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  • 高橋文樹 管理者 2016 年 1 月 19 日

    ご年齢がわかるともうちょっと答えやすいのですが……私が想像する限り、職場や学校で一年生活してそこで友達ができなかった場合、同じ場所で新たに友達になることはめったにないように思います。

    したがって、環境を変えるのがよいでしょう。スポーツジムでも、なんでもいいと思います。

    そしてそこで友達ができたら、その人が自分の趣味に合おうが合うまいが友達関係を続けます。

    そんなこんなでいろんな環境を渡り歩いていると、だんだん友達が増えてきて、中にはあなたと同じように「暗くて、無口、ほとんど無趣味」な友達もいることでしょう。

    特定のタイプの友達を一本釣りするのは難しそうなので、おすすめしません。

    もっとも、友達なんて数人いれば満足するはずですし、いま友達がいないのであれば、一人友達ができただけでも嬉しいと思いますよ。

    ちなみに私は30歳を超えてから絶縁・絶縁されたことが何度かあり、対人関係の苛烈さに関しては自信があります。

  • 我が輩も名無しである 購読者 2016 年 1 月 19 日

    高橋さん、コメントをありがとうございました。

    年齢は今で言うところのアラフィフです。
    こんな年齢になって、こんな相談なんて、ほんとに恥ずかしい限りです。
    家族はいます。でも、家族を束縛しないためには、友だちも必要なのかなとやっと思い始めたところです。
    そう気が付いた今の私は、感情がどこかに吸い取られてしまったかの様な人間に思えてきて、今更友だちをつくるという話でもない様にも思っています。

    私も、高橋さんの様に、自信を持ってみたいです。
    それもありかな、と今ちらりと思ったのですが、どうでしょうか。
    とにかく、ありがとうございました。

  • アサミ・ラムジフスキー 投稿者 2016 年 1 月 20 日

    スタート地点の設定がまず違うのではないでしょうか。
    「自分によく似た友達」を求めてしまうと、性格や価値観の些細な違いが憎しみへと直結しやすくなります。人間というものは、まったく境遇の異なる相手は受け入れることができても、半端に共通項のある相手にほど厳しくなりやすい傾向があるからです(たとえば、重度のメンヘラさんほど軽度のメンヘラさんに厳しく当たりがちなのはよくネット上で見られますよね)。

    他人はあくまでも他人だという前提の上で、似た部分と相容れない部分とをそれぞれ許容することができなければ、友人関係は成立しないでしょう。子供ならいざ知らず、いい歳の大人ならなおさらです。

    そもそも、せっかく他者を求めるにも関わらず、なぜわざわざ「よく似た」人を求めるのでしょうか?

    もしかすると、過去に「似ていない」人を友人にして辛い思いをした経験があるのかもしれません。しかし、「よく似た」人であってもすべての価値観が同じだということはあり得ないわけで、結果的には似ている人を友人にする方がよりいっそう辛い思いをすることにもなりかねないという事実をご理解すべきです。

    「よく似た」人を求めるというのは、私には傲慢さの表れに見えてなりません。パーマンのコピーロボットよろしく自分の理想通りの言動をしてくれる相手を求めているのかもしれませんが、そんな人は自分以外に存在しません。自分の我儘を許してもらえたとして、そのぶん相手の我儘も許そうという覚悟がありますでしょうか?

