咎の園 終章・辺獄にて

咎の園(第8話)

山本ハイジ

小説

6,808文字

R18/エログロ

 ドーランを塗り、粉白粉を叩き、紅をさす。元来整っている顔を陶器のように白く塗れば、鏡に映る自分は美しく、神々しくさえ見えた。最後の舞台に向けての身支度を至って平穏な気持ちでできている自分を不思議に思う。日中は客だけではなく、仲のよかった奴隷たちとも別れの挨拶を交わした。相手にとって、別れという言葉は適切なのか定かでないが。
 手鏡を置いてベッドから立ちあがり、厚化粧の顔に反して今までの装いに比べたら地味すぎる白の着流しをまとい、原稿と小刀を持って自室を出る。リンボに向かって、鉄のドアを開けると階段をおり、奴隷の呻きと叫びが響くなかを進む。だんだんそれに客たちの賑わいと、なにやらオーケストラの曲が加わってきた。
 休憩スペースに入る。客たちは、たとえすすめられても俺はまったく口にする気の起きない、得体の知れない肉を振る舞われていた。皮の部分が心なしか肌色に見える肉にナイフを入れている客たちに挨拶しつつ、前座へちらちら目を向ける。ペーパースクリーンの取り払われた開けたところで、金のアクセサリーを過剰につけ、ヴェールを体にまとった彫りの深い顔立ちの女奴隷が踊っていた。流れているBGMには聞き覚えがある。そう、曲名は確か七つのヴェールの踊り。
 サロメか。昔デートの付き合いでオペラを観劇したことがある。サロメに扮する女奴隷はアクセサリーをきらめかせ、炎のような色合いのヴェールをひらめかせ、両腕を天に向けて広げたり、地団駄を踏んだり、床を転がり廻ったりしながらヴェールを脱ぐ。辺りには色取り取りのヴェールが散乱していた。すでに五枚。さすがにプロと比べたら動きか表情か、どことはっきり指摘できないが迫力と狂気に欠けている。
 しかしここはリンボだ。踊りなどメインではない。暴れるように舞いつづけ、ついに七枚目の漆黒のヴェールをむしり取る。曲がおわった。やや筋肉質な女体の裸、たくましい太腿に薔薇が咲いている。そして使用人が……サロメの筋なら王女サロメへ王からの踊りの褒美である生首を載せた銀の皿を渡す。王女さまがどんなに求愛しても、ソドムの娘だのお前は呪われているだの暴言を吐いて拒絶しつづけた預言者の男。恋い焦がれ、欲情を燃やしていた男の首に感極まって口づける。
「ああ、とうとうお前の口に口づけしたよ!」
 肉を貪っている観客たちから下品な喝采があがった。天使の家ではなく、たぶん別から仕入れたのであろう外国人だと思われる青年の首は、思わず見惚れてしまうほどの美貌があった。滑稽なサロメよりも、俺よりも美しい。
 それからサロメが退いたところで、床に正座した。真正面の真紅のソファーには旦那さまと、どういう趣味の悪い意図なのか彼女がいる。観客たちのなか、スケッチの道具を携えている宮沢さまも目についた。かたわらに小刀を置いて、両手に原稿を持ち、文字へ視線を落とす。
「……旦那さまから様子を見にいってやりなさいと度々言われましたが、すぐにはリンボに堕ちた伊織に会いにいけませんでした。だってもう、どんな顔をして会ったらいいのかわかりません。会ったところで、彼女はどんな気持ちになるのか。
 しかし――孫の顔、見たかったぞ。と残念がる旦那さまの口振りからして、彼女の助かる見込みはなさそうだと思いました。そもそもは旦那さまが子作りの話をしたせいですが、彼女にあんな愚行をさせたのは私です。このままでは罪悪感に押し潰されてしまいそうでした。愛情を失った相手とはいえ。
 せめて最期に顔を合わせるべきか。そしてまったく償いにはならないと思いますが、彼女から思いっきり罵られるべきか。彼女はもう、裏切り者である私に憎悪しか抱いていないだろう。……数日間、リンボで伊織はどんなひどいことをされているのかあれこれ想像して胸を痛めたり、妙な気持ちになったりと悶々としてからようやく彼女に会いにいく決心をしました。なんだか私、同じようなことを繰り返していますね。
 後ろめたさを感じながら重い足取りで、リンボに向かう暗くて狭い階段をおりました。途中、見慣れた傷つけられすぎて奇形のようになった奴隷の姿をつい頭の中で伊織に置き換え、ぞくりとしつつ彼女が収容されている檻の前を目指します。
