梶原一騎はかつて高森朝雄のペンネームでこう書いている。
東京...... 東洋の大都会といわれるマンモス都市東京―― そのはなやかな東京の かたすみに―― ある...... ほんのかたすみに...... 道ばたのほこりっぽいふきだまりのような あるいは川の流れがよどんで岸のくぼみに群れあつまる色あせた流木やごみくずのような そんな街があるのをみなさんはごぞんじだろうか――? この物語は そんな街の一角からはじまる...... ちばてつや画・高森朝雄作『あしたのジョー@』(講談社漫画文庫、2000年、5〜7頁)
名高い名作の冒頭部である。力石徹や、カーロス・リベラや、ホセ・メンドーサや......数々の強豪と死闘を繰り広げることになる矢吹丈の物語は、東京のスラムから始まる。
時代はくだって現在、いっこうに世界的な死闘を繰り広げる予感のない山谷感人先生もまた、矢吹丈と同じ街で一時期を過ごしている。もう地図に名前の載ることがない街山谷、通称「ヤマ」である。 「ぼくらはもう、プチブルジョア連中の悲哀には、そろそろ厭きているのではないか?
どうも、愚僧こと感人です。『ヤマ』には自業自得なれども、皆さんとは労苦の重量が違う人々が多数生活しています。また、それ故のユーモアで溢れてもいます。このコーナーでは写真を交えながら、愚僧と皇子氏と少しでもそれを紹介できればと思う所存です。ようこそ、ミステリーツアーへ! 健全以外は保障します」
なんとも楽しみなコメントじゃあありませんか。ひとまず感人先生と地下鉄日比谷線の南千住駅で待ち合わせ。先生は白昼堂々、フリンジつきの革ジャンに竹刀といういでたちで壁に寄りかかっていた。
――そんな格好でウロついて大丈夫ですか?
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地蔵といっしょ
先生が肩にかけているのは、竹刀。 |
「平気だって。これぐらいの方が、逆にこの界隈じゃ浮いてないし! ではとりあえず『延命寺』行こう!」
そういって軽快に歩き出す感人先生。なんでも、このあたりは江戸時代、「小塚原刑場」と呼ばれたそうで、何十万人もの罪人が打ち首にあったとか。南千住駅前の商店街が「コツ通り」というのも嘘ではなく、いまでも道路工事をすると人骨が出たりするらしい。と、さっそく怪しい看板が!
いきなりのディープな雰囲気に飲まれつつある皇子。しかし、感人先生は首切り地蔵の 前でポーズを取ると、意気揚々。すれ違う人々を睥睨しながら歩き出した。
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aby road
颯爽と渡る感人先生。
ちなみに先生は右奥に見える
チャイナパブでボラれたことがある。 |
さて、荒川区と台東区の境目にあるのは「泪橋交差点」である。これを渡れば、現在は「日本堤」と呼ばれている町、「ヤマ」に入る。その交差点をビートルズ気取って渡りつつ、先生は街の成り立ちを教えてくれた。 「大阪の釜ヶ崎と飛田新地の関係とかもそうだけど、ここは吉原と近いでしょ。色町で裏稼業を生業とした男女が街を作ったようなもんだよ」
なるほど。そういえば、谷のつく地名はもともと貧民街が形成されやすい。貧乏人は水の溜まりやすい低地へ、お金持ちは快適な高地へというわけだ。いまでこそ都会だが、四谷や渋谷もそうだった。四谷は地下鉄丸の内線が地上に出るし、渋谷のスクランブル交差点は大雨のとき冠水する。ひるがえって、セレブが住む街には高地を示す文字がつく(青山・代官山・白金台etc)。 「治安も一般論じゃ悪いからね。ほら、あそこに交番あるでしょ? 人口1万人ぐらいの街で、こんだけ大きい交番もあまりないでしょ」
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マンモス交番
警官に叱られる先生。
「写真撮りたきゃ広報を通せ!」
とお叱りを受けました。 |
泪橋交差点を渡って右手に見えてきたのは、通称「マンモス交番」。3階建ての立派な建物である。と、感人先生は急に走り出し、「写真だ写真!」とポーズを取った。竹刀を構え、交番の前でカブく先生! すわシャッターチャンス......と携帯を取り出したものの、直ぐに先生がおまわりさんに取り押さえられてしまった。
なんか言い争っている。戻ってきた先生は一言。 「今見てたかい? 愚僧のこと押すフリしながら、つねってたでしょ! プチ権力者ってホント陰険で、いじらしいな!」
――すみません、その瞬間はちょっと、カメラの起動が間に合わなくって......。 「なんだ! まったくしょーがねえな。んじゃ、寿司でも喰らうか!」
そういって感人先生は、目の前にある寿司屋へと歩き出した。
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寿司屋
ちなみに、この左手では
競輪のノミ行為(らしきもの)が
行われていました…… |
