私の家は世田谷の一等地の近くにあります。親の買ったマンションですが、立派です。オートロックもあるし、自転車置き場に行くにも、鍵で開閉しないといけません。隣の部屋の音なんて聞こえない。優雅な生活。

のはずが、聞いてしまったのです。それはとある土曜日、私は自分の部屋で大岡昇平の『花影』を読んでいたのですが、悲鳴と吐息の中間に属する声でした。

私はどちらかと言ったら、笑い声も喘ぎ声と勘違いする程、色事に興味があるので、またいつもの妄想が始まったかと思って、本の続きを読んでいました。

でも続いて聞こえたのは、間違えるはずもない色事最中の女の声です。もう本など読んでいられないと、ドアを開けて、階段を降りて、部屋を探しに行きましたさ。だってこんな壁の厚いマンションで、聞こえる声とは一体どれほどの爆音か。

ありました。二階の一室からそれは聞こえてきました。それにしても獣。

獣のような声で叫ぶ女の人はきっと窓を開けっ放しにしていることを忘れている。。

木造のアパートに住んでいる時は、顔も知らない人なのに喘ぎ声だけは知っているなんて状況を楽しんでいたけれど、ここは高級住宅街。なんだか狭い空間で懸命なその名前も知らぬ女の人の姿は知らないし、これからも見たくないなぁと思ってしまいました。

「秘すれば花 、秘すれば花」とうわ言のように呟きながら、部屋へ戻り、読書を再開。

悪いのは彼女やそれを聞いて部屋まで聞きに行った私ではなく、住宅事情のせいです。

お金持ちになったら、自分の部屋以外、上下左右の部屋も一緒に買ってやろうと決意も固い潮でした。