破滅派の新刊『ぼくは君がなつかしい ほろほろ落花生全集』を先月上梓したものの、FM福井出演以外は謎に包まれていたほろほろ落花生だったが、文学フリマ東京に参加予定だ。もしタイミングがよければ破滅派のブースう-49、う-50にお越しいただきたい。ほろほろ落花生の書籍を購入済みであればそちらにサインもできるし、ブースで新刊のサイン本をお買い上げいただくこともできるかもしれない。

やや曖昧な言い方になってしまって恐縮だが、『ぼくは君がなつかしい』をお読みになった方ならお分かりの通り、ほろほろ落花生には遁走癖があり、当日になって会場に現れない可能性は低くない。サインを楽しみにしている方はその点、ご了承いただきたい。破滅派のSNSアカウントから当日の状況をお伝えする予定だ。サイン本をゲットできたら激レアになる可能性が確実だ。

破滅派は最新21号「ノワール」を頒布予定。他に大木芙沙子(D-01)、牧野楠葉(S-23)など破滅派同人もブースを出す予定なので、ぜひお立ち寄りいただきたい。

最後に、ほろほろ落花生から「なぜあなたが『ぼくは君がなつかしい ほろほろ落花生全集』を買わなければならないのか」という檄文が届いたので、掲載する。

ほろほろ落花生による広告文・五十条

  • 第一に、わたしを扱っているから。
  • 第二に、あなたは作者を経済的に支援できるから。作者は目下、ⅡL型痔瘻を患い入院予定である。容赦のないノー・マーシー手術を目前に控え、わなないている。直近の一ヵ月における転職後、一週間でメンタルクラッシュと痔瘻コンボにより退職リタイヤ。現在、無職。失業保険は無し。メインバンクのゆうちょ銀行の預金残高は27万円。ビットコインは日本円換算で5600円保有。状況は切迫している。
  • 第三に、価格が低廉であるから。仮にこの書籍が3000円で刊行されたとしよう。3000円。低廉? 悩ましい金額ではある。何に使おう? 現今の標準的相場では課金ガチャ10連が一回につき3000円である。仮にあなたにおいて欲しいキャラクターがいるとしよう。その気持ちは痛いほどに分かる。著者自身が重度のソーシャル・ゲーム依存だから。どうかクリックするかタップするか、懊悩に震える手をしばし休め、一度深呼吸してもらいたい。ディープ・ブレス。落ち着いてほしい。そしてシンプルにリ・シンクしてほしい。「本当に必要か ?」と。人生の再検討は意外にインスタントだ。こう念じてほしい。信じてほしい。錯覚してほしい。このキャラクターに使う10連ガチャの一回分くらいならコレに使ってやってもいいか、と。人生においてウソをウソで上書きすることは意味のある行為である。
  • 第四に、切実なスプラトゥーン・ファンが書いた作品集であるから。スプラトゥーンに一万時間以上費やし、1600というXパワーしか叩き出せなかった人間の苦悩と悲哀、凡夫凡才の通俗的嗟嘆、イカちゃんへの愛を知る同胞はこの書を買う責務がある。
  • 第五に、自己啓発本であるから。自己を啓発する。言葉の内実は深遠な体験ではあるが、ジコケーハツという経済的言語化の下に流布されている現状はあまりにも易きに流れ過ぎている。「人間関係の悩み」等という普遍的主題を抱えながら世を漂流するあなたを木端微塵に爆沈させ再浮上させるだろう。この書は新時代にふさわしい人間魚雷である。
  • 第六に、作者が福井出身であり、かつ作品の大半は福井で書かれたものであるから。これまで福井という土地では究極的な意味で文学は形成されなかった。21世紀にしてようやく、『ほろほろ落花生全集』という水準にまで達することができた。この事実はローカルな場において地道に文学に向かい日々奮闘している方への励みにもなると確信する。田舎に軟禁されているからこそ、普遍的なものが完成できるのだと。
  • 第七に、榎波治樹という、現代最高のデザイナーが装幀を手がけているから。より正確を期して言うならば、彼は元デザイナーであり、現在は宝石商である。私自身は一介の装丁好きとして、装幀技術ルリユールを工房で学んだことがある。こうした嗜好を持つ方は世に少ないかもしれないが、デザイン全般について興味を抱く人は多いだろう。彼の冷徹峻厳な審美眼の下、宝飾品のごとき意匠を凝らし装幀されたこの書に散りばめられた美質をぜひ手にとって味わって頂きたい。美的経験は何物にも替え難い。最近、なにかをとっくりながめて「鑑賞」する時間が減っていたなと気づく方もいるだろう。