先生が飛び込んだのはマンモス交番の向かい、道端に面したカウンター式の寿司屋である。店は二坪ぐらいで、道路の上に椅子が3脚出してあるだけ。値段は一貫60円から。安い回転寿司と同じぐらいだろうか。真性アル中の先生は、とりあえずビールを頼んでグビリ。ちなみに、時間は10:00AMです。
気さくなマスターと話し合っていると、となりでは五人ぐらいのオジサンが車座になり、なにやら相談中。ナニ話してんだ、と聞き耳を立てると、とつぜん現金がポンと飛び交った。店内のテレビでは、川崎の競輪を放送中。これはもしや......ノミ行為? 「まあ、たぶんそうだろうけど、あんまり追求するのは野暮ってもんさ! 写真撮ったらいこうや!」
恐る恐るカメラを構える皇子。というのも、この取材にあたって読んでおいた『山谷ブルース』(エドワード・ファウラー著・川島めぐみ訳、新潮OH!文庫、2002年)によると、著者は「ヤマの人」を撮ろうとして殴られたとか。マジ悪オヤジ(ヤ○ザ)も多く闊歩しているという。恐る恐るカメラを構えるが、お咎めなし。ほっとして先生の後を追う。
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大林
足をかけているのは、取材を断られた
腹いせではありません。
先生おきまりのポーズです。 |
ふたたび同じ通りに出ると、先生は「はい、そこ見て!」と指さした。右手には「大林」の看板が。先生いわく、とても洒落た庭がついていて、檀一雄が自身考案と言い張っていた「焼酎ミルク割り」や、まさに旧世代の匂いプンプンの「カストリ焼酎」などのレアなメニューが揃っているとか。それなら開店まで待って取材を試みようと提案すると、先生は残念そうにかぶりを振った。 「確かに、暖簾をくぐって直ぐに掲げてある、『ヤマありタニあり酒がある』の色紙とかも見せたかったけど、この前飲んだとき店のおやじが、ここは労働者の隠れ家だから、中の写真とかは勘弁しろって、ゆずらなくてねえ」
それなら仕方がない。なんといってもデリケートな街。そっとしておいてほしい人もいるだろう。
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パレスハウス
東京でもっとも安い宿の一つ。
ちなみに隣の建物の窓が目張りされているのは、
侵入者を防ぐためだとか。 |
ところで、感人先生は一時期、この街のどこに住んでいたのか? そう尋ねると、先生は「アレさ」と道路の向かいを指さした。ビルの外壁には大きく「パレスハウス」の文字。相部屋なら一泊800円から。なんでこんなに安いの? 「ヤマは『ドヤ街』なんて言われてるでしょ? あれはね、宿をひっくり返したんだよ。ここは日雇い労働者の集う街だから、そういう安宿がたくさんあるのさ。あ、ほら、あっちにも」
ちょ......ちょっと。駆け出した先生についていくと、すでにポージング完了。ツタの絡まり具合も粋な宿屋の前でパチリ。
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いなりや
この店構えでは、
たいていの人間がビビってしまうが…… |
――ところで、ここでの日雇い労働って具体的にどんな感じですか?
「15年ぐらい前までは手配師と呼ばれる、仕事を斡旋する人々が早朝に多数路上にいたらしいけど、今はほとんど見ないね。ほら、現代じゃ普通の人材派遣の肉体労働会社が跋扈しているでしょ? ここらで見つかるのはもう、伝手がなければホントに危険作業か、遠方に行っての長期契約タコ部屋のどちらかだろうね。勿論、余計な詮索はされない分、貰えるものは格安での」
うーむ、なるほど。この街で「普通に暮らす」ってのも大変なんですね。
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いろは通り
夜になると、この両脇に布団がズラリ。
放置自転車がメチャクチャ多いのも特徴。 |
「ちなみに、あっちには商店街があって、買い物はそこで」
先生について行くと、アーケードが見えた。両側には自転車がずらりと並び、その隙間にプロレタリアートたちが座り込んで宴会をしている。先生の言によれば、殆どがその日の仕事にアブれた人たちだそうな。夜になると、ドヤに泊まれない人々が集まり、ずらりと布団を並べて眠る。
――でも、なかなか仕事にありつけない人は、どうやって過ごしているんですか? 「んじゃ、実際に話を聞いてみるかい? 愚僧のダチがいるから」
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玉姫公園
これはほんと一角。
児童が遊ぶスペースは、
奥にあるフェンスの向こう側。 |
さて、感人先生は小さな小道を折れた。これまでは泪橋交差点から伸びる「吉野通り」に面したスポットばかりだったが、これからもっとディープになってくるそうな。ディープってどんぐらいだろう......と思い始めた矢先、いきなりビニールシートハウスで水色に彩られた公園が!
