大都会東京へ出てきてから早くも数ヶ月が経ち、都会の荒波に揉まれて見た目も心も程よく荒んできた頃合いだが、どうしても納得出来ないことが1つだけ存在する。それはこのねっとりとした暑さだ。勿論覚悟が無かった訳ではない。本州の天候が余り優しくないものであることは、ある程度予測していた。とはいえ、北海道も一歩間違えればロシア領になっていたかもしれない危険な場所である。スノーデザートのオアシスたる札幌を囲う鉄柵の外に一歩出ればヒグマがうようよしているし、港町に住む子どもたちは流氷の上に置き去りにされ1晩を明かすことが出来て初めて一人前と認められる。そんな雪と氷の大帝国に住んでいた私は、別の国へ移住するような心持ちで、何を見てもカルチャーショックを受けまいと強く心に決めて上京してきたのだ。

更に言えば梅雨処女であった私は、この6月に晴れて処女を捨て立派な雨女へと成長した。長靴と傘にその日1日の平穏を預けることを覚えた。寧ろこれぞ都会の暮らしぶりだと喜びもしたものである。だがよく考えれば梅雨のある本州にも田舎は存在し、その代表例である北関東などは×××であるので××××もあながち×××××とはいえない。しかしそれにしたところで、本州のこの暑さはやはり少々配慮に欠けているのではないだろうか。時代は「誰にでも優しい社会」だ。ユニバーサルデザイン然り、馬鹿向けのクイズ番組然り。にも関わらず、この暑さだけは看過され、誰も対処しようとしない。

御存知の通り、北海道民の多くは幼い頃に凍傷により体の一部を欠損させている。だが、オーロラとクリオネ、知床半島でのみ産出される特殊なじゃがいもを解析することによって得られた技術により、失った場所に氷を埋め込み、意思の力を用い光の早さで溶かしては再び凍らせることで失った部位の代用として稼働させ、日常生活を滞り無く送っているのである。氷なだけに。

これらの氷は本人の体と完全に融合しており、素人が見ただけでは接合部を確認することさえ不可能だ。だが、氷である以上、融点が低いという致命的な欠陥から逃れることは出来ない。

様々な研究を重ね、最新技術でコーティングした氷であろうと、外気温が30℃を超えた時点で溶け出してしまうことは最早常識だ。北海道民のほとんどが30℃を超えれば行動不能に陥ることを理解していながら、本州は未だに涼しい顔で我々に直射日光を当て続けている。右半身を氷によって動かしている、典型的な道産子の私としては苦言を呈さずにはいられない。

近年では群馬帝国との交流も盛んになり、互いの文化を尊重しあう姿勢を見せることで侵攻を防ごうとする親群論も提唱されている。是非本州における暑さの緩和と、我々北海道民への配慮を期待したい。

 

 

糞暑い。