    忌憚なき意見をとのことですので厳しい言い方になりますが、アラフィフにもなって友人がまったくいないという時点で、周囲ではなくあなたの側に何らかの問題がある可能性が高いのだという点を自覚しましょう。

    友達を作りたいのであれば、多くを求めすぎないことです。
    逆に、友達をあえて作らないという生き方もそれはそれで素晴らしい選択だと思います。

    個人的には、長期にわたって続く友人関係というものは、作ろうとしてできるものだとは思えません。まだ私などは若輩者ですが、長く続いている友人はいずれも「気づいたらずっと続いていた」というような相手ばかりです。
    「友達を作ろう!」という意欲をまず消すことが、友達作りの第一歩かもしれません。

  • 我が輩も名無しである 購読者 2016 年 1 月 20 日

    アサミ・ラムジフスキーさん、コメントをありがとうございます。
    ラムジフスキーさんの、おっしゃられる通りです。
    優柔不断が裏目に出たのか、他人のせいにばかりしては、引きこもる人間になってしまいました。
    コメントを頂き、友達を作るか、作らないかの、二つの選択肢ではないんだと考えると、少し気持ちが楽になりました。
    ありがとうございました。

  • 山谷感人 投稿者 2016 年 1 月 20 日

    『似たような友人』に関しては、例えばポーの小説にもあったように一緒に或る光景を見た後「俺が今、何を考えているか判る?」の意見交換をするなど、それは醍醐味が有る関係を築けますが、経験談として常に関わっていると愛憎が交わり殺意を抱いたりするので、覚悟がないと、でオススメ出来ません(僕は、その友人が他界した時、少し、ほっとした気分になりましたね)。
    さて、友人を造るにはどうすれば良いか?
    無口で無趣味と謙遜されてますが、家族関係は円満に遣られているみたいですし、貴方に何の問題はないと思います。では、何故に友達がいないのか? それは自身がおっしゃっているように『我が儘なトコロも許して呉れる』友人を探そうとして、ちょっと複雑に考えている部分が大きいのではないでしょうか。「こんな事を言ったら、相手はどう思うかな? 嫌われないかな?」壁がない仲間を探そうとすればするほど、最初にそう考えてしまい萎縮しちゅう、これは良くあるパターンですね。要は、自らをさらけ出せばいいと思います。無口だし、とか云っても、この『破滅派』なる名前のサイトに相談する度胸は有るわけですし。
    案外、貴方が人に気を使わず、自身の主張を堂々とすれば、職場やよく行く食堂なぞに宝石の如く、気が合う友人が既に存在しているやも識れませんね。
    なお、僕が良く使う、朝からアルコールを呑んで人に逢いに行き「俺、酒臭くない?」から相手の気持ちをほぐす、なる技は上級者向けな故、オススメは出来ません。

    スマホから思いつくままに打ち込んだので、文に脈略がないし、アドバイスにもなってない点は、失礼しました。

  • 我が輩も名無しである 購読者 2016 年 1 月 20 日

    山谷さん、コメントをありがとうございます。
    心が安らぎました。
    私が無口なのは、一つには単に感情表現が乏しいせいかもしれないです。
    そして、それは友達を作ろうとしてこなかったせいかもしれない、とも。

    「スレ違い」かもしれない悩みに、こんなに親身になって、おつきあい頂けるとは思ってもみず、半ば申し訳なくも思ってもいます。
    本当にありがとうございました。

    • 山谷感人 投稿者 2016 年 1 月 20 日

      いえいえ、此方こそ生意気を云った部分もあり、すみません。でもほら、これで僕らやコメントをした他も交え、何でも言える友達になったかも識れませんね(←山谷、遠い目をする)。
      無口、に関しては、僕の知り合いの山形県・在住、寺の坊主が「俺は親友を迎える時、一言も喋らない。それで互いに愉しいし判り会えるから。ただ、そこまで至るには百万の討論をしたよ」とかほざいてましたし矢張り、忌憚なき友達を得るには最初は自己をさらけ出し語る必要は、あると思います。

      では、また何かで雑談でもしましょう。失礼しました。

      • 我が輩も名無しである 購読者 2016 年 1 月 20 日

        ありがとうございます。(〃^ー^〃)
        いつか皆さんと雑談、と言うのは夢のまた夢の様ですが、友達とは、出来なくても必要なのだと胸に刻んでおこうと思っています。それでは、こちらこそ失礼しました。

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