児啼爺がやってきた 伊和七種
1.
口うるさく何かと指図してくる摩耶。付き合い始めた頃はこんなではなかった。同居して打ち解けてきた証左だ。食事を終え洗濯物を畳みおえた後のルーチンのようにおんぶしろとせがんでくるのも理解できる。
三月半ばの日曜の昼、リビングのテーブルの上で、町内ニュースを広げて、
「今年もやるんだ」
摩耶は笑った。
「よく次々と考えつくよね、探し物」
口もとについたパスタのミートソースを人差し指でぬぐいながら続ける。
三十五歳にしては、幼い顔立ちではあるが目元にはっきりとした小じわが寄っているし、時節柄こまめにアルコール消毒をしているので人差し指から小指の付け根までの皮がむけはじめている。
耳にワセリンを塗り、マスクは糊のようなものでずれないように固めているから、素顔の摩耶は泥んこ遊びをしてきた幼子のようである。
柔らかな早春の日差しが、さっきまでリアルに泥んこ遊びをしてきて疲れたのか、昼飯を食べた後ことりと寝入ってしまった一人娘のレイの顔を照らしている。
「そうだな」
摩耶に追従を言って町内ニュースをみる。「神様を捜しに行こう」
冒頭の惹句が目に入る。
町内にある私鉄駅内に操車場がある。そこで開催する春休み恒例企画、
「電車の運転席に乗ってみよう」に相乗りする形ではじまった町内探し物ツアーのことである。
三月最終日曜、八時に駅前に集合し運転席に乗った後で探し物を探し午後五時解散はいつものこと。
「ほう、今年は神様なんだ」
摩耶に訊くともなしにいう。
「そうなのよ、神様なんか捜してどうするのかしら」
摩耶も不思議に思っている。
しばらくしてソファーに目を向けると、クッションに顔をうずめるようにして摩耶も眠ってしまった。
窒息しやしないかと頬に近づき耳をすますと静かな寝息が聴こえた。万一のことを考えあおむけにひっくり返した。
どちらを先にしようかと迷った挙句、手は摩耶の身体に伸びていた。無意識に娘より妻の方を優先した。摩耶の方がこれからの付き合いは長くなるはずである。
娘は二十年もすれば独り立ちしてどこかに行ってしまう。
もっとも、うつぶせ寝で大の大人が窒息死することはないだろうと苦笑しながら、レイの身体もひっくり返し、二人にタオルケットをかけてやった。
おれの知る限りこれまでツアーは目的の物を探せたためしがない。迷い犬、迷い猫、ハクビシン、神社の松の木の上で目撃された白蛇。空き巣の類。まかり間違って家に侵入されると厄介なものたちだ。警察に任せておくだけでは不安だと誰かが放った一言を、町内会長の山本さんが拾い上げたのがはじまりだった。
そう考えると、摩耶の疑問も頷ける。
むしろ、神様が家に侵入してくるのは歓迎されるべきではないか、あえて探す必要もないだろう。
神様と言われて思い出した。
摩耶が背中に乗ってくるまでのルーチンをかえたことがあった。
部屋を暗くし故郷の友人に送ってもらったという蝋燭に火をつけた。
次に冷蔵庫から黄色の液体の入ったコップを取り出し、おれに飲むように目線を送ってきたから一口飲むと摩耶が残りを飲み干し背中に乗ってきて、大きな声で啼きだした。
啼きだすと痩身の摩耶がずしりと重い。思わず床にへたり込んだ。
その刹那、後ろから伸びた手がおれの胸から降りて下腹部までをまさぐってくる。同居していたもののまだ相応の行為には及んだことはなかった、勢いというのか行きがかり上というのか、おれは摩耶を背中から引きはがし床に押し付けてしまった。
摩耶の排卵日の黄金日だったことを後で知った。摩耶は妊娠した。
「お願い事するときは、おんぶしてもらってするの」
摩耶の故郷、徳島県M市ではそうらしい。もちろん神様をおんぶしてお願いする方がいいんだけどなどとも言う。故郷には神様がいるのかと訊ねると、こくりと頷く。
おれは焦りを感じていた、
区役所に走り婚姻届の用紙を受取りサインしろと催促したのだが、摩耶は無視し、かかりつけ医でもらってきた母子手帳を大事そうに取り出してじっと見つめて、帰省すると言い出した。
緊急事態宣言が出ている最中だった。
少し様子をみてからにしないかと言ってみたが、とにかく帰ると取り付く島もない。
摩耶は高校を出て上京して以来十三年間一度も帰省していないと付言した。
それなら、尚更、もう少し、様子をみた方がいいのではないかと、念を押したのが、摩耶という火に油を注いだ格好になってしまった。
2.
