かねてから、行かねばならぬ、と懸案だった、遠藤周作記念館、及び、隠れキリシタンの聖地である、外海地区を訪れました。
 ナガサキ市街地から十里余り、約七十八分程。バス停を降りた当方は驚愕。所謂、何もない……。バス停の前は、軽いドライブ・スルーになっていて、手水や産物店はあるんですが、それと記念館以外は、辺り一面、崖、海のみ。酒徒の因果で、アルコールを求めましたが、無論、そんなモノは無し。それで、産物店の老婆に、「我はガソリンを入れたし」と訊ねたトコロ、崖下に、十五分くらい歩けば、町で唯一の小店があると云う。当方、うむ、と肯いて向かいました。
 然しその行程、まさに屋島かひよどり越え。そりゃおばさん、確かに、確かに直線距離では、十五分かもしれぬ。だがこの山道はなんなの! ちょっと小石に躓いただけでも、海に一直線に落ちて、他界する険しさですし、アーメン。
 遠い昔に訪れた、インドネシアや、タイのパンガン島の山奥より酷い。更に、日中なのに、人っ子一人いないですし。バスの中で夢想していた、清楚な女学生に、「やあ、旅の者です。ところで、矢張り、貴女の先祖も……、隠れなんですか? うんうん、辛かったねぇ」 と言う質問をし、自己満足に陥る感慨も遠くに映る渦潮のように乱れ消えました。
 自称健脚の当方、小一時間ほどかけてその小店についた時、店のマダムから、「まずは、お水あげましょうか?」と笑われたほどに疲労困憊でした。最早、浸りも見栄もへったくれも無い状態。

 然し、遠藤周作が、「神が私の為に残して呉れた美しい風景」と述べた海は、先ほどからで判るでしょうが、完全、絶対的な孤独は感じる事は出来、満喫はしませんが身に染みました。
 その崖下の小店から、今度はアルコール片手なので嬉々として逆方面に山を登り、氏の代表作・沈黙の碑へ。そこに刻まれている台詞。
 「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海が余りにも蒼いのです」
 良いツマミになる言葉ですね。この作品にも書かれてあるとおり、神はなにもして呉れません。だからこその教義なんでしょうね。アーメン。

 最後に、ぜーぜーと這うようにしてバス停に戻り、記念館に入りましたが、そこは一変して俗世界。へんなおばさんが受付に、「私の息子が慶応に行っていて、遠藤君と言う名のクリスチャンと友達になったらしく、もしや、関係ある方かと思って、はるばる市内から来ました」 とした、そんな訳ねえだろ! と、こっちが聞いていて恥ずかしくなる雰囲気に包まれて、当方、ええい! とバックからウォーク・マンを取り出し、大音量でモトリー・クルーの「ガールズ・ガールズ・ガールズ」と、「ドクター・フィールグッド」を掻き鳴らし、どうしても見たかった資料もどこへやら、館内をドチンピラの如く闊歩しました。
 これもまた、当方の永遠なる因果なる哉。ロックン・ロール。アーメン。

 

 感人 拝