幸せの輪郭

篠宮

小説

1,462文字

 会社から帰ってすぐに布団へ潜り込んだいつもの夜、ドアをがんがんと激しく叩く音がして目を覚ました。どなたですかと言うまえに、ドアのむこうから「あけて」と不自然にか細い声がした。大きな荷物を引きずった、すこし疲れた様子の真吾だった。
 俺が何を言おうか迷っていると、真吾は**山へ行くんだと言った。いつものように痩せた身体へたくさんの衣服を重ね、暖かそうな毛皮までまとった真吾は、えらくこぢんまりとして見えた。俺ははじめから決められていたことのように、父親からなかば奪い取るかたちになっている仕事用のライトバンのハンドルを握った。運転しながら、助手席で眠る真吾の髪が伸びていることを知った。大きな荷物を押し込んでいる横顔がきれいだったから、意識をしたのかも知れない。もう三年近く真吾との付き合いは続いているのに、そうして客観的に見ることは、ひどく懐かしいことのように思えた。
 使い込まれた運転席のシートはあまり座り心地がよくない。とりあえず音楽でもかけようか、でもそんな雰囲気でもないかな。だいいち、この車になんのCDを積んでいたのかも知らないんだった。真吾を起こすのも悪いなと、そのまま音楽は鳴らさずに車を走らせた。
 高速を一時間ほど走り、やがて**山のかたちが見え始めた頃、真吾は目を覚まし、「ここ、どこ」と、ぐずる子供のようにボソボソと喋った。
「もうすぐつくよ」
 そっか。まだ半分夢のなかにでもいるのか、短くそう返してくれたものの、助手席を見ると真吾はシートのうえで身体をまるくして落ち着いていた。猫みたいだ。そう思った。
 ほとんど山へ近づくと、ほかに走る車も減った。車を走らせている感触と真吾を乗せている感覚だけが、夜の闇以上に明確な輪郭を持ちはじめた。眠る真吾は、死んでいても気づかないだろうというほど静かな寝息をたてていた。こんなに満たされている夜は何年ぶりだろうか。
 山中に入り込み、どこへ行けばいいのか問うと、体勢を変えずに身体をまるくしたまま「ずっとおくのほう」とつぶやく。ずっと奥。それはどこなんだろう。考えながら、来た道を見失わない程度に“ずっとおく”らしい場所を目指した。三十分ほど、なんとか車が通れそうなぎりぎりの道らしき場所を通り、ライトと記憶力がいくらあっても苦しくなってきたところで停車した。
「真吾、これ以上は戻れなくなる」
 話しかければ、ん、と小さく声をあげ、ゆっくりと身を起こす。真吾は死んでいなかった。
「これ以上進んだら戻れなくなるよ、真吾」
「そっか、もどるのか」
「帰らないの」
「かえる」
「どうする。もっと奥に行くなら、降りたほうがいい」
 真吾はゆっくり様子をうかがうようにあたりを見回し、ペールブルーの髪を揺らして、こくりと頷く。もっと奥のほうが真吾に理想の場所だという実感をあげられるのに、この場所が限界だな。すこしだけ悔しかった。
「ここでいい」
「明日も仕事だから」
「うん、ごめん」
「はやく帰ろう」
「うん」
 作業と呼ぶには生々しい時間がはじまった。真吾は大きな荷物を、袋のまま土へ埋めた。埋めるための穴は、三時間ほどかけてふたりで掘った。そのあいだ、俺たちは一言も交わさなかった。父親のものであるはずのライトバンには、真吾のためにしつらえたのかと思うほど、何もかもが積み込まれていた。スコップも軍手もロープもタオルも、すべてがふたりぶん揃っていた。土まみれのタオルと軍手をダッシュボードへ放り込むと、俺たちは穴があった場所のうえで抱き合った。

2014年5月3日公開

© 2014 篠宮

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