コロナは続くよどこまでも

天汁ちしる

小説

4,429文字

検査やんなきゃいいじゃん。そしたら、陽性でも陰性でも分かんないままでしょ。

私はその時、奇妙な静謐のなかにあり、どこからともなくわき上がってくるどうしようもない焦りとたたかっていた。これは私のたたかいであり、彼女のたたかいでもあった。

彼女というのは町田のり子のことでのり子は既婚者だが、私と関係を持ってもう二年ほどになる。かく言う私も既婚者で妻のちさとの間に二人の子供がいる。

のり子とちさは見た目はもちろん性格もまったく違う。のり子はか細い腰と尻と薄い乳を持ち、ちさは大きな尻と乳の持ち主で、ついでに腰まわりもなかなか大きい。

のり子はショートカットでちさは腰くらいまではあるロング。性格も対照的でのり子が本音をズバズバ言って遠慮なくキレるのに対して、ちさはあくまで温厚で決して自分の本音を明かさず、最後の最後まで相手に合わせる。

顔ものり子がつくりのはっきりとした濃い顔立ちなのにたいして、ちさはほんわかとしたぼんやりとした顔をしている。

のり子から電話がかかってきて、いきなりこう言われた。

「ごめん。まぢで。陽性。PCR陽性」

濃厚接触どころかベロチューを含む濃厚なセックスを一昨日したところだ。

「分かった。大丈夫? 熱とかは?」

「ない。ちょっと喉があれかなってくらい。ほぼほぼ無症状」

「あ、そう。よかった。濃厚接触者だけど、言わなくていいよね」

「なんか症状出てない?」

「うん」と私は答えた。「いまのところは大丈夫」

今朝から喉が少しだけ引っ掛かるような感じがしていたが、そのことは言わないでおいた。

「じゃあ、いいんじゃない。感染してないよ。たぶん」

「旦那さんとお子さんは?」

息子さんの小学校で流行っていて、学級閉鎖や学年閉鎖が相次いでいると聞いている。

「いや、もう全員陽性。あの会った日の次の日に息子が三十八度の熱出して、小児科連れてったら抗原検査で陽性出て、一家全員PCRやんなくちゃいけなくなって」

私はしばらく絶句した。じゃあ、おそらく私もダメだろう。

「大変だね。頑張って。お大事に?」

「だから症状ないんだって。いたって元気。陽性だけど。息子ももう熱下がってゲーム三昧。で、待期期間二週間って言われたから、来週いっぱいまで家出られない」

「へぇ、結構長いね。食事とかどうするの?」

「んなもん、スーパー行って買うに決まってるでしょ」

あぁ、見た目じゃバレないからな。

「俺も陽性だったらどうしよ」

「検査やんなきゃいいじゃん。そしたら、陽性でも陰性でも分かんないままでしょ」

ああ、そうか。黙っておけばいいのか。

「分かった。そうする」

「そうして。だから、一応知らせておこうと思って」

「OK。ありがと」

電話は切れ、私はきょろきょろと周りを見渡した。みなパソコンとにらみ合って真面目に仕事をしている。

のり子が陽性か。ああ、マズい。そう言えばあの日は安全日だからと言われたから、ゴムもつけなかった。口もあそこも似たようなものだろうから、上下二箇所でこれ以上ないくらい接触していたことになる。