 柵越しの彼女は膝を抱えて座っていました。うつむいていて、つやを失ったばさばさの髪が前に垂れ体を隠しているので、どんな状態なのかよくわかりません。恐る恐る声をかけてみました。すると、足音には無反応だったのに彼女は肩を跳ねさせて、勢いよく顔をあげます。そこには容色が劣化しつつも、愛せる彼女がいました。
 数日で痩せた、というよりやつれていました。飛びおりで負傷したらしい脛が包帯で固められている以外、やはり責めを受けているようで右目は眼帯に覆われ、両腕にも包帯が巻かれています。左目はくまが目立ち、唇の端には血が滲んでいました。楽園にいたときよりもひどい至るところにあるあざが、色白の肌に残酷に映えています。
 そして、彼女が私に感じているであろうと思っていた憎悪は、どうやら違ったようです。そっと、虚ろに、しかし助けを求めるように彼女は柵のあいだから手を伸ばしました。――あ……あ……と、私になにか言いたいのだけれど言葉にならないといった様子で、呻いて。罵ってくるより、痛々しく見えました。もう体も心も弱りはてた彼女はかつての、いややはり思い人である私を求めるしかなかったのです。
 張りつめていたものが自分のなかで、破裂しました。ああ、なんてことをしてしまったのだ俺は。ほぼ崩れ落ちるみたいに床に膝をつくと彼女の手を取り、涙声で――ごめん、と繰り返します。彼女も静かに泣き出しました。嗚咽が落ち着いてきてから私は――あんなの嘘だから。一人で出ていけだなんて、嘘だから。まだ……なにかチャンスがあるかも知れない。だから、頑張ってくれ。と、かなり無理のある弁解と、そのときは本気でしたが結局は再び嘘になってしまうであろうことを口にしました。彼女は愚かしく、健気に、何度もうなずきます。
 それから暇さえあれば、彼女に面会しにいきました。使用人に檻の扉を開けてもらって、彼女と話し、寄り添い、抱き合いました。旦那さまに頼みにもいきました。頭をさげて――どうか、伊織を助けてくださいと。しかし旦那さまは――お前たちは私の子供ということで、やや特別扱いされてきただろう? それで恩赦までしてやったら、いくらなんでも楽園から辺獄に堕ちるはめになってしまったほかの奴隷に悪いよ、とそこは厳しく一蹴します。つづいた――それに、いいのかい? またつまらなくなってしまわないかい? という言葉に、心臓が飛び出すんじゃないかと思いました。旦那さまはどこまでお見通しなのでしょう?
 確かに、私は伊織に対する情を復活させると同時に、劣情まで復活させつつありました。性癖という名の病根はもうどうやっても引っこ抜けないのでしょう。私は伊織と檻の中で実にプラトニックに触れ合っていましたが、彼女を覆うガーゼの量が増えていくたび、彼女を抱いてみたいという久しぶりの欲求を覚えている自分に気がつきました。できたら、私へ鞭打ちの補助つきで。自室では伊織を思い、自分が堕ちればよかったのにと涙しつつ、手淫に耽ります。
 そのうち、我慢できなくなりDVDを求めました。彼女が受けている責めの内容が収録されています。私が会いにいくまでの数日は、使用人たちからただただ暴行されていました。女の子のやわらかい体に、加減はされているでしょうが残酷に殴打が加えられます。
 ほかは使用人と、リンボ通いのお客さまからイバラの鞭で打たれていました。白い体はあっと言う間に赤く染まってしまいます。このころから、傷口から滲んでくる血で伊織の包帯はすぐに汚れてしまうようだったので、私がよく取り替えてあげました。
 お客さまに、蝋燭に点けた火で手の平を炙られていました。ペンチに似た道具で奥歯を抜かれていました。彼女はお母さん、お父さんと泣いていました。訪ねると、リンボの奴隷特有の死んだ表情で彼女は――がんばる、がんばるから。と、私にしがみつき、しゃべれる鳥みたいに繰り返します。
