ガゼル

ビビ・カンナナ

小説

2,104文字

The life of a wild animal always has a tragic end.
    ―――“Wild Animals I Have Known” by Ernest Thompson Seton

秋はさびしいから嫌いだとあなたが言ったとき、私にはそれが嘘だとすぐにわかった。もう冬服に変わっていた冴えない制服を少しでもましに見せようと、短く折ったスカートでもたついた腰回り、緩めたネクタイ、第二まであけたボタンと背中に背負ったサブバックが滑稽だった私たちは、同じ色つきのリップクリームを塗っていた。整えた眉のした、二重まぶたに生えたまつ毛の先を見つめるように、あなたは上手に黄昏を演じて見せる。

うすい唇が好きだった。うすくて形のいい唇が、わざとらしく持ち上ったり下がったり、歪んだりするのをずっと見つめていたかった。どこかで聞いたことのある軽薄な言葉や流行りの歌詞のような安っぽい憂鬱がそこからこぼれて、それが陳腐であればあるほどにぞくぞくした。

夏のあいだあなたが夢中だった男の子は、先週はもうちがう女の子と手をつないで歩いていた。笑うときには恥ずかしそうに口もとをおさえて、いつも前髪がまっすぐ整えられていて、すぐにごめんねと言うのが癖の女の子。あんな子どこがいいんだろうってあなたは言ったけど、私は彼がどうしてあの子を選んだのかわかるなって思ったよ。

去年の夏に一緒に行こうと約束したあのプールも花火大会も、サッカーボールとセックスのことだけで頭がいっぱいの彼とあなたが行ったのを私は知っていて、でもそんなことは全然平気だったのだ。約束を反故にされたことよりも、あなたが約束をおぼえていてくれたことにおどろいた。それだけでもう十分だった。かなえられた約束は消えてしまうだけだけど、かなえられなかった約束はずっと消えることがない。

あなたが彼とさよならをして私の部屋で泣いたとき、ほんとうは頬を流れる雫をぜんぶ舐めとってあげたかった。動物みたいに。彼の前では泣かなかったよと言うあなたの手垢まみれの台詞にうなずきながら、もしも今その首筋に噛みついたらどんな味がするんだろうとそんなことばかりを考えていた。

ライオンがガゼルを食い殺す動画を私は何度も何度もくり返し見る。最初はあばれていたガゼルが、だんだん弱って動かなくなるのを見ながら、自分の性器がじんわりと温まっていくのを感じる。おろしたパンツの染みを見ながら、でも私はあなたを食べたいわけじゃないと心のなかで言い訳みたいに言ってみる。もちろん、それはまんざら言い訳というわけでもなくて、だって私はあなたを食べたいだなんてちっとも思っていないのだ。

けれども夏の帰り道、いつものコンビニの駐車場でアイスを舐めているときに、あなたのうすい唇からちらちら見える赤い舌がどんなふうにざらついて、どのくらいあたたかいのかを確かめてみたいと心底思う。あなたがいつも買うのはきまって六十七円のサイダー味の棒アイス。舌のうえで青い色が溶けだして、あなたの舌を染めていく。私はいつもそれに見とれてしまうから、自分のアイスがどんどん溶けていることに気づかない。指先に滴ってきた汁のつめたさに声をあげる私を、あなたはいじわるな声で笑う。私は指先を舐めながら、笑ったときに見えたあなたの青い舌を頭のなかで反芻する。

あのとき、まだ半袖だったブラウスからは色つきのキャミソールが透けていて、私はそのキャミソールの手触りも、下にあるブラジャーの刺繍もまるで自分がつくったものかのように子細に思い描けたけれど、左右で大きさの違う胸の重さと薄桃色の突起のかたさはわからなかった。

あの日、ベッドのうえでヘアワックスと汗と脂のまじったにおいをかぎながら、生まれてはじめて神さまを信じた。神さまは青い舌を見せながら、私を指さして笑っていた。彼の手のひらが私の乳房を包みこみ、節ばった指がぎこちない動きで乱暴に私のなかを掻きまわしているあいだじゅう、あなたのことを考えていた。あなたの乳房を包んだ手のひら、あなたのなかで濡れた指、あなたの名前を呼んだ声。いいの、と訊かれていいよと答えた。私の腹に圧し掛かり、規則的に揺れる腰。痘痕だらけの額。眉間には皴を寄せていた。私はその顔を、もっとしっかり近くで見たくて、彼の両頬へ手をあてた。あ、と短い悲鳴を漏らし、彼は両腕を私の肩甲骨の後ろに回して動かなくなった。

私は彼のうなじを撫でつけながら、とうとう喉を食いやぶられた瞬間のガゼルのことを思った。シーツに血はつかなかった。私のささげた真心は、青い舌の神さまが一滴残らず舐めとった。あなたによく似た神さま、神さまによく似たあなた。あなたはだけど神さまじゃないから、何にも知らないふりをした私にむかって、今日も黄昏を見せつける。私はあなたの黄昏を、そのあまりにも幼稚な玩具を、踏みにじって唾を吐き、罵り蔑んでやりたいと思う。泥にまみれてずたずたになったそれを抱きあげて、ほおずりをして口づけて、甘い言葉を囁きながら、涙をふいてやりたいと思う。

秋はさびしいから嫌いだとあなたが言ったとき、私にはそれが嘘だとすぐにわかる。そう思わない? 訊かれた私は、何の迷いもなくそうだねと答える。踏みつけられた枯れ葉は音をたて、足を離すと千切れてばらばらになっている。幾度かそれを繰り返し、私たちはまた明日ねと手をふりあう。

2022年8月6日公開

© 2022 ビビ・カンナナ

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