  • 第八に、「本棚に飾っておくだけの書」として最適であるから。あなたにも覚えはないだろうか。本の背表紙だけをながめてにやにやした経験が。実はあなたはその本を買ったものの、本棚におさめたまま一度も読んではいない。しかし対価はある。自己満足は十分に得られたのだ。それでいいと思う。私がそうだから。
  • 第九に、ある種の避難所シェルターになり得るから。「もう死んでしまいたい」と思った時に、ちらりとこの本の背表紙に目をむけてもらいたい。するとあなたはこう思う「そういえば世の中にはこんなアホンダラがまだいたんだ。私はなにをやっているんだろうバカらしい」あるいは「こんなに卑劣な人間がのうのうとオヒサマの下に生きていられるのに、苦しんでいる場合じゃない」等。また、あなたは「自分より下の人間がいる」という厳然たる事実に充足と安らぎを得るかもしれない。あるいは「こんなにも愚かな人間は私が救う他ない」と奇特で庇護的な愛にかられる人もいるかもしれない。
  • 第十に、文学であるから。
  • 第十一に、土間に座り込むタイガー・ウッズであるから。
  • 第十二に、BLが軽症的に扱われているから。BLというと、その界隈の怖い方々がとびかかってきそうだが、あなた方の渇きのいくばくかは満たされるだろう。誇大広告のように思われるかもしれないが、収録されたある短編に含まれるBL昏倒率はかなり高い。見識の高い読者においてはこの書が総体として悲愴かつ壮烈なBLであるという事実もまた露わになるだろう。
  • 第十三に、教育書であるから。特に小学生から中学生、高校生におすすめする。事実として著者は地方の公立高校から東京大学に現役で合格している。塾等には全く頼らずに独力で。どうすればこうした学力が形成できるかの秘訣がこの書には実は記されている。その意味では受験を控えたご子息ご息女をお持ちのご両親に対しても推薦できる。教育現場の惨状について、著者自身の実体験を基にした記述があることも研究素材として希少である。
  • 第十四に、男性による性被害にあった当事者が書いたから。近年クロースアップされている問題ではあるが、当事者が生々しい声を文学的に言語化・物語化したという例は聞いたことがない。現在でも苦しんでいる被害者の一助となれば幸甚である。
  • 第十五に、高橋文樹という天才が一手に編集を引き受け、極めて質の高い序文とノンフィクションを寄稿しているから。文筆の才があり、かつ私を知る人間。私を誰よりも知っている人間。彼は飲んだくれて毎晩のように罵詈雑言を吐きちらし書きちらす私を冷静にいなし、この書の編纂を黙々と遂行した。高橋文樹という人間の異常な才気、桁外れの忍耐力と度量にあなたは震えあがるだろう。小説家、家庭人、プログラマー、編集者、経営者、ワンコ愛好家 …… 「マルチタレント」という軽薄な文言はもはや彼に不適切である。天は彼に十五物を与えた。
  • 第十六に、友情の物語であるから。高橋文樹と榎波治樹という両氏がいなければ、この書が日の目をみることはなかった。「最低の人間」を「最低の時期」に見放さず支えてくれる人間はいる。確実にいる。もしあなたが友情について疑念を抱いているなら、この書を手にとってもらいたい。この書の血なまぐさい形成過程について思いをめぐらせて頂きたい。
  • 第十七に、絶縁の物語であるから。「この世界に絶対にゆるせない人間」があなたにいるとしたら、その感覚は正しい。私個人としては三名いるが、そのうちの一人は福井出身のある資本家の息子である。「アンガー・マネジメント」や「マインドフルネス」といったカタカナでごまかしたところで、ろくな結果にはならない。『ほろほろ落花生全集』を購入して読むだけでよい。あるいは、かたな