症状さえ出なければ大丈夫だ。多少の熱くらいは我慢して無視しよう。そもそも計らなければいい。そうすれば絶対にかかっていてもバレない。

「えとさぁ、これのことなんだけど」

後ろからいきなり声を掛けられ、私は全身がビクッとなる。

「あ、はい!」

振り返ると、小宮山部長が書類を手に立っていた。

「この数字おかしいと思うんだよね。こんなんじゃさ、ダメだよ。分かるでしょ。もっと焦んないと。電話かけて最低でも三百はいってもらわないと」

それならまずお前がやってみろと言いたかったが、ここは会社で私は大人なので無論そんなことは言えない。

「あ。すみません。二百くらいはいけるかと思ってたんですが」

「思ってたって! そんなもん、子供じゃないんだから」

「すみません」

書類を私のデスクの上に放り投げ、腕組みをしてこちらを睨みつける。

「謝ったってしょうがないんだって。ほら、そんなこと言ってる暇あったら電話しろよ」

完全なるパワハラだった。この世代はこれを堂々とやる。悪いことをしているとはまったく思っていない。

「はい。かしこまりました」

そう言って私は投げ出された書類を手に取り、電話の受話器を取った。

「あ、こちら──」

そう言って不毛な作業を私は始める。相手にとっても迷惑でしかない電話。気の弱い人が出れば押して押して頼み込んで大きめの数字をもらう。正直、相手はあとで困るだろうと思う。でも仕事だから私はそれをやる。やり続ける。こんなことを堂々と仕事と言い始めたのはいったいどこの誰なのだろう。

夕方あたりから喉が痛み始め、熱も上がってきている感じがした。電話口でもたびたび咳き込み、そのたび謝っていた。

「ちょっと熱っぽいんで、定時で上がります」

かれた声でそう言いに行くと、小宮山部長はギョッとした顔をした。

「コロナじゃないよな?」

「ちょっと分かりません」

陽性者が出ればちょっとした騒ぎになり、このオフィスにいる人たちも検査対象になるだろう。

「怖いこと言うなよ」

そこで私は多少大袈裟に咳き込み、着けていたマスクを右手でおさえた。

「……あー、もうダメかも」

ぜいぜい言いながらそう呟くと、小宮山は椅子を引いて私から距離を取りながらこう言った。

「じゃあ、もう帰れよ。いいから」

「あ、はい。……そうします」

ぺこりと頭を下げ、私は自分のデスクに戻った。半分くらいは本当だった。小宮山にコロナがうつっているといいのだが。

四時半過ぎに会社を出て、駅まで歩いた。マスクをしているのが息苦しくなってきて、信号待ちの時に外してポケットにしまった。

こんな状況下でもマスクをしていない人は一定数いる。だいたい五十人に一人くらいの割合で、だいたい中高年の男性だ。病気など特段の事情がない限り、同調圧力に対する抵抗なのだろうと思う。コロナごときで大袈裟に騒いでんじゃねえよ、と。あとは肥満体の人ですぐに息が上がってマスクなどしていられない人か。

駅に着いてホームに上がると、さすがに圧がすごくなった。人と人との間隔が狭く、さらにこれから電車という非常に狭い空間で密集することになるわけだからマスクしないわけないよね、とマスクの上、心の窓的な意味を持った皆の二つの大きな目がむき出しの鼻や口や頬やアゴに突き刺さる。背徳感と反発心でぞわぞわする。空気を読まないという行為が、たまらなく気持ちいい。

電車に乗り込むと、さらに視線が厳しくなり、トラブルの気配すら漂いはじめた。皆じろじろとあからさまな非難の視線をぶつけてくる。

さっきから我慢していたのだが、ここで咳をしたらどうなるだろう。昔の結核患者のようにゲホゲホとこのまま死ぬんじゃないかというくらい咳き込み、吐血でもしたらどういう反応が返ってくるだろうか。

そんなことを考えていたらやらずにはいられなくなってきて、右手を口に当てると、うっと呻いてから私は、グエッホ! グエッホ! ググググェッホ! と力の限りに咳をした。

