『オフライン・ナガサキ 四ノ二』

 
 
 往時、ぼくとクロネコは、大阪府北区、モーテル街と造幣局、桜の通り抜けで有名な、天満の狭いアパートにて共同生活をしていた。それまで、門真市、藤井寺市、鶴橋などをアルバイトで日銭を稼ぎながら、どうにか塒を確保しつつ二人で転々として来たが、ナガサキの実家を除きそこがアイツの、最後に残像を植え付け た部屋となった。
 この界隈でも、まだ多少は冗談になる乱擾だけで例を挙げれば、深夜に泥酔の果てストリーキングを敢行し、巡査や侠道のお方に追われたり、なけなしの紙幣で女性が給仕する飲み屋を訪れては、彼女等が何を話し掛けてきても黙々と持参の小説を読み、狼狽しているのを薄ら笑い、帰りには熊公八公を捕まえて人生を語ら せたりと、無意味なるふざけた行為を演っていたが、日に日にクロネコの傍若無人ぶりは、世間から見れば同類のぼくですら、手に余るようになってきた。まず、飲酒量が尋常ではなくなった。そうした中での他界発言であった。
 当然、水道を捻ればアルコールが流れ出す筈もなく、ましてや家賃、交通費、最低限でも食費などで金銭は必要だ。クロネコは、場末の非合法、ぼったくりバーで働き始めた。何故なら、どんなに酔って勤務先に行っても、そんなトコロで働こうとする者は皆無で、遅刻、当日欠勤が特に目立たない限り、馘になる事はない からである。しかも拘束時間は長いが単調な内容での日払い制度、飲めぬ日は訪れない。アイツは毎夜、帰宅するなり、「惰性、惰性、酒、酒」と、奇妙な旋律で唄った。繰り返される目覚めて束の間の、素面での果てのない空虚感と、暗闇の中、開き直った当てのない暴走とのリバウンド、メランコリックなる日々。
 「お骨(痩身の故、アイツが名付けたぼくの渾名)、今からおいの名はクロネコばい。木口耕介(アイツの本名)は死んじゃった。そうしてクロネコも、直ぐに旅立つけん」
 「あ、うん……、ほうか、へえ」
 その日、アイツが失禁した蒲団に閉口していたから、ぼくは軽く流した。結果論で言えばアイツは、天性とも感じられる、お真似やお浸りではない破滅を提示したのだが、その台詞から二年半は生きた。ぼくは同居人として、幼馴染みとして、或る意味で共犯者として、アイツがいなくなる事など考えもしなかったが、享年 二十三歳が二十四歳へ、二十四歳が二十五歳へと、予告の寿命が延びる度に第三者の仲間は、万年仙人とすら名付けた。コントロールを失っていたアイツの自尊心は、この命名に耐えられず、益々もっての狂気の飲酒、歯軋りを従えた数時間の睡眠の中以外は、常にポケットにはワンカップ、それを空気として浴びていた。ぼくもぼ くで量は違えど、アルコールを控える日はなかったから、いつもそんな有様を見送って、はたまた共に武錬り歩き、やがてアイツが路上で倒れ即入院、ナガサキに強制送還されるまで、言わば惨めにも半端な付き人、死出の太鼓持ちのような役割であった。
 
 
                   近日中、四ノ三へ
 
 
 
 
 
 
 


Easy + Joy + Powerful = Yahoo! Bookmarks x Toolbar
山谷感人が0:41に投稿しました。 | 0件のコメント | この投稿へのリンク 読む

過去の記事

自分の写真
名前: 山谷感人
場所: 台東区日本堤、つまり山谷, 東京都, Japan

例えば、全てに自暴自棄になり、不吉な旅に出ようと思った時なぞ、少し立ち止まって「破滅派」を読んで見てください。その中のどこかに、あなたの新たな道が示された文章が載っているかもしれません。

RSS-Feed