M市の実家につくと、義父母と摩耶との間のギクシャクした感じが手にとるようにわかった。
予想した通りだった。三十過ぎの娘が男を連れて帰省してきたのだ。
義父母は、摩耶とおれを、蕎麦屋に連れて行き、予約を入れていた吉野川の流れが見える席に座らせ、山菜の天ぷらとアユの塩焼きがセットになった蕎麦懐石を四人で食べた。
摩耶はフィアンセだとおれを紹介しない。といっても、おれの方から言い出すのもおかしいと思っていた。
おれは、目下、東京の大学の文学部民俗学科の教員をしているとだけ簡単に自己紹介した。
家に戻り、義父はおれに一番風呂をすすめてきたが、まだ外が明るいとかなんとか言って固辞していると、
「それなら、私が入る」
何の遠慮もなく摩耶が風呂に向かった。その隙間に、蕎麦屋でも話し掛けてこなかった義父が口を開いた。
摩耶は幼い頃、物心つくまでは人を見たら、やたら背中に乗りたがった。それには義父も責任を感じている。当地に伝わる児啼爺の昔話を頻々に摩耶にしたからだと言った。
児啼爺は小さな丸っこい身体で山中に一人でいる。寂しかろうと村人が里まで連れ帰ろうとおんぶすると大啼きして叫ぶ。
「こちらでは、児啼爺は神様みたいな存在ですか」
と聞くと、しばらく考えた末に、摩耶はそのように思っているのかもしれないと返してきた。
「柳田国男先生は、児啼爺を妖怪だとおっしゃっていらっしゃいますが、摩耶なりの解釈でいいじゃないですか」
義父は柳田の著書、妖怪談義のことを言っているのだが、義父自身の見解は言わなかった。
それでも柳田国男のことは
「先生はご立派です。ここM市を児啼爺の故郷だとおっしゃった」
義父が言い切った。
おれは、柳田国男研究家としての矜持があったので、そのとおりだみたいに大きく頷いてみせたが、うる覚えだったので後日、調べてみた。
柳田は妖怪談義の末尾、妖怪名彙のなかで、「コナキジジ。阿波の山分の村々で、山奥にいるという怪。形は爺だというが赤児の啼声をする。あるいは赤児の形に化けて山中で啼いているともいうのはこしらえ話らしい。
人が哀れに思って抱き上げると俄かに重く放そうとしてもしがみついて離れず、しまいにはその人の命を取る」
云々と記しているのみ。
直接、コナキジジの故郷には言及していない。
おそらく講演か随筆かなにか、別の機会に児啼爺の故郷をM市に比定したのだろう。
義父はおれが柳田国男の故郷兵庫県神崎郡F崎町の出身だと知ると、そこではじめて児啼爺は神様かも知れないですねと言い出して破顔した。
風呂場の方では、義母と摩耶の話し声が聞こえていた。といっても、摩耶が一方的にしゃべっている。
「秀明さんがよくしてくれるので、大丈夫だよ」
義母は風呂場で、はじめて娘が妊娠したことを告げられたようだ。二人の会話はぎこちない。他人行儀に思えた。
先に戻ってきた義母が、廊下に義父を連れ出し娘の妊娠を告げ、一緒に居間に戻ってきた。
二人して、口をもごもごさせている。おれに、なにか言いたいことがあったようだが、声にはならない。娘は秀明さんがいるから心配はいらないと言っていることだけを告げ、少しだけ頭をさげたように見えた。おれは即座に立ち上がり、ひたすら、無言で二人より深い礼を繰り返したのだった。
翌朝、空港まで見送りにきてくれた義父母は、最後までおれにばかり話しかけてきた。
「わたし、両親に虐められてきたの。わかったでしょう。この三日間で」
搭乗して座席の前のポケットからヘッドホンを取り出していると摩耶は言った。
聞こえない振りしてヘッドホンを頭につけながら、目を三角にしている摩耶に向かって、
「お義父(とう)さん、おれの故郷に行ったことあるってよ。知ってたか?」と返した。
児啼爺の故郷、M市藤川谷に石像ができる前、柳田の故郷F崎を訪れた郷土史家の一人として義父もいたらしい。
「そんなこと、どうでもいいでしょう」
「よかないだろう。おれの故郷を訪れていたんだ。事前にしっていたら、違う展開もあったんだ」