 胸が張り裂けそうになりました。しかし、猟奇趣味に満ちた私の日常は潤いました。お客さまを歓待するとき、脳裏に辺獄の恋人のことを浮かべると情熱的になれます。加虐的な趣味のお客さまであれば、さらに。……笹沼ご一家のあのご子息がいればな、とDVDを見ながらふと思いました。彼は私も彼女も、ひどくいじめてくれるでしょう。
 悦と悲しみ、相反する感情に悶えてしまいます。このままでは彼女は体のどこかを切断されたりして、惨苦を極めることになってしまうでしょう。そうなる前に、私が勝手に煩悶しているうちに、彼女は自殺しました。賢い判断です。
 がんばる、と言いつつも彼女の精神状態はもう正常でなかったと思います。いえ、むしろその言葉ばかりで会話が成り立たないことが多々ありました。そしてとうとうがんばれなくなった彼女は傷ついた体の力を振りしぼり、壁にある、鞭をかけてあったフックを利用して首を吊ってしまったそうです。普通、拷問器具のたぐいは檻から出る際に使用人が片づけるものなのですが、忘れてしまったのでしょう。監視カメラの映像を確認したとき、彼女はすでに鞭で首をつないだフックのみを支えに壁際で脱力していて、手遅れだったとのことでした。
 旦那さまから伊織の死を伝えられても、連れられて檻の中、金属のベッドに横たえられている彼女の死体と対面しても、私は至って冷静でした。幼少のころのトラウマを再演しているというのに。悲惨な様子の死体を見たときはさすがに小さく悲鳴は出ましたが、彼女はもっと人の形を保てなくなってから果てる運命にあると思っていたので、あまりのあっけない死に拍子抜けしたのか。それとも単純に、色々な感情が麻痺してしまったのか。
 それから、なんの計らいなのか伊織の死体と二人きりにされます。改めて彼女を観察してみました。首にあるはずの索状痕は血で見えず、そこから首から下、乳房まで、青白いくらいになった肌に線状の乾いた血が伸びていました。リンボの鞭には棘が生えていますからね、普通の首吊りより格別につらかったでしょう。それでも今後のことを考えたら、こちらのほうが楽なのでしょう。
 表情は目を半開きにして、口もぼんやり開いていて、舌が突き出ています。あまり綺麗なものではありません。でも死体は、そうですね、悲愴美とでも申しましょうか。……やはり私は落ち着いているようでいて、頭がどこかおかしくなっていたのかも知れません。我ながら不可解な行動を取りました。
 彼女の首筋に口づけて、血痕に舌を這わせたのです。そして凝固した血をざりざり舐めてから、陰茎を取り出し、彼女を貫きました。ただ、当然ですが冷えきり、乾いていたので唾液で濡らしました。さして気持ちよくはありませんでしたが時間をかけて、私は死に向かって放出したのです。
 後日、もちろん私は伊織の死の瞬間を撮った映像を観賞しました。凄惨な拷問を受けおわった彼女はしばらくうずくまっていましたが、やがてうつむいていた頭をあげるとフックにかかって垂れている鞭に気づいたのか、そこにじっと虚ろな目を向けます。少しして緩慢な動きで立ちあがり、ふらつきながらフックに近づくと工作をはじめました。手を棘で傷つけつつ、背伸びして鞭をフックに結わえつけ、短めにあまらせた先端でぎりぎり頭が通せる程度の輪っかを作ります。
 輪をしっかりと掴み、跳ねるようにして頭を通します。この時点でよく挫折しなかったなと思いました。そういえば、彼女の遺体は手の平にも血がこびりついていました。鞭の棘が首に食い込み、血の小川が何筋も胸元へ流れます。しかもフックはたいして高い位置にあるわけではないので爪先は床を掠り、中途半端に首が絞まります。早く楽になりたいとでもいうように時折膝を曲げて宙に浮きながら目を見開き、舌を突き出して蛙の鳴き声に似た喘ぎを漏らしていました。
 彼女自身も恐らくそうだったように、苦悶は見ていてとても長く感じました。しかし、それは唐突におわります。失禁が脚を嫌らしく伝った途端、もがいていた彼女の体から力が抜けて静かになり、瞼が半分落ちました。事切れたのか、まだ気を失っただけなのかはわかりませんが、こうして彼女の二十二年とちょっとの人生は幕を閉じたのです。以後、いっさいの動きがやみました。……あっ」
 語りながら情景を生々しく思い出すと電撃のような快感が走り、後ろに仕込んでいたエネマグラを思わず締めつけた。命消える彼女。
