山谷感人先生と行く 望郷ミステリーツアー 山谷編 後編
4・プレゼント

菜の花
けっきょく怖くて食べませんでした。
だって、犬のションベンとかかかってそうなんだもの。

 酔っ払って気分のよくなった兄ィは、ずいぶん気前が良くなっていた。
「おう、そうだ、兄ちゃん、おめえ、菜の花の食い方しってっか?」
  ――茹でて食えばいいんじゃないですか?
「おう、じゃあよ、俺がパクってきたやつがそこに植えてあっから、食おう」
  兄ィが指した先には、路傍の花壇があり、ほんとに菜の花が植えられていた。これ、食えるのかしら?

おみやげ
乾パンはかすかにゴマの風味がしました。


「あとよ、乾パンも食えよ。福祉センターで貰ってきたから。あと石鹸も。そだ、これ使うか?」
  どんどんプレゼントをくれる兄ィが最後に出したのは、ラジオ。『壊れかけのラジオ』というか、壊れてんじゃねえの、コレ?
「拾ってきたんだよ。ドロ市(早朝に開かれるドロボウ市場)で売れっかなって。使えねえか?」
  ――どうでしょう、売れはしないと思いますけど。
「じゃあ、持ってけよ」

  固辞しようとした皇子だが、それを見て「ありがとうございます!」と素早く受け取った感人先生の優しさには恐れ入ってしまった。う〜ん、さすが感人先生、だてに「山谷を名乗る」わけじゃない。この街の仁義について、よくわかってらっしゃる。

 お土産を勧める手も止まり、宴もたけなわといったところ、兄ィはぽつりと呟いた。
「最近は不景気だからな。置いてくもんも置いてかねえ」
「あ、最近は来ないんですか、若い衆」
  感人先生がすかさずツッコんだのは、兄ィのところに挨拶に来るという若きマジ悪オヤジのことだった。なんでも、まだ兄ィが現役の警察官だったときに面倒を見てやったというのだが、最近では現金を置いていかなくなったという。真偽のほどをこっそり感人先生に尋ねると、先生は小さな声で囁いた。
「以前、黒塗りの車がここに駐まるのを見たことあるけど、どうだろうね」
  なるほど、そういうこともあるのかもしれない。ただ、この街では物々交換が主流だそうで、そうそう現金が得られるはずもない。原始的な経済が支配してるのだ。
「よう、おまえらもどうせ持っちゃいねえんだろうけどよ、あるぐらい置いてってくれねえか?」
  兄ィは思いを搾り出すように呟いた。路上の宴が残していた楽しさの余韻は、急に冷え切ってしまった。
「千円ぐらいでいいんだよ。あるんならよ」
  皇子は財布を見たが、700円しか入っていない。感人先生の財布には万券しかなかった。その万券は感人先生の今月の生活費である。

感動のお別れ
感動のシーン。
ちなみに、感人先生は酔っ払うと
「俺は昔FBIで働いていた」とのたまいます。
「すみません、兄ィ、これしかなくて」
  感人先生は持っていた小銭を差し出した。わずか166円。皇子も500円玉を兄ィの手の平に載せた。
「おう、ありがとな」
  言葉とは裏腹に、兄ィの顔は堅く暗かった。その顔に積み重ねた汚れの中にゆっくりと沈んでいくようだ。
「兄ィ、それじゃ、また。今度は去年のクリスマス・イヴの時みたいに、一緒に缶ビールを鼻から飲みましょう!」
  感人先生はそういうと、兄ィに抱きついた。兄ィの顔はかすかにほころびを見せた。



5・SHUTTERD

 

庇の上のポン酒
なぜここに? 
考えるほど興味深い。

「最後に見せたいところがあるから、そこへ行こうか」

炊き出しのお知らせ
前掲の『山谷ブルース』によると、
支援活動をする宗教団体はキリスト教系だけ
との指摘が。
たしかに。神道は期待できないが、
仏教ガンバレ。


  心なしか肩を落とし、感人先生は歩き出した。竹刀をひきずりながら、いかにも寂しそうだ。この街にある付き合いは、普通とは違う。朴訥として率直でいながら、誰もが人にいえない思いを抱えている。それがぽろりとこぼれたとき、もうそれまでの粗朴さを保っていることは難しい。先生は背中でそう語っていた。
  再び吉野通りを横切り、いろは商店街の近くへ。先生は少し明るい顔になっている。
「ほら、皇子、見てごらん。ヤンチャした奴がいるぞ」
  先生の指した先には、空になった一升パックが。なんでひさしの上に乗っているんだろうか。と、この近辺には少し人気が多いことに気付いた。早朝には日雇い仕事を求める人々が闊歩しているが、昼間はあまり人気がないのが普段の「ヤマ」だ。教会には「炊き出し」を知らせるビラがあるけれど、その時間ではない。


  ――この先になにがあるんですか?
福祉センター
写真が黄色いのは、喫煙室の窓越しに撮ったから。
うまい具合に個人が特定できなくなっております。
「福祉センターがあるんだ。そこがかなりアツいから、ちょっと寄ってこう」
  先生に導かれるまま、福祉センターとやらの中へ。薄暗い階段に光る蛍光灯が、窓一つない建物の中を照らしている。
  ――地下賭博でもやってそうですね。映画に出てきそうだ。
「やってる奴もいるよ」
  ――え? やってるの?
「将棋とか囲碁だけどね」
 