帰省するまえに摩耶がちゃんとおれのことを両親に伝えていないことに怒りを覚えていたのだ。いったい、どういう理由をつけて帰ったんだという顔を摩耶に向けた。にもかかわらず、それの言ったことなど全く気にもかけず、摩耶は腹をひと撫でした。
平成13年に児啼爺の石像が設置された。十歳の摩耶が実母を亡くし四十九日の法要を終えたばかりの頃だった。
石像どころではなかったはずだと義父は回想していた。
そして摩耶十二歳の秋に義父は再婚して義母がやってきた。
「帰省すると言ったとき、あなたは自分のことしか考えてなかったでしょう。お腹、大きくした責任、取らされるんじゃないかって」
「そんなことないよ」
と返したが、おれの目が泳いでいたかもしれない。
「もう、どうでもいいことだけどね。あなた、神様じゃないし」
よくいうよ。摩耶だって、故郷の老親をどう思っているんだ、帰省中のつっけんどんな態度を批判して毒づきたかった。
しかし、空港で義父母に深々と頭を下げられたことを思い出し、
「悪かったなあ」とだけ言って、摩耶に外されたヘッドホンを、もう一度頭につけ音楽を聴きはじめた。
摩耶も気が済んだのか、大人しくなった。
東京に戻り、摩耶が臨月を迎える頃になって、義父母から堰を切ったようにさまざまなものが贈られてくるようになった。
おんぶ紐もその一つだった。
幼い頃、摩耶が使っていたものらしい。亡くなった実母の臭いのしみついたものなのかもしれない。
摩耶はユザワヤに行って、アップリケを買い、一週間くらいかけて大補修をし、臨月を迎えた。
生まれたレイはこの紐でおんぶされ、啼きだすと、
「しっかり啼いて大きくなあれ」
摩耶に言われて育った。
自宅の玄関には、藤川谷の石像の児啼爺の前で撮った写真が掲げられている。
そこには義父母、摩耶、摩耶に抱かれたゼロ歳児のレイ、おれが映っている。啼いている爺さんの前で、田舎者らしい、強張った作り笑いを浮かべているのだった。
その足で、レンタカーを借り、三好から、淡路島を抜け、おれの故郷に行った。
おれは義父を誘った。故郷のカフェの前に児啼爺の、こちらは石の像ではないが、フィギュアがあることをユーチューブで知っていたからだ。
「お義母(かあ)さんも一緒に、児啼爺さん見にいきましょう」
もちろん、義母を誘うために義父にフックをかけただけのことだった。摩耶は、レイに乳をやることで精いっぱいだった。世界にはレイと摩耶しかいない幸せな時間を過ごしていた。チャイルドシートを装着したレンタカーが届き、そのシートにレイ、右隣に 摩耶を、左隣に義母を乗せ、助手席には義父が座った。
外面のいい摩耶は、看護師職で身につけた接客スキルを使い、いい具合に家事を手伝い、いい頃合いなところで両親が話しかけてくるタイミングで相槌をうったりなどして、好感度を上げていた。もっとも話題の中心はレイではあったが、それでもうちでみせる以上の笑顔を向けていたのには恐れ入った。
晩飯を終えたあと、おれは義父を、柳田国男生家や柳田国男が十一歳から一年間暮らした三木家の蔵に連れて行ったが、そこは過去の視察でも訪れていたようで、有り体の関心を示したに過ぎなかった。だが、すでに閉店していていたカフェの前の、児啼爺のフィギュアをみると、すすっと近づきじっと眺めている。
「こちらの児啼爺さん、街中にいらっしゃるんですね。これじゃ啼いて人を陥れて抱き落として殺せませんね」とぽつりという。
「まあ、フィギュアです。街の観光資源の一つですから、愛想の一つもふりまかないといけません。児啼きさんも忙しいです……ほかにも、街中には猫又とか雪女もいますからね」
義父の言葉を軽く流して冗談で返したのだが、義父は納得がいかなかったようで、返事がなかった。
あれから三年、
義父母とも、おれの両親とも、摩耶は、レイを真ん中にして、オンラインでお茶会をやっている。
毎月十五日三時をその日時に決めているようだ。おれが参加できない時間帯である。
3.
