昨日に私の祖父が亡くなったそうです。大正十二年生まれ、と聞いていましたから、彼は九十幾つかの高齢でこの世を去った事となります。
それについてはある程度に覚悟をしていました。この年齢の男性が越冬するのは辛いものがあるでしょう。しかも、伴侶、つまりは祖母の介護も祖父は近年まで行っていたと言うのですから。因みに祖母は認知症を発症しており、私の顔と名前を憶えていません。
しかし、現在の私は精神の均衡を崩しつつあります。就職を生まれて初めてやっと叶えたばかりなのに、早くも休職する羽目になりました。
この出来事を通じて、皆さんにも考えて頂きたい事があります。
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先ずは自分の実家の者へ、一言。
「何回か娘の人生ぶっ壊したら気が済むのかアホが」
誇張ではなく、本音です。実家の者、と言うのは父親、母親、弟の事ですが、この三者は明日に開かれる葬式に出るらしい。しかし、何故か私の場合は香典を母親が代わりに出して勝手に終了、だそうです。
私は葬式に行きたい気持ちがありました。その上で今朝に母親と交わした遣り取りを掲載します。
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私「私は葬式に行けないの」
母親「仕事があるでしょう」
私「忌引きか休みが取られるか確認してから、そう言った事を決めて貰えないかな」
母親「(無言、のち)ごめんなさい」
私「ごめん、で済む問題じゃないだろうが!葬式は一回しか無いだろうに!」
母親「だって、遠いじゃない」
私「福岡から鹿児島だろうが!実家も福岡県内だろ!行けない距離じゃ無いだろうが!」
母親「だったら、来れば良いじゃない」
私「ふざけるな!お前等が勝手に欠席を決めたんだろうが!いまさら何を抜かしてんだ!」
その後
私「私の持っている障害については、お祖父ちゃんにきちんと話をしたの」
母親「言っていない。言ってもどうにもならないし、心配させるだけだと思ったし(以後は聞き苦しい言い訳が続く)」
私「私が薬を飲んでいた姿をお祖父ちゃんに見られて、あなた達が私へ激怒して来た事があったよね」
母親「(無言)」
私「もう精神科に行くな、とも私に言っていたよね」
母親「そんな事を言ったっけ、混乱して憶えていない」
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話を伝えた友達や識者の皆さんは、親に対して懐疑的です。私もそれで当然だと思います。識者の方はこうコメントをしました。
『行きたい人が行けない葬式とは何の意味があるのか』
全く持ってその通り。寿司でもつまんで酒を飲んで騒いでいたらその場の全員を殺すからな!
「葬式に行きたかったら行けばいいじゃない、柚希さんの行動次第だよ」
そう助言を下さった友人も居ましたが、これは私にとって少々ばかり的外れでした。私はこの家族関係に焦点を当てて貰いたかったのです。
勿論に私は葬式へ行きたかった。けれども、もう無理でしょう。何故ならば実家の者がここまでの冷遇を私に食らわせたからです。もう家族の顔も見たくない。それが私の本音。
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この事情と思いを勤務先の店長に話したところ、休職が決まる事に。「勤続年数が足りないから忌引き扱いは無理なのだけれども、事情が事情だから」と言って、措置を取って下さいました。事実から考えても、客観的に見ても、これは私に対する家族からの差別だとしか思えません。
しかも、障害者蔑視の可能性を含む。
『遠くの親戚より近くの他人』と言った格言があります。全く持ってその通り。別に私は物凄く実家から離れた場所で独居している訳ではありません。車で四十分も一般道を走れば到着する距離です。
けれども、もういい。
うんざりです。
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私は母親との電話を切る時に、こう言いました。
「幾らに精神科の治療の目的だったとは言え、私はあなた達から勝手に電気を流されて記憶を消された時からずっと怒っている。その事も含めて、近々にそちらへ行って最後に話をするから。それじゃ、さよなら」
さよなら。
この言葉をやっと告げる事が出来て、私はこれまで十数年間にもがいていた胸の苦しみなり、蟠りが少しだけ解消されました。後は実家の者と話し合い、これからの遺産関係をどうするか決めるだけです。
もう、彼等とそれ以上に関わりたくありません。
お祖父ちゃんも、さよなら。
そして、ごめんなさい。
二〇一七年十二月八日
"柚希&人生の虐殺リアルライティング"へのコメント 0件