花の下で生きると決めた日のことを思い出す。仰ぎ見た空から、彼の好きだった色が降りそそいでいた。
出会いに理由などない。それでも、その日そこにいたことがたしかに人生を変えたのだ。
たとえ身を壊すとしても、それは彼にとってなくては生きられないものなのだろう。
あの日雨が降らなければ、彷徨いこまなければ、今もここで笑っていられたか?
いいや、きっとそんな未来はあり得なかった。何があろうと、お前さんはその小さな手を離すことはなかっただろうから。
降りしきる雨の下で手繰り寄せたその身体の冷たさを、俺はきっと生涯忘れることはできないだろう。
雨の降り止んだ日に、ようやく本当に出会えた気がした。
どうかいつまでもこのままでと願うのは、彼にとって酷なことだろうか。
手の届かないものを数えて暮らすことに慣れてしまった。慣れたと、思い込みたかった。
眩いものすべてから身を遠ざけた。誰もいなくなった暗がりを愛そうとして、結局できなかった。
失いたくない、そんな思いが日増しに募っていく。終わる予感を見なければ、こんな思いには駆られまい。
ここまで来られただけで、きっともう充分すぎるほどに幸せだったのだろう。そう信じることにして、私は大切な世界に別れを告げた。
全てを失っても、貴方は隣に居てくれた。
どこにも行かないでくれと乞い願う。どうかずっとこのままでと望む。残された時間は恐らく僅かなのだろう。
拐ってやりたい。その運命からも、枷のついた身体からも。
望まないと知っていた。拐うかわりに、手のひらを重ねた。
いつの日か、君のいるところに手を伸ばす日がきたら――そのときにはまた、いつかの話の続きをしよう。
春は何度でも巡り来る。それが救いになるのだと、教えてくれたのは先生だった。
春はいつもそこで鳴っていた。さやさやと、さらさらと、遠き日の眼差しを閉じ込めて。
薄暮教室:短編
ただ春を待つことが、こんなにも残酷であろうとは。
薄暮教室:短編
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