ぞんび姫 Pt.1

ぞんび姫(第1話)

ヨゴロウザ

小説

3,638文字

曾根崎十三先生トリビュート。もとは2023年3月合評会『ゾンビ・パニック・ロマンス』に出すつもりで書いたものです。

 「昔は間引きと言ってね、女の子が生まれると産婆さんが旦那さんのところへ持って行って、いかがなさいますかって伺いを立てたの。それで女ならいらないって言われたら、(何かを押さえる仕草をして)きゅっとこう……産声をあげる前だったら死産ということにできたのよ」
 長い話の最後に、庵主は特にひどい話だという顔もせずただ淡々と事実を述べるようにそう語った。私が彼女にこの話を聞いたとき彼女はすでに九十代に差し掛かっていたと思うが、小柄ながら姿勢がしゃんとしていて声にも張りがあり、どこかまだ少女の面影を残していた。
 「それでいて、殿方は女性にょしょうが大好きでしょう。カマキリが番っているのをご覧になったことある? 雄のカマキリが番ったままの姿勢で雌に食べられちゃうところを。雄の首がぽとんと地面に落ちてるのに、雌の方ではそんなことお構いなしに一心不乱に貪るようにして、お腹膨らませながら噛り付いて……私はあれを見ると無明というものの深さ、暗さを思わずにいられないのね。死もそれを厭わしむることができないのよ。あなたもそういう感覚おわかりになるんじゃないですか?」
 「わかるかもしれません」
 けれど私はなにか別のことを考えていた。遠く彼女の肩越しに、柔らかい萌黄色の草の群れを載せたなだらかな春の丘があった。いい匂いのする春の風がそこから吹いてくる。私はそれをこの話に出てきた美人の恥丘とそのつつましい恥毛だ、と考えていた――――
  
 私は彼女の話を聞く前にその予習として、全ての発端となった美しすぎる水死体が打ち上げられたという入り江に足を運んでいた。そこから振り返ると、地元ではキノコ山と呼びならわされているこの山が変に出っ張ったような形で聳え立っているのが見える。単純にキノコに似ているという理由だけでそう呼ばれるキノコ山は――私はこの山の正式な名称は知らない――それを仰いでいると本当のところそれはキノコと言うよりは、むしろもっとobsceneで不穏な何かのシルエットを浮かび上がらせているように思えた。けれど庵主はその日こんな話もした――「外の境界というものはあなたの心がそのまま映ったものなのですよ」。ともあれそのキノコ山の中腹に室町時代の創建だというもと真言宗智山派のこの寺があるのだった。
 それにしても庵主はどうしてああすんなりと話してくれたのだろう。彼女からすれば決して愉快な話ではなかったろうし、ましてや私のようなよそ者が軽々しく立ち入っていいような話でもないのに。いま思うと彼女は私の下衆な好奇心も、なべて世の人とはそんなものとしてあきらめて受け入れてくれていたのかもしれない。彼女はそういう諦観の感じられる人だった。
 「美しすぎる水死体なんて言ったってね」庵主は少し苦笑いしながら言った。「そりゃ多少は綺麗だったんでしょうけど、誇張されてるに決まってるのよ。だってその頃このあたりは今よりもっと田舎で、垢抜けた娘さんなんて滅多に見れなかったでしょう。そこに帯のほどけて体の露わになった若い子が流れ着いたんですから、そういう人たちの目にどんな風に映ったかという話ですよ。村の若い衆がみんなしてこの寺まで担いできたっていうけど、そんな人手必要ないはずですからね。あれこれ理由つけて何が見たかったんでしょうね、みんな」
  
***
  
 当時の住職もやはり担ぎ込まれてきた水死人を見て目を見張った。どこかむき身の海老を思わせるその水死人の体ははなはだ刺激的で、天魔の変化して自分を惑わせに来たかと疑った。それは直ちにさまざまな妄想やら懸念やらを彼の心中に掻き立てた。もう枯れ木のような自分にとってさえこのような強烈な印象を与えるのだったら、若く健やかなこの悪たれどもにとってはどうであろうか? 住職は嫌な想像をした。果たしてこいつらは彼女を見つけて、それから直ちにここに運んできたのだろうか? 彼らがこの体を囲んで、かわるがわる覆いかぶさる姿が目に浮かぶ……住職は嫉妬(!)の焔を掻き立てられて荒々しく水死人の前をはだけた。若い衆らの息を呑む音が聴こえた。至って平静に体を見終えてから訊いた。
 「儂にどうせいというのかな」
 「この娘を生き返らせて欲しいので。方丈さまの真言秘密の修法でもって」
 「何を言うとるんだ。そんなものは無い」
住職はすっかり呆れて若い衆らを見返した。しかし彼らは大真面目であった。
 「――生き返らせてどうしようというんだ?」
 そう問うと彼らはみな一様に暗い目つきのまま黙ってしまった。住職はいよいよ呆れかえって彼らの顔を見回した。しかし水死人は確かに、なにかの拍子で生き返りそうなみずみずしい肌をしていた。住職は彼女のぷっくりした唇を見て、紅を差してやらねばなるまい、とぼんやり考えた。この悪たれどもの慰みものにするには美しすぎるからだ。
  