二人が寝入って、部屋の奥まで射しこんできた陽射しがまぶしくなったのか、
起き出してきた摩耶に、
「出掛けるんだろう、今度の日曜」
聞くと当たり前だというような顔をした。
摩耶は年に一度のツアーを楽しみにしている。
一緒にスーパーに出かけたり駅前を歩いていたりしているとき、近所の人と挨拶をしている。
「あの人、誰だ? 」
あまりに心安く挨拶をかわしているものだから、思わず、おれが訊ねると勝ち誇ったように、
「二丁目の田中さんよ」
知らないのなどといいたげな声で応える。
丸一日一緒に探し物をするのだから、親しくもなるはずだ。
学生時代からずっと暮らしている街なのだが、おれには街になじみはいない。
摩耶と同居しはじめ、このツアーの存在を知って、
「一緒に行こうよ」
という摩耶の誘いを、何の用があったか忘れたが、一度断ったことを、まだ摩耶は根に持っているようだ。
ツアー当日、
早起きして作ったサンドイッチを持って摩耶は出かけていった。近所の子供に食わせるらしい。
昼近くになり、レイを連れて近くのとんかつ屋に入った。
女将はツアーにでかけていない。主人がバイトと二人で忙しくしていた。
そこに見かけない爺さんがいた。仕切り板の上から禿げ頭が見える
うっかりしていると、いつの間にか仕切り板の向こうで、爺さんとレイが親しげに話をしている。知らない人には気軽に近づくなと常日頃注意しているのに。
爺さんがレイとどっちつかずの身長だったのには驚いた。
摩耶が帰ってきた。手を洗っている背中に「見つかったのか。神様は」
と義理で聞いた。
「見つからなかったけど、きっといると思うよ」
摩耶からこたえが返ってきたところに、
「お昼に一緒にご飯食べたんだ、ねえ、パパ」
レイが横合いから入ってきた。
摩耶に訊ねた神様と爺さんが、どこでどうレイの頭のなかでつながったのか、レイに訊ねるのも面倒になり、昼間のとんかつ屋であったことを思い出していた。
爺さんは金も持たずに、とんかつを食おうとしていたのだった。
おれはレイにせがまれ、爺さんの代金を立て替えてやっていた。爺さんは啼きだしそうな声を出し、
「いずれ返しにきます」と何度もおれにいいながら、うまそうに食べていた。
半年ほど前のことになる。片言をしゃべりはじめたレイが、オンラインのお茶会の場で、義父母にお願いした、
「お爺さんにマスクをしてあげて」
その翌朝には古布で作ったマスクを義父母は、お爺さんにつけた。可愛い孫のお願いだ。対応が早い。昼下がりにはマスクをつけた児啼爺の写真が添付されたメッセージが、仕事中のおれのラインにも届いていたことがあった。
「お礼に来たんだよ」
レイが、おれにとも摩耶にともなく言った。
「なんの? 」
おれのほうが摩耶より先に訊き返した。
「そりゃ、パパ。マスクのお礼に決まっているよ」
金も持たずにお礼にきたのか。おれはそんなことは口には出さずに、
「そうか。そうだったなあ」
レイはご機嫌だった。
その夜、レイが寝た後で摩耶がいう。
「やっぱり、お孫さんだったのよ」
「レイがよく遊んでもらっている、あの子か」「そうよ、レイより一つ上の明日香ちゃん。「山本さんの奥さん、感染症で入院しているんだって。明日香ちゃんが神様が来ているから捜して、おばあちゃんとこに連れて行こうって、しきりに言ったらしいのよ
「それで神様でツアーが組まれたのか」
