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  • 高橋文樹 管理者 2013 年 2 月 18 日

    ジャンルというのは言った者勝ちなところがありますので、あとはどのように自称したいかということにつきるかと思います。現在において「詩的な散文」と「散文詩」の違いを明確にすることは難しいですし、そんなことに興味をもっている人もいません。あまり自分をジャンルに当てはめず、「散文を書いてますがそれがなにか?」という程度の気持ちで大きくかまえてはいかがでしょうか。

    余談ですが、個人的な意見として、「散文詩のような物が登場したからこそ詩は求心力を失ってマイナージャンルになってしまった」ように感じます。

    • 渡海 小奈津 投稿者 2013 年 2 月 19 日

      ご意見ありがとうございます。ジャンルに捕らわれず書いたものは書いたものという考え方でしょうか。文学賞への投稿ということを考えるとどうしてもジャンルは何かというところにぶつかっており、書きたいように書くほどに小説から遠ざかっているいるようにも思えたので悩んでおりました。しばらくは自分らしく書くところからやっていきたいと思います。
      また、今回の芥川賞のabさんごを読んで感じたのですが、こういう小説もありかというのが第一印象でした。力がつけば自ずと評価されると信じてみます。
      改めまして、ご意見ありがとうございました。

  • 渡海 小波津 投稿者 2014 年 3 月 30 日

    文体と形式について

    文体について昨年ここに質問したことを思い出し、twitterから引用してきた。

    ここ数日、高橋氏のエッセイの詩の死――形式について考えている。口語体が主流に変わったとき漢文の形式は創作側から遠ざかったのではないだろうか。と考えると今の時勢は書籍体からweb体への移行期なのかもしれないと考えた。web体の普及は2分されていると感じる。(続く)

    (続き)1つはメールやtwitterをはじめとした短文だ。これは記号化の方向へ進んでいるようだ。他方は携帯小説、web小説創作の大衆化による長文だ。そして氏の言葉を借りるならば、これらはコンテキスト性が強い。では、今までの文はどうだろうかということだ。(続く2)

    (続き2)書籍もコンテキスト性をもつ。が、プロならある程度は自らが書きたいものを書ける土壌ができているだろう。この書きたいものを書けるは、webやメールとは違う。内容ではなく文体、形式においてという点だ。これを書籍体としての純文体、web体としての大衆体というものを提唱する。(了

    上の文はtwitter2014.3.30に投稿した文です。

    ちなみに残念ながら氏にフォローされていないため、この文は電子の波を漂っています。
    読まれないことがwebならではかと思ったけれど、一般の本屋には並ばない書籍が幾冊あることかと思い直した。
    しかし読まれることは明らかにコンテキスト性を持つのでしょう。

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