太宰治(1909/6/19~1948/6/13)と林芙美子(1903/12/31~1951/6/28)の交流にスポットを当てた企画展「太宰と芙美子」が、三鷹市太宰治文学サロンで開催中である。本展は新宿区立林芙美子記念館との協働企画展となっており、来年3月6日からは林芙美子記念館に巡回する予定。

 

太宰治と林芙美子の関係はそれほど多く記録が残っているわけではないが、有名なもので言えば『ヴィヨンの妻』である。太宰治は林芙美子との交遊からこの作品を産み出したとされている。つけ加えて初版本の装幀は林芙美子が手掛けているなど、浅からぬ関係を読み取る事ができるだろう。本展は、『ヴィヨンの妻』の複製原稿や、林芙美子の名が登場する『眉山』の関連資料などを展示することで両者の心の交流をより深く感じる催しとなっている。

 

林芙美子と言えば1930年作の『放浪記』。僕自身、その他の作品に明るくないのであるが、林芙美子の名は「無頼派」周辺に度々目にする。まず、織田作之助は坂口安吾・太宰治との例の座談会に先駆けて林芙美子と対談をしており、その後も交流が続いたようで『可能性の文学』にも林芙美子の名前が登場する。さらに太宰治と共にオダサクの骨を拾い、絶筆となった『土曜婦人』新潮文庫版の解説も手掛けている。坂口安吾も対談の他、林芙美子の死後まもなく『女忍術使い――追悼・林芙美子』と題した追悼文を「文學界」に寄せている。

 

林芙美子は多くの作家と交流があったようなので、活躍していた時期が多分に重なる無頼派三羽烏周辺にその名が挙がるのも当然の事だろう。最近になっても新たな資料や書簡が発見されるニュースが飛び込んでおり、まだまだ今後も文豪たちの関係を窺い知る新資料の発見、公開に期待ができるはずだ。