 ところで、彼女はその後本当に生き返ったのだ――が、あまり先回りをせずにその水死人が担ぎ込まれた夜の事をまず記しておこう。担ぎ込んだ村の若い衆の中に喜一という少年があった。童顔で初心でそれゆえ誰からも軽んじられている男だったが、その喜一ときたら昼間見たあの美しい水死人の事が頭から離れず、眠れないでいたのである。彼女の裾から覗いていた、くろぐろとしてそれでいてつつましく生えた恥毛が彼の目を灼いたような気がした。彼はまたそこを、もう一目見たくて見たくてたまらなかった。それはそこから未知で甘美な永遠が垣間見える神秘のcrackだった。その見るだけで頭の痺れるような気がする割れ目にたぐり寄せられるように起き上がると、喜一は夜更けにそっと家を出て、水死人の安置されている寺へふらふら歩きだした。
 ところが考える事はみな同じと見えて、離れの庵室の周りにはすでに何人も先客がいて、奇妙に押し黙ってらんらんと目を光らせ中を覗いているのだった。心なしか、あたりにうっすら栗の花の香りが漂っているようだ。喜一が必死に背伸びをして彼らの肩越しに中の様子を見てみると、そこに憧れの水死人が一糸まとわぬ姿で寝ている。枕元では住職が座って妙な形の印を結び口の中でぶつぶつ何か言っている。――きっと生き返らせるための祈祷をしているのだ――しかし喜一は水死人の陶磁器のような肌の白さと、死化粧の施された、人形のように整った顔に目を奪われていた。周りの者らは変に熱っぽい息をしながら一様にもぞもぞ動いていた。そして住職が立ち上がり、おごそかに法服の前をはだけた。若い衆らがきょとんとして見ていると、彼は前にまわって水死人の両脚を自分の肩に掛けた。そして水死人の体を少し自分の方へ引き寄せた。何の事はない、自分の凸を彼女の凹に嵌めこもうとしているのだとわかった時、若い衆らの怒りが爆発した。誰ともなしに我先に庵室に雪崩れ込んだ。
 「何をするお前ら……お前らの頼み通りに黄泉がえりの修法を……」
 「黙れ糞坊主っ。手前だけで楽しもうとしとっただけだろうがっ」
 住職は張り飛ばされ、蹴られ、殴られ、はたかれ、引き回され……あわや一巻の終わりかと思われた時、とつぜん庵室に盛りのついた猫のような呻き声が響き渡った。一同はぱたっと静まり返って声のした方をふりかえった。見るといつの間にか水死人が両膝を立て、一同が見守るうちにその間から堰き止められていた春の泉のごとく小水が勢いよく、そして高々と宙に上がったのだった。誰もがこの奇蹟を目のあたりにして茫然とした。まともにそれを見たばかりか若干の飛沫を顔に浴びた喜一は強い酒の匂いを嗅いだ時のように頭がくらくらし、そして……その場に倒れ込んでしまった。
  
 さて、さきほど述べたように彼女は本当に生き返ったのだ――とはいえ少し筋道立てて考えなければならないだろう。死人が甦るなどという事は、端的に言って有り得ない。つまり彼女は入り江に流れ着いたとき仮死状態か何かだっただけで、死んではいなかったのだという以外に、この現象は説明できない。にも関わらず村の隅々にまで、住職が水死人を密教の秘法でもって生き返らせたなどという話が伝わったのだった。伝わったばかりか、皆それを信じたのだ。住職は大怪我をしたもののまた尊敬と畏敬とを村人の間に勝ち取ることとなった。あの夜住職がしようとしていた事は密教の秘法などでは断じてなかっただろうが、それを途中で邪魔したばかりに彼女の復活は中途半端なものになってしまったのだとさえ噂されていた。
 そう、彼女は半分は生き返ったかもしれなかったが、半分は死人のままのようだったのだ。彼女は喋ることもできなければ何を考えているのかもわからなかった。表情が無く目は虚ろで、焦点さえ合っていないように見えた。それが人形のように小ぶりで整った顔と相まって、なんだか怖ろしく見えた。そしておとなしく庵室で寝起きして、たまに何か寺の雑務を手伝わされ、夢遊病者のように人気のない村の外れなどを歩いているのだった。
 しかし村の男どもからすればそれは願ったりかなったりだった。

2023年3月21日公開

作品集『ぞんび姫』最新話 (全1話)

© 2023 ヨゴロウザ

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"ぞんび姫 Pt.1"へのコメント 5

  • 投稿者 | 2023-03-21 00:42

    完成させて欲しかったです!
    こういう語り口良いですね。かための文章はなかなか筆が進まなくてあまり書けないのですごいです。
    宇能鴻一郎の「姫君を食う話」みたいな昔語り風の濃厚な変態話が読めるかと期待してしまう途中経過でした。

    • 投稿者 | 2023-03-21 22:41

      せっかく面白いお題をいただいていたのに本当にすみません。日本中世の寺社縁起のリライトみたいなものを考えておりました。曾根崎さんに認めていただけるような変態馬鹿小説として完成させたかったです。とても恥ずかしいので次回は頑張ります。

      著者
  • 投稿者 | 2023-03-27 10:29

    閉め切ってやればいいのに!
    って思いましたwww
    離れだから扉が無いとかかもしれないけど、だったらせめて目隠しとか準備してよ。見られるようなところでやったらそらぼこぼこにされるよお!
    って思いましたwww
    しかしあれですね。この村なり、集落なりで殺人事件とか起こったらまず真っ先にこの姫が疑われる系のミステリーが書けそうですね。

    • 投稿者 | 2023-03-27 13:15

      これから話が始まるというところまで書いただけで10枚行ってしまったので、続きものにすることにしました。Pt.1と銘打ってますがPt.2で、どんなに長くてもPt.3で終わらせるつもりです。ミステリーですか、自分としてはテリー・サザーンの『キャンディ』的なものにしたいと思っております。また後程。

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