「失礼しました。映像を見ている私がどんな状態だったのか、これで察せられちゃいますね。脳内で彼女と同化して歓喜し、片手は股ぐらに遣りつつ、もう片手でそっと自分の首を絞めていました。ああ痛い苦しい、どうしてあたしを裏切ったの? すべては嘘だったの? あんなに愛していたのに。と、伊織の亡霊が私を責めます。
 それから私の淫蕩生活は彼女の死を糧にして、ずいぶんと充実しました。お客さまやお友だち、自分までをも相手に淫乱を極めてしまいます。脳内の彼女に没入しすぎて、鞭で打たれるとき想像遊戯でとくに設定があるわけでもないのにむやみやたらに謝ったりして訝られることもありましたが、私の人気はこの時期あがっていたように思います。
 催しの第一回目でお話しした私の趣味ですが、猟奇的な妄想を楽しんできたりはしつつもはっきりと認知はしていませんでした。手淫に耽りながらも、そんな恥ずかしいことをしただなんて信じられず受け入れられない思春期みたいな感じですね。……しないようにしていたのです。死が関わってはさすがに禁忌である気がして。しかし二人もの恋した少女をエロスへの贄に供してしまっては、もう認めざるをえません。
 ある程度が経ち、過剰な性欲が落ち着いてきてから伊織を喪った悲しみをやっと感じはじめました。表情が整えられ、あちこちも補修された綺麗な剥製に会いにいっても虚しさ募るだけです。話しかけてみても返ってきません。笑いかけてくれません。動かぬ彼女の前で、出会いはじめのころのデートや安らぎを覚えられたころの同衾などのきらめく情景を思い出し、しくしく泣いてしまいました。
 私、タナトの気はあってもネクロの気はないようです。改めて彼女に恋人解消を告げました。そして、また急速に涸れていきます。……しかし、虚無的な日常を送るうちに私はあることを思いつきました。淫楽と死の結びつきを自覚したのです、気がつかないわけがありません。自分にとっての究極の快楽とはなにか? 死んでみれば得られるはずだと。
 あれほど死にゆく愛しい乙女に感情移入して官能に乱れ、そのうえ憧憬を抱いてきたのです。妄想でおわらせず、自分も死の苦しみを味わってみたらいい。きっと気持ちいい。頭の中は……女体化していましたが……自身の死でいっぱいになりました。そういうわけで旦那さまに快楽主義に殉教したい旨を伝え、こんな方法でのエデン引退を望んだのです」
 かたわらの小刀を持ちあげて、観客たちに示す。
「普通、死ぬ、それもこんなつらそうな手段を選択しての引退だなんてリンボの奴隷がすることですが、楽にやってしまってはつまらないだろうと思いまして。ひどい形相になってしまうでしょうから、厚化粧で臨みました。……引退という言い方は正しいのか疑問ですがね。おわったあと私の体は伊織の隣に展示されて、死姦趣味をお持ちのお客さま方に供されるようになるらしいので。
 承諾してくださった旦那さまは、引退する前に人生を振り返られる催しをご提案しました。原稿を書きながらしみじみ思ったことですが、私はエデンに来て本当よかったなと思います。快楽を貪る豚のようなみなさまに揉まれなければ、こんな爆発的な快楽、知らないままだったでしょう」
 ざわつきと笑い声が広がった。もう引退するんだ、気にしなくていい。旦那さまはソファーで優雅に脚を組み、彼女の肩を抱いて微笑を浮かべている。愛してはいるけれど、食えない父親。
「外界で平穏無事に過ごしていたら、これほどまでの美貌を持ち、保つこともできなかったでしょうし……ああ、もう劣化することもなく半永久的ですね。ああ、今、戸渡さんが私の背後に来ましたが、彼が介錯してくれます。万が一、私が怖じ気づいたりしても戸渡さんがちゃんとしてくれます。そんな情けないことにならないよう、みなさまを楽しませられるよう、精一杯努めてみます。では、この辺で。私は幸せでした」

2015年7月24日公開

作品集『咎の園』第8話 (全9話)

© 2015 山本ハイジ

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