  • 第十八に、失われた世代ロスト・ジェネレーションを扱っているから。換言すれば、氷河期世代における種々の問題が、骨がらみの当事者により射程広く捕捉されている。確実に衰退しつつある日本で棄民世代が生きていくことがどういうことであるのか。ほろほろ落花生はこの世代における怒りの代弁者たる資質があると自負する。特に失われた世代、いわゆるロスジェネの方々に対して訴求するところ、示唆を与えるところが多いだろう。棄民制度に対して泣き寝入りをゆるしてはならない。この世代に該当しない人々にとっても、多くの発見があるはずだ。
  • 第十九に、病苦を扱っているから。著者は病苦により予定していた人生の航路を大きく修正することを余儀なくされた。それはもはや社会的転落といっても過言ではない。なぜ人は病に苦しみ、どう対峙するのか。なんらかの処方が記されている可能性はある。
  • 第二十に、恋愛を扱っているから。恋愛 ? いまさら何を言い出すんだ ? ハーレクイン・ロマンスから同性愛無理心中まで、幅広くどうぞ。
  • 第二十一に、挿絵を著者自身が手がけているから。
  • 第二十二に、差別と分断を扱っているから。もはや聞き飽きた言葉かもしれない。「差別」や「分断」という言葉を聞き飽きた人にこそ読んでもらいたい。経済上、身体上、国籍上、セクシュアリティー上、世代上…… カテゴリーは多様である。どこに差異の問題がきざしているか、注目してもらいたい。この問題に必ず介在する道徳の扱われ方にも目を凝らして頂きたい。
  • 第二十三に、私はこのような「異形の書」を読んだことがないから。私にとって読書とはひとえに驚きの体験であると置換できる。この書の全貌が次第に明らかになっていくにつれ、愕然としたことを記憶している。「いったいなんなんだこれはワット・ザ・ファック・イズ・ディス?」「もしこの物語があなたを驚かせるとしたら、書いている私自身が驚いたからだ」とフラナリー・オコナーは述べた。私は現在、驚きのあまり逃げてしまいたいと考えている。
  • 第二十四に、貧富を扱っているから。凡庸である、とあなたは言う。確かに。だが、私は実直に繰り返すしかない。経済問題は普遍的なものであるから避けようがない、と。さらに、人は明日からのメシをパスタともやしにする覚悟で、あるいは覚悟すらなくガチャをひいてしまう弱い生き物だから、当然あなたの3000円はこの書に使われなければならない。でないと、あなたは私が本書において糾弾する人間たちから「収奪されっぱなしの人生」を過ごすことになる。啓発的愛情に満ちた同情的威嚇。
  • 第二十五に、本書の形成過程には、日本における商業アダルトゲームの偉大な歴史が関わっているから。『痕』をはじめとして『装甲悪鬼村正』『フラテルニテ』『むすめーかー』等、名を挙げるとキリがないが、先人たちの作品群によって私の文学観がはぐくまれたことは確かである。斜陽と言われて久しい日本の商業アダルトゲーム市場が少しでも賦活されれば、これに勝る喜びはない。
  • 第二十六に、惨劇ミステリーであるから。「多義的に犯人が潜伏し」という記述が本文のある個所にはみられる。では『ほろほろ落花生全集』という総合的推理小説においてはいったい何者が犯人になるのだろうか。この点について著者は昔ながらの優れた警句を引用するほかない。「それは読んでのお楽しみ」と。
  • 第二十七に、精神科医療を扱っているから。これまで膨大な数の書籍が刊行されてきたジャンルではある。だが、精神科医療の治療を受ける患者当事者が現場について「詩の言語」として実況中継的に定着した作品は寡聞にして知らない。好事家こうずかにとっても、また病跡学パソグラフィーに対する専門的関心を寄せている方に対しても、本書は十分な材料を提供することになるだろう。
  • 第二十八に、私の父が題字を手がけているから。
  • 第二十九に、歴史であるから。歴史の醍醐味は縮尺の問題ともいえるかもしれない。あなたに手渡されたルーペはあなた自身のもので自在である。マクロ・ミクロ、社会・個人、ピカチュウ・一揆、基準はなんでもいい。あなたがもっているものからあなた自身が引き出されるのだ。現代の歴史家の言葉がなんの感興もあなたにもたらさないならば、それはかれらの怠慢と無能に過ぎない。本書は個人史としても、社会史としても十全な情報を提供している。
