『ポックリ横丁にて』
真夜中の表通り。
停車しているタクシーの、ヘッドライト・リバーの流れを抜けて、細い裏道を右へ左へと。途端に暗闇の中に陥るから、まさに迷路状態、目印として、曲がり角には児童公園、無人交番、福祉センター、墓地。えてして、一般論で不健全な界隈は、こうしたトコロにあるものだ。
やがて辿り着いた、旧青線街、俗称ポックリ横丁。入り口にある電信柱には、時代遅れの反天皇制を訴えているビラが、数ヶ月に一度、更新されながら貼られていて、ぼくはこれといった仔細はないけれども、それを必ず確認してやる事を、通行儀礼としている。そうしてから、数人の転がっている泥酔者を、起こさないよ う避けながら中へと入る。
所謂、現代の落ち武者、つまりはぼくのような人種の為に存在している、ポックリ横丁名物、深夜零時から営業の下等飲み屋。周囲から言わせれば、憐れにもまだ、こんな場所にも幻想を抱いているのか、ただ単に、こんな場所にでもしがみついていたいのか。そりゃあ、部屋から約二里の道程を、夢遊病者の如くふらつき 訪れて、暖簾をくぐる時に生じる感慨は、多少なりとも愛憎入り乱れ、またそれが実に月並みで、判り易く、我ながら、無惨にも感じる。然し、この道に関しては、外野は、ただボールを待っとけば良い。
時刻は午前二時になる数分前。店内は、よく見る顔が、よく見る仕種、よく見る雰囲気で、アルコールをチビリチビリと舐めていた。
ぼくにしろ、先客の常連の彼等にしろ、おし、ではないのだから、注文等で言葉を発するが、皆、ここでは一人黙々と飲む。それぞれ、頭では無理矢理、冷静な心算の自身を拵えて、所詮はフリだろうが、思い悩んでみせる事を、結局は一番のオツマミとしているからだろう。卑下しながらも、年代モノの紆余曲折を経た風 味。それ故、この界隈では、自棄酒に至る者は少ない。そんな、勿体ない事は余りしない。万一、酩酊したら、路上で倒れ回復を待つか、どうにかして帰路につく。まあ稀に、そのままポックリ逝った人のハナシも聞くが。
ポックリ横丁では、誰も店内で会話などしなくても、会計を終え、暖簾を逆にくぐり、世俗へと戻る時、ルールではないが、残っている他の客に、一言かける台詞がある。
「それでは、また逢えた時に」
ここでの、その意味は重い。ぼくは、それをサラリと述べる、彼等の儚さの側にいたいと思う。
この日(前日だが)、ぼくは閉店の朝六時、ギリギリまで一人長居して、七人の同種にそう挨拶された。流石に四時間近くアルコールを呷り千鳥足。電車に乗ろうとポックリ横丁から最寄駅の、早くも通勤、通学等で混雑しつつある秋葉原のホームにて、ぼくは数年来穿きっぱなしの、ベルボトムの裾の広がりを中学生に誇 示し、当然の如く、鉄道警察隊に職務質問されたのは余談。
それでは、また逢えた時に。
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