉とはそもそも借り物ですが、せめて自分なりのアレンジぐらい加えようではありませんか。

前述した三点をしっかりと守れば、あなたも立派な『破滅派』同人です。守るときは娼婦のように、攻めるときは処女のように。二つの顔を使いわけ、人々を魅了する素敵な文芸誌を作ろうではありませんか。

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