「ここがあの有名な玉姫公園。ジョーがトレーニングしていた場所さ」
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公衆便所
便所以外だったら寝泊りしてもいいんですね。 |
うーむ。公園といっても、ほとんどシートハウスで占拠されているが......。なんとなく生活の場という感じ。遊具もベンチも、家具として利用されておられる。
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幼稚園
園児たちの心の叫びが聞こえてきそうな絵。
ロールシャッハテストにかけたら 凄いことになりそう。 |
さらにそこを過ぎて、今度は玉姫保育園。子供たちが描いた絵は心なしかホラー調。水色に塗られた背景も、ポップというよりグロテスク。感人先生はその絵を眺めながら、スタスタと足早に進んで行く。
「この先にね、『玉姫労働出張所』ってのがあるんだけれど、そこの軒下にダチがいるからさ」
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アブレ
ある種の失業保険である。
時間帯によっては、
アブレたちの行列ができるそうな。 |
――「労働出張所」ってなんですか? 「見れば判るさ。労働できた人種と、そうでないのを判別する狭き門さ」
ようやく見えてきた玉姫労働出張所。窓の少ないコンクリートの建物は、白っぽい配色のせいか、がらんとして見える。窓に張り出されたビラには、「アブレ」の支給システムに関する但し書きが......。中に人はいるようだが、窓口に顔を出していないので、なんとなくよそよそしい。
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アラ兄
兄ィが手に持っているのは「本手帳」。
これがないと、アブレの支給がない。 |
兄ィの家はその真正面にポツンと陣取っているビニールシートハウスだ。建物の軒のおかげで雨風を防げるのか、天井にあたる部分はきちんと覆われていない。それでも、この付近じゃ一等地にあたるのだろう。
六十歳ぐらいの兄ィはそのハウスのそばでかがみこみ、整頓らしい作業をしていた。「どうも、兄ィ!」と声を上げ、近寄る感人先生。挨拶もそこそこに、先生は手土産のワンカップの封を開けた。兄ィはそれを受け取るや、3秒で飲み干した。早っ! 「兄ィ! 大パーティしましょう!」 「おう、なんだおめえ、また痩せたか?」
感人先生を気遣う兄ィ。見知らぬ皇子のためにもダンボールを敷いてくれた。ここに寄る前にスーパーで買っておいた鶏皮の唐揚げや焼き鳥で即席の宴会が始まった。
正直なところ、皇子は少し面喰らっていた。兄ィの家に近づいただけでムッとする垢の匂いや、料理を開けるためのトレイが明らかに雨ざらしだったことや......。でも、兄ィの朴訥とした雰囲気に緊張をほぐされると、そういうものも気にならなくなってくる。兄ィは感人先生の差し出した煙草をうまそうに吸いながら、こもりがちな早口で話した。 「今年は暖かかったからまだいいけどよ、冬は大の男さえにも、しみじみと故郷を思い出させんな」 「ゲッ、兄ィ詩人だ! もう何十年も、ここで暮らしているくせに」 「まあな、ここがもうおれの城だからよう。こうして飲めりゃいいわな」
――こんなこと聞くと失礼かもしれませんが、ここに来る前はなにをやってらしたんですか? 「ああ? 警部補だよ。知ってんだから、ここいらの警察の奴らは、みんな」
――なんでお辞めになったんですか? 「そりゃあ、おめ、足壊したからだよ。まあ、悪いこともいっぱいしたけどな」
――ケンカとかですか? 「ああ? まあ、そうだな、ケンカもしたよ。兄ちゃん、チャカの撃ち方知ってっか?」
ちょっとびびった皇子が首をふると、兄ィは「こうだよ」と肘に手を当てて、腕を跳ね上げた。 「ちょっと下を狙うんだよ。上に行っちまうからな。膝だよ、膝」
兄ィはガハハと笑った。話半分といったところだろう。酒が回って調子の乗ってきた兄ィは、ますます舌が滑らかになる。ここいらのスジもんには顔が聞く、同期だった警官は偉くなったから誰でもワッパにかけられる......。しかも感人先生がアオりを入れるから、その勢いは止まらない。 「兄ィ、カズっているじゃないですか。あの、都営団地に住んでいる。アイツが昔、兄ィにケツ掘られたっていってたんですけど、ホントですか?」
鶏姦というヤツだ。昔の軍隊や牢屋などでよくあるとは聞くけれど、いくらなんでもそりゃないだろ......って、あるの! 「まあ、俺も以前は色々たまってたからよ」
照れ笑いする兄ィ。う〜ん。たとえホントだとしても、それを告白してしまうとは......。なんともはや、今日は驚くべきことがいっぱいだ。
後半につづきます。
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(文・写真 紙上大兄皇子)
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