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  • 山谷感人 投稿者 2015 年 12 月 12 日

    お疲れ様です。
    政治的な事は判らないので、単純に娯楽で「弱者が勝つ作品」だけへ対しコメントをさせて貰えば、ギャンブルを扱ったモノはほぼ、そうした展開になりますね。
    まあ例えば映画『邦題・テキサスの五人の仲間』とかは、最初からインチキを仕組んでいて勝てる見込みがあった、なので完全・弱者ではないでしょうが。

    • Juan.B 編集者 2015 年 12 月 12 日

      そうですね……ギャンブルと少し違いますが、俺が見た幾つかのヤクザ映画にもそう言う要素はあリました(「義賊」的だったりするので含めませんでしたが)。
      「アウトロー」は文字通り法の外ですからそういう話にしやすいのだと思いますが、ピカレスク小説等は「最後は裁きを受けないといけない」「『道徳的』な方に導かれなければいけない」と言う決まり(?)もあるらしいですね。
      水滸伝なんかまさにそう言う話で、知った始めの頃は好きだったんですが今はあんまり好きじゃないです。
      (スレTOPに書きましたが…文化大革命末期に書かれた、水滸伝の主人公格宋江の「腰抜けさ」を批判する漫画に納得したり…w)

  • Rachelllll 投稿者 2015 年 12 月 13 日

    少数派というのはイマイチ分からないのですが、マルキ・ド・サドの作品はどうでしょうか?
    『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』では悪の完全勝利を描いている上、主人公のジュリエットも親を殺されて売春にまわされるという経歴では社会的弱者とも定義できます。
    しかし最終的に彼女は悪を貫くことによって権力を持つことになりますが……。

    • Juan.B 編集者 2015 年 12 月 14 日

      「少数派」と言うのが曖昧な言葉なのは自覚してます。
      まあ無理矢理言うならアメリカの映画で悪役として出てくる様な「IRAテロリスト」「無政府主義者」「極左」「差別の末に犯罪を行う様になった人々」「思想的な強姦者」「ダーティーハリーやロッキーやスーパーマン等々のヒーローに『殺される側』」等々……ああこれでも曖昧だな、やはり読む人の想像に任せる部分が強いですね。

      確かに立場(悪)を貫くことで権力に結び付いてしまう人物も居ますね(実際の革命は簡単に言えばそう言う物ですが)。ただ完璧に「伝統化」「保守化」「『正義』の象徴化」した権力との対比やカタルシスがあるのも事実です。
      マルキ・ド・サドの作品は……舞台をイタリアのファシスト・サロ政権に舞台を移した映画の「ソドムまたはサロ120日」なら見たんですが、原作は読んだことはありません。映画は映画で凄いですしパゾリーニ監督による社会批判も散りばめられてます。
      紹介ありがとうございます。

      追伸
      何でスレTOPに載せなかったか、「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」と言う映画もオススメです
      日本では単に一番名前が長い映画みたいな知られ方しかされてませんが、これも少数者・弱者が(かなり捻くれた形だけど)院長や貴夫人をワアアアッな映画です

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