  • 第三十に、師弟を扱っているから。本作の著者は、中地義和というフランス文学研究者から絶大な影響を受けている。過大な例となる危険性はあるが、芥川龍之介は師と慕った漱石について「人格的マグネティズム」と評した。中地先生の人格という無辺、日仏双方に渡る言語能力の精密さについて私が今さら言葉を尽くすことは無益だろう。ただし私はつぎのように述べることができる。「私は中地先生に指導して頂く機会があり、しあわせでした」
  • 第三十一に、詩であるから。詩。ポエム。いまさら、ポエムだと ? ここにはなにかしら人をおびえさせ、あるいは嘲笑をもって憚られるものがある。「敬して遠ざける」以上の何かが。だがその内実はいったい何なのだろう ? パンよりも詩を生存のために優先するということが人間の本質であることを実証した詩人がいたが、実はあなたもそうだったのではないだろうか。実は詩がほしくてたまらなかった……。代用品ではもう満足できないカラダとココロになってしまっていた。あなたの内部でいまだ発現していないものを喚起させることもまた、本書の役割である。この書の中核にはある詩群が据えられているが、全体を詩として俯瞰・鳥瞰するなら別の趣もあるのかもしれない。
  • 第三十二に、抗議プロテストであるから。あらゆるものは異議申し立てからはじまる。抗議の対象はいったい何であるのか。そもそも、私の抗議自体に正当性と価値はあるのか。どうかあなたの目で、手で耳で口で鼻で体液的な実地検証をして頂きたい。
  • 第三十三に、反出生主義アンチナタリズムが扱われているから。この問題について文学的な角度で切り込んだ場合、どういった言語的表出が可能であるかが見いだされる。
  • 第三十四に、ロリコンを対象としているから。日本における「ロリコン」という言葉の重層性について、私は無駄に紙幅を使う必要はないと考える。「ロリ漫画」と呼称される傑出したジャンルが永遠に日陰者のように扱われ、排撃される現今の状態は痔瘻のごとく耐え難い。根治手術が必要である。私の生命線である文体の滋養として、幾度も貴重なヒントを与えて頂いた「もりしげ」をはじめとした偉大な先達に感謝を表したい。
  • 第三十五に、一介のゲーム・ファンの書いた書であるから。古典の巨匠マエストロと同等、あるいはそれ以上に、私は現代のゲーム・クリエイターを尊敬している。特に宮本茂と近藤浩治は20世紀とその後を決定的に変えた天才であると畏敬している。身体感覚をインタラクティブな体験としてソフトウェアに落とし込むその御業みわざは、もう少し学術的研究がなされてもよい。本書にはゲーム好きならクスリと笑える記述が挿入されている。
  • 第三十六に、喫煙者の書いた書であるから。ダメ・電子タバコ・ゼッタイ。私はメビウス6mgロングしか買わない。紙巻きタバコを吸う人間は既に人でなしになったこの「人でなしの世」にいったい何が残っているのか。もはや情もへったくれもないのか、定かではない。たばこ産業をおそるべき公正さ明晰さでもって撲滅した現代への憤激と哀悼、JTへの愛憎がつづられている。喫煙者も非喫煙者も等しくこの書を買わなければならない。
  • 第三十七に、表現を扱っているから。ここで述べる「表現」とは芸術的表現エクスプレッションを指しているわけではない。表現規制という進行中の問題を指す。この書では現代の臨界にまで挑戦した。私個人としては「言葉を刈りとる」ということは、ひとつの生命種を奪うことに等しいと考える。ひとつの生命種はその定めとして、他を捕食するものであるし、捕食の対象にもなる。第三者が介入することは原理的にルール違反だ。
  • 第三十八に、この書によってもたらされる収入が、国民年金のみで老後を暮らし、さらに2000万円貯めておけと国によって恫喝され、おびえている私を少なからず救うかもしれないから。老父母と自身の介護を控え、病気のために正規雇用でのフルタイム労働ができず、かといって、障碍者手帳を取得することもできず、福利厚生のない非正規雇用労働者として働いてきた私はこの先どうすればよいというのか? さらにインボイス制度 ? あなたの怒りの3000円はこの書に投入されるべきである。
