雨庵

渦黎深

918文字

できれば濡らして読んでください。感電しないように。

あいつの部屋では雨が降るという
だからいつでもあいつは濡れている
嘘だと疑う奴がいると
あいつは部屋の中を流れる水の様子を美しい言葉で説明する
水は家具で組み立てられたあらゆる線分を伝って移動する
あいつの部屋では水は上から下に流れるとは限らないらしい
ふと本棚の足に目をやるとまさに上昇を始めようとした水と目が合うことがあるらしい
三回に一回は部屋全体の水が脈打って上を目指していることもあるそうだ
流れる水はいつも静かで部屋の主を慮ってか、美しい音しか発さないという
それでもたまに人間のような音を立てることもある
そういう時、水はもうしわけなさそうにあいつの足をそっと撫ででいくという

 

あいつは部屋に雨が降るくせに
原稿用紙にばら撒いた文字を、金に交換する古い仕事をやっている
紙は濡れぬかと尋ねれば
俺の筆は濡れた紙の上しか走れないと言う
蔵書はどうすると心配すると
本の中には濡れて良い本と悪い本があり、良い本だけを置いていると言う
滲んだインクは混ざり合い新たな世界を構築する
それは濡れるたびに少しづづ回転する万華鏡のように因果から解き放たれた宇宙を見せてくれるという
そこでは水が蒸発して固体になり、親が子供から生まれる
悪い本の文字は釘付けにされていて動かない
ただ朽ちるのを待つばかりである

 

あいつは悪魔と契約したのだという
「この雨雲が俺の頭上から去るとき俺の命も終わるのだ」とあいつは言う
悪魔に捧げるブルーズを死に物狂いで書いている
「いつでも来い」とあいつは言う
夕焼けの眺めが良いというあの都会の鉄道の車両から、日の入りが見えたところに住んでいるという
私は何度か足を運んだがいつも遠巻きに部屋を眺めるだけだった
最後に部屋を訪れた時、火のついたタバコの先が水滴だらけの小窓からのぞいていて、煙は真っ直ぐに夜空へと伸びていた
次の瞬間あいつはタバコを引っ込めた
水浸しの窓枠の中で火はしばらく踊ってやがて消えた
私の目には水によって分解された多彩な炎が映った
どこからか雨の音がした

 

その後私の家は水に流されて知らない町に落ち着いた
あの鉄道はもう見当たらない
あいつを思い出すこともない
でも、この町で珍しい雨が降ると私は悪魔について考える

2021年3月10日公開

© 2021 渦黎深

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