「そうなの。山本さん、申し訳なさそうな顔しててね。それでも山本さんが必死だから、みんな手をぬけないの。最後は、夕日がまぶしい病院の前の桜の木の下にみんな集まって、空を見上げて、神様って言ってね。新興宗教みたいだったわ」
と思い出し笑いを浮かべ、摩耶は、おれの背中に乗ってきた。さすがに啼きはしなかったが。
「レイ一人じゃ、かわいそうでしょう」
摩耶は継母と合わなかった。必要以上に気を使われるのが嫌だったのではないかと義父から聞いた。
継母は子をつくらなかった。その理由を義父はいわなかった。もしそれが摩耶が継母に馴染まなかったせいだとしても、おれに そういうわけがない。
摩耶は一人娘として育てられた。
幼い頃から、バレエ、ピアノ、体操、コーラス、習い事は可能な限りさせた。ピアノは、神戸異人館近くのポーランド人の自宅まで、義母に運転をさせて、習いに出かけていた。摩耶は学校の勉強もできた。高校は地元の進学校に通った。しかしそこでなにかおかしくなった。クラスメイトが大学受験で四苦八苦している間、家にはいなかった。高知の知り合いが住職に入った小さな寺で、おせったいをはじめた。お遍路がやってくるような寺ではなかったが、それでも見知らぬ人とふれあい、進路を東京の看護師専門学校に決め、両親に授業料から寮の入学金から生活費まで出させて上京した。
神保町の古書店で柳田国男全集をセットで購入したとき、勢いで買った柳田研究本や端本を、本棚に入りきらないから、ネットオークションに出したときに、札を落としたのが看護師になっていた摩耶だった。
「柳田本、父が読んでたの思い出して懐かしくなって札をいれたら落ちてしまいました。驚いています。私に読めるかしら」
というコメントが届いていた。
お互い親近感を覚え付き合いだした。
河童伝説、桃太郎の誕生という著作は、摩耶の机上で積読状態のままのようだった。
柳田国男は、幼少期に見たという河童のガタロウの故郷がどこだったか、著作の中では明らかにしていないのに、なぜ児啼爺の 故郷に言及したのか、おれには腑に落ちなかった
4.
四月に入り義父母から届いた鳴門金時を持って、家族三人で山本会長宅を訪れた。
外で遊んでいた明日香が
「レイちゃん言ってた通り神様やってきたねねえ」
「そうでしょ明日香ちゃん」
レイは自慢げに言い放って胸を反らした。「おばあちゃんもうすぐよくなるって」
明日香はレイを庭の方に連れていこうとする。
「駄目だよ。レイ。すぐ帰るんだから」
困った顔をして、摩耶が二人の後を追っていった。
おれははじめて会長と二人きりになった。
「いらっしゃってもらえませんね」
ツアーのことのようだ。
「土日もないお仕事をされているから仕様がありませんね。来年からはレイちゃんも出てこられると摩耶さんから聞いてます。明日香も喜びます。ツアーもにぎやかになります」と会長は笑った。
「すみません」
心にもない返事を返したが、心底では、上とんかつ定食千五百円の代金を児啼爺から回収しないと気が収まらなくなってきた。
そして、摩耶が色目を使っておんぶをせがんで、二人目に応じてやるのも、おれをツアーに連れて行くと約束しない限りは、断固拒否してやろうと思った。
了
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