昨年の12月。

破滅派03号を購入し、創刊号・02号と共に、母が勤める病院に寄付した。最近まで反響はなかった。入院患者のほとんどは視力も悪く体を起こすことすら大変なおじいちゃんおばあちゃんたちばかりなので、これから先も、あの怪しげな名前の雑誌は開かれることもなく、待合室に置かれ続ける運命なのかもしれないと思っていた。

だが、先月から母が押しのセールスを展開し、その強引な努力が結実したのか、お見舞いに来る家族の方が借りて帰ったり、同僚のナースの間で破滅派が出回り始めたり、それどころか読みたいという入院患者まで現れて雑誌の中の小説の拡大コピーを依頼される…ということもあったらしい。

紙の破滅派を寄付したのと同じ12月。

webの破滅派19号に載せていただいた短編『無創の英雄』の朗読CDを自作し、クリスマス会という、どうしようもないくらい寂しい催しのタイミングで寄付した。当初、日に3人くらいが1時間超の朗読を熱心に聞いていたらしく、そこそこに好評だった。それでもさすがに刺激に乏しい患者たちでも、3回も聞けば飽きてくるのか、今月に入ってからはある一人の患者を除いて、再生されることはなかったらしい。

その患者は痴呆の症状が進んでいて、1日以上の記憶が持たない。したがって昨日聞いた朗読の内容は忘れているので、ほぼ毎日、母に連れ出されて、同じ物語を流され続ける。CDを聞き終えると決まってその患者は楽しそうに語るのだ。「…こんなに面白いものがあるなんて、知らなかった」

この病院はどこか波長が合うのかもしれない。ほぼすべての患者の退院を、『死亡』と=(イコール)で結びつけることの出来る終末的な病院。破滅派と違うのは、もう前には進めない、ということくらい。