  • 第三十九に、果物を扱っているから。「ざくろ」と聞いて何を思い浮かべるだろう。あの赤くって酸っぱいもの? ざくろ石? ロセッティの『プロセルピナ』を想起した方は少なからず絵画的素養がある。文脈と構文シンタックスはなんでもよい。動物界・鉱物界・植物界の古典三界を再び統合する野心が潜んでいることに気づく人もいるだろう。
  • 第四十に、インタビューであるから。インタビューは果たしてインタビューイの「肉声」を本当に伝えているのかという問題は精密に吟味されるべきである。本書に収録されたインタビューから敷衍された論理試行についても精査して頂きたい。
  • 第四十一に、批評クリティックであるから。語源的なポイントにおいて、致命的クリティカルである。優れた文学作品は、それ自体に内部批評が暗に秘められていることが多い。この書は字義通りの批評を含むとともに、他に書かれたテクストに対して乱反射的な批評が形成されるように周到に設計されている。絶望の万華鏡カレイド・スコープ。これは編集人としての高橋文樹の力業ちからわざに負うところ大である。
  • 第四十二に、本が売れることで宝石商榎波治樹よりウォーターメロントルマリンが購入できるから。
  • 第四十三に、著者が暇であるから。閑暇とはさほどバカにできたものでもない。芥川のマッチ箱の比喩のように、取り扱いによってはよろこばしい大惨事にもなり得る。卜部兼行が徒然にあのような卓越した文章を遺せたということは、彼が閑暇というものをわきまえていたからだ。さて、私は無職であまりにも暇なので、ものぐるほしくこのようなふみを書きつけるしかないあやしさである。
  • 第四十四に、友達がいないから。そう、私には友達がいない。第十六条に反していると思われるかもしれないが、の部分は極めて例外的な現象である。基本的にかつ原則的に人間には友達はいない。ただし、本は友達になれる。まるで検定済小学生向け国語教科書から引用したかのような文言だ。だが実に大人に対して言いたい。本は友達になれる。ここに素朴に書いておく。この世界において一人で好きな本を読む以上の喜びはない、と。
  • 第四十五に、童話であるから。ひとはおもしろい話をきくことが好きなのだ。はじまりは実にシンプルでしかない。実意も愛情も無い紆余曲折を経て、遠い祭壇にまつりあげられ誰も接触しなくなってしまった「文学」を私はあなたのところに引き戻してあげたい。極めて高度な技法が駆使されているアルチュール・ランボーの詩群がそのエッセンスを童話、おとぎ話から汲み取っている点はおもしろい。「むかしむかしのことでした」からはじまる、あの高揚の予感は幸福な烙印として我々に刻まれている。
  • 第四十六に、引退したから。何から ?  私はこの書の完成の為に5年かけて愛着と執着を込めつつ膨大な時間を消費したサイゲームズ製作のソーシャル・ゲーム『プリンセスコネクト! Re:Dive!』を引退したのだ。我ながらおそるべき文学的決意表明と言わざるを得ない。人間は文学のためにここまでなにかを犠牲にできるものなのか ? 命にも等しいアカウントを放置してしまうなんて(抹消していない)! 引退して一週間しか経っていない点と、クランメンバーの動向が気になってしかたがない点は人間的宿痾しゅくあである。
  • 第四十七に、呪いであるから。『ジョジョリオン』の作者、荒木飛呂彦氏は冒頭で呪いについて明察的かつ暗示的な説明を与えている。
    呪いとは
    “自分の知らない遠い先祖の犯した罪から続く「穢れ」”
    “坂上田村麻呂が行った蝦夷征伐から続いている「恨み」” 
    “人類が誕生し物事の「白」と「黒」をはっきり区別した時にその間に生まれる「摩擦」”
    この書では呪術の分析にある程度の紙葉を費やした。ここにおいて、呪術を他人事のようにとりあげて分析し、月給を取得しながら平然としている文芸批評家気取りの媚態はとらないよう工夫した。私を含めたあなた自身の呪いが聖化 ・浄化されるかはいまのところ不明である。
  • 第四十八に、暴力を扱っているから。本書では様々な形式の暴力が点描されている。本書それ自体が暴力そのものであるともいえるが、無論、本書を「買わないでいる」というスタンスも暴力の一形態に他ならない。
  • 第四十九に、以降が無限に列挙可能で閣筆せざるを得ないから。
  • 第五十に、あなたを扱っているから。