日本では、八百万の神がいるらしいが、今回の世界遺産・ナガサキ問題で判るように、潜伏キリシタンの神はいない。
日本ではまた、小説の神と鬼もいるらしいが(宇野浩二の方は愛読してるのだけどねえ)、それも現代では化石状態である。
最近、疎開先で僕より酒徒だった奴が(バカらしい呑み自慢なら、山谷感人のミステリーツアーを梅毒をば)一念発起しオーナー店舗運営を初め(人の生き方とし、それが素敵なのか? は僕には判らないとしても)お手伝いに従軍している。イエス・アライヴ。
そうした中、諸々のジャンルの神とは? と常に思う日々。例えれば、その店舗へ常に訪れて、嫌味を放ちつつも金銭を落とす老婆は商売上、神なのか? ラスコーリニコフな気分になる使っているバイトは、良くやった! と誉めるべき、これまた神なのか?
人間、何を信奉し生きるかで難しいぜ、ベイビー。
閑話休題。
結句。最近、お手伝いの労務でネカフェへ打ち込みに行けず多忙ですが、一部の好事家だけ指示され、おざなりになっておる作品アップは、まあ仕方ない、無理にしても、スマホでどれだけ入力が出来る? をテストしたコメント&安否? であります。
創作の神は別に要らないから、降りて来なくてよい、何故か市民的に多忙から解放される(早くバイト集まれや)神だけが欲しい。後は、センスの勝負だから。
最近、エログロ=破滅派になっているのは、どうかなあ? と思います。
作品で、また糾弾しよう。神よ、堂々とな。アディオス、要は泥酔スマホ・テスト終了だぜ(推敲なしで誤字は赦せ)。