十代将軍・家治は気味の悪い夢を見たあと、江戸城本丸御殿・中奥の御休息之間で目を覚ました。
空飛ぶ舟に連れ去られる夢だった。目黒の森で鷹狩をしていると、空から巨大な舟が降りてきて、白い光に包まれた。刹那、自分の体と馬が、なんと宙へ浮かび、舟へ吸いこまれた。
舟の中の部屋には光る箱がいくつも置かれ、中央には銀の服をまとった者が立っていた。おそらく南蛮人だろう。奇妙なことに腕が四本もあった。
南蛮人は、いきなり自分の体を羽交い締めにした。
「曲者だ。拐かしの罪は重いぞ。誰か、出会え、出会え!」
叫んでも誰も来ない。どうやら、一人だけ攫われたようだ。
南蛮人は舌打ちした。
「んだよ、暴れるんじゃねえよ。手こずらせるな。なにもかにも会社のアホハゲ上司が悪い。あいつめ、『上がうるさいから、とりあえず下等な炭素生物を適当に選んで、生態データを取ってこい』って無茶振りしてきやがって。こんな銀河系の反対側のド辺境まで部下を日帰り出張させるって正気か? 銀河政府がDXってヤツに躍起になってるから、アホタレボンボンの社長が張り切って、なんにも考えずに下に仕事を押し付ける。ああ、クソ、マジでムカつく」
南蛮人はわたしの身体を魚のように台へ載せた。台に縄で縛り付けられると、腸を奇っ怪なほどまで細く小さい小刀で裂かれた。そして、黒い石のようなものを腸に詰め込まれた。だが、その後は覚えていない。
起きてから、妙に意識がすっきりする。考えることが、すべて、腹の奥に吸い取られるように感じてしまう。
だんだんと、自分の知識、感情、意欲が淡く溶けていく。何も考えられない。言葉を放とうとしたが、声を出せない。
このまま痴れ者になってしまうのか? 不安が一瞬よぎったが、すぐに消え去った。どうせ、自分がどうなろうが政治は回る。老中の田沼がうまくやってくれるだろう。
それに、神君・家康公の築いた政道は誠に頑丈だ。誰一人として壊せないだろう。たとえ百姓だろうが、田舎の外様大名だろうが、百万両を溜めこむ豪商だろうが、そして、征夷大将軍だろうが、死んだところで代わりなどいくらでもいる。
目の前の光景が、一気に崩れ去る。視界が果てしなくどこまでも漆黒に包まれ、ぼんやりと、緑色の文字が大きく映し出された。
〈セットアップが完了しました。データ取得を開始します〉
***
昼、田沼意次は将軍の執務室・御座の間から詰所へ戻ると、重々しい顔で机に向かった。急いで筆をとり、腹心の部下で京都所司代の牧野貞長へ手紙を書いた。
――牧野殿。上様について、知らせたいことがある。もしかしたら、上様はもう長くないかもしれない。
今朝、上様とお話をしたが、私の言ったことをまったく覚えられないのだ。しかも、脇にいる小姓どもの言葉さえ、上様はまったく理解できないようだ。
上の空という部類ではない。はっきり言って、異常だ。われわれの言ったことが、上様ではない何かに吸い取られる。そんな錯覚さえ覚えてしまった。
今後、上様は飾りに過ぎないと思え。われわれがしっかり実務を取り仕切るからそのつもりで。もし我々が失敗したら、下の人間に責任を押し付けて腹を切らせればよい。では、取り急ぎ失礼いたす。
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