マジかいな、と訝りながら奥へ行くと、建物の薄暗い印象は一変した。地下2階には「娯楽室」と書かれた小さな体育館ほどの部屋があり、そこでは男たちがひしめいている。部屋の中央にはベンチが何列も並べられ、テレビを眺める人々で占められている。部屋の右側にはずらりと小机が並べられ、向かい合った人々が将棋や碁に興じている。ほんとうにこれだけの人数が賭けに興じているのだろうか。
「全部が全部じゃないがね。やっている奴となんどか対戦申し込んだことあるけど、彼らは普段から身銭賭けているし、滅茶苦茶に強い」
  なるほど。喫煙室から眺めると、真剣そうに打っている面々が。



 しかしなんというか、アジアな雰囲気につつまれている。貧しいながらも熱気に満ち、雑多な賑わいが居心地いい。隣では、アブレの男たちがお互いを「豊臣秀吉」「織田信長」と呼び合っている。
「ちょっと雑誌貰ってこう。いいのがあるから」
  感人先生はシケモクだらけの灰皿に煙草を捨てると、受付窓口に歩き出した。スポーツ新聞がタダで読めるようになっている。雑誌というのだから『アサヒ芸能』かなにかと思ったが、そうではないらしい。受付のお兄さんに頼んで出してもらったのは、手作り感満載の小冊子『なかま』である。
「これね、この街に住む人が寄稿している文芸誌」
  なんと、我々と同じようなことをこの街の人々もしている! パラパラと中を眺めると、彼らの日常をユーモアでつづった作品が、短歌、エッセー、小説と形式を問わずに集められている。なかなかのクオリティ。なにより魂がこもっている。こりゃ、我々もうかうかしていられないな。ちなみにここでPDF版が読めます。
立ちションベンの街
かっこつける先生。
ちなみにうしろの板がベコベコなのは、
みんなが立ちションベンしすぎるから。

 娯楽室を後にすると、感人先生は福祉センターの塀に寄りかかった。
「皇子、ここ見てごらん。何年、何十年もここらにいた奴らの立ち小便で、ベコベコになっているだろ? 『ヤマ』に歴史ありだ」
  ――でも、思ったんですけど、外人も多いですね。
「まず、もう『ヤマ』で拾える仕事が少ないから、この街の高齢化は如実な問題なんだよ。

彼らには今更他に行く場所もないし、若者はよりつかないしでさ。そこで宿屋側にすれば、このままでは経営が成り立たないとの事で、多少これまでよりは料金を高くしても部屋を小綺麗に改装し、出張のサラリーマンや、外国人の観光客向けの格安ホテルの街として売りだしているんだ。ほら、愚僧も皇子も何カ国か世界を廻って判るけど、日本っていかんせん『寝るだけの場所』が高いでしょ? いい発想だとは思うんだけど、それで益々、昔からの住人は暮らしにくくなって肩で息をする。そうやって結果として、この街のゾクゾク感は消えていってるのさ。少し前までは、子供、処女、常識人は歩くなといわれていたのに、今じゃ普通に闊歩している。それが良いか悪いかは、敢えていわないけどね」

 

ガイジンと一緒
ガイジンと
こころよく撮影に応じてくれた方々。
これからコンサートに行くそうな。

 と、南千住の駅へ向っていると、ちょうどそこへ来た外国の方々。これからコンサートに行くという。ついでに先生とパチリ。
  にこやかだった先生がぽつりと呟いたのが、「変わっていくものは、残されているものの事は、何も考えないんだろうな。女みたいに」の一言。
  先生の目にはきらりと光るものがあった。いつもダメっぷりをさらしつづけている先生だが、たぶん、この街についてすべてを語ったわけではないだろう。いつか、先生はその涙の意味について書くかもしれない。いつになるかはわからないけれど。
「でも、私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」

 ――先生それ、そのまま太宰治『津軽』の締め部分じゃないですか! 流石にオイタが過ぎますぞ!
「エヘヘ。さあ、ラジオでも聞きながら飲みに行こうっと! 皇子、またな! 汚れちまった悲しみに」
  ――次は中原中也状態ですか! まあ、本気で死にそうな時は連絡くださいね! んじゃ。
  ちなみに、感人先生は携帯電話を持っていない。精神的にヤバいときは、漫画喫茶から大量のeメールを送ってくるのみである。で、感人先生への苦情、遺言らは直接こちらへ!

  さて、感人先生をガイドにしたミステリーツアーも終わりを迎えようとしている。皇子ごときがこの街に関して感想を述べるのはおこがましい。ここは山本周五郎の言葉を引用しよう。


そしてまた、これらの人たちは過去のものであるが、現在もなお、読者のすぐ身ぢかにあって、同じような失意や絶望、悲しみや諦めに日を送っている人たちがある、ということを訴えたいのである。
『季節のない街』(新潮文庫、1970年、421頁)
泪橋でおわかれ
さようなら、感人先生。
早くお仕事見つかるといいですね。

 行くも涙、戻るも涙の泪橋。人はなにを思いながら、この街へ来て、去って行くのだろうか。
――了

(文・写真 紙上大兄皇子)





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