私はその時ドアの前に立っていたのだが、周りにいた人たちが顔を引き攣らせて私から距離を取ろうと一気に散っていった。

唾の付着した右手をそっと見て、「ち、血だ……」と小さく呟いた。実際には痰とよだれしかなかったのだが、手の中は私にしか見えない角度だった。

「おい、マスクしろよ!」

鼻出し黒ウレタンマスクをしたオラオラ系の男にそう怒鳴られた。

「あ、はい。すみません」

私はすぐにポケットから白い不織布マスクを出してきっちり着けた。実際にトラブルになるのは避けたかった。凄まれたり、殴られたりはしたくない。

次の駅で降り、バスに乗った。どうしようか。不倫相手とは無論言えないから会社で陽性者が出たと言ってアパホテルにでも自主的に隔離生活をしようか。子供たちやちさにうつしたくはない。でも、昨日も家の中だから普通にマスクなしで接していたし、夕飯の時もしゃべりまくっていた。今更なにをやっても遅いだろうし、うつるんならもううつっている。

家の前のバス停でバスを降り、鍵をあけて家に入った。

「帰ったぞー!」

そう怒鳴っても、家の中は静まり返っていた。

「おい、帰ったって……」

リビングのドアを開けると、ソファにちさが横たわっていた。

「こんな時間からなに寝てんだよ」

テーブルの上には体温計があって、まさかと思って電源を入れてみると、四一・七度という信じ難い数字が出てきた。

「おい、ちさ! 大丈夫か?」

身体を揺さぶってみたが、反応はない。鼻の前に手を当てても呼気はなく、マフラーをぐるぐる巻きにした首筋に指を当ててみたがそこに脈は感じられなかった。

死んでいる。

まさか。そんな。

子供たちはどこだろう。もう学校からは帰ってきているはずだが。

二階へ上がると、子供部屋の二段ベッドにふたりともいてホッとした。布団にくるまってよく寝ている。熱を見ようと私はまず長男の方の額に手を当てた。ひんやりと冷えていて、熱はないようだった。おまけに生気もない。下の段の妹の額にも手を当てたが、こちらも冷たい。二人の手首を持ち、脈をはかろうとしたが脈そのものがなかった。

何が何だか分からなくなり、救急車を呼ぼうと私はスマホを取り出した。すると、速報ニュースでコロナの亜種が首都圏複数箇所の医療施設で確認され、市中感染が起こっていると出ていた。ああ、また亜種かと思ってそのニュースをタップすると、今度のもやはり南アフリカ発祥でBAα型というもので、感染力が強く、致死率が高いというのが特徴とのことだった。都内で今日だけで約八千五百人の感染が確認され、死者は六千人を超えるとの予測が出ていた。致死率は八割超。国はエボラ出血熱並みの特定感染症一種の指定を検討中──。

スマホをポケットに戻し、喉の渇きを感じた私は冷蔵庫を開けるとビールの缶を開けてがぶ飲みした。一缶空けても渇きは収まらず、二缶目も続けて飲み干した。

天井と床がぐるぐる回っている感じがして、私は台所の床に尻もちを着き、そのまま寝転がった。

寒い。なんでこんなに寒いんだ。

手足が震え、歯の根が合わずカチカチいっていた。のり子のがあのニュースに出ていたBAなんとかという亜種なのだろう。私はこのまま死ぬのかもしれない。

のり子と関係を持っていなければこんなことにはならなかった。私は犯した罪に対する罰を受けている。つまり、つけが回ってきたということだ。

気づくと目の前にのり子の股間が迫ってきていた。私の顔に尻を近づけ、顔面の上にしゃがみ込もうしている。性器と肛門がよく見える。垂れ下がったおっぱいに隠れて顔が見えない。これは本当にのり子だろうか。こんなにおっぱいが大きかっただろうか。でも、下を向いていたらのり子でもこれくらいはあるかもしれない。ちさは腰回りや尻の大きさがこんなものじゃないから、このおまんこと尻の穴はちさのものじゃな──。

女は私の顔の上に腰を下ろし、大きな性器が鼻と口の気道をふさいだ。

私は息が出来なくなり、まもなく死亡した。

 

 

[了]

 

2022年5月15日公開

© 2022 天汁ちしる

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

リアリズム文学 実験的

"コロナは続くよどこまでも"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る