探偵者

地獄に寄り道、曲がり角(第3話)

TURA

小説

3,509文字

市販の宝の地図にあった、秘密の抜け道を駆け出した彼。

「退屈だ。」
そう、栞なんかを探すほどに。散らかった部屋を引っ掻き回しながら、僕はそう呟いた。別に、見つけたところでどうという事もない。見つかれば、また忘れてどこかに失くしてしまうだろう。それでいいんだ。やることが無いよりはマシだ。そんな無駄な時間を過ごして、生活に空いた穴を無理やり塞ぐ。
それもこれも、全部冬休みのせいさ。授業は無いけど補講はある。でも、どっちでもいい。直接卒業には、関係なんてないんだ。この部屋で、何かに急くでもなく寛ぐでもなくダラダラと過ごしていた時に、ふと思い出した、あの栞。紙で出来た栞だった。本屋でいくつかの小説を買った時に、タダで付いてきたあの栞。
小さな針葉樹の枝の側に、青い鳥が描かれている。色は無く、全体が濃いベージュのデザインだったはず。あれ?それなら、なんで青い鳥だと思ったんだろう。何度か使ったはずだけど、目に付かなければ忘れる程度のニュアンスで気に入っていた。一体どこにやったっけ。
僕は、部屋の中を荒らして回った。なるほど、こうやって、次の遺失物を生産しているんだろう。次に見つけたくなる物はなんだろうな。そうやって服やら漫画やらを散々ひっくり返した挙句、余り着ないパーカーの下に、一冊の文庫本を見つけた。
表紙の埃を手で払い、タイトルに目をやると、いつだったか、近所の古本屋で買った、哲学関連の洋書だった。僕は、その控えめな装丁の本を片手に、やりかけの宿題を見つけた気分になった。そういえば、意気込んで買ってはみたものの、あまりに難解で、途中やめにしていたんだっけ。嫌なものを見つけた。そう考え、彼の名前とタイトルを眺める。
この本の著者が、どんな人生を生きたのか、詳しくは分からない。ただ、独自の哲学を必要とする程、波乱に満ちていたことは確かだ。海原を滑る帆船。彼だけが知る、彼だけの苦悩と栄光。それに比べ、僕の人生は、どんなに緩やかだろう。永遠に続く地平線。笑ってしまうほど扁平だ。まるで、心肺停止を示す、心電図の様に。僕の昏睡した人生は、いつの日か電気ショックの衝撃で、息を吹き返すだろうか。
僕は、彼の躍動する人生を、再び開き直す。この本には、彼の魂の運動が印刷されている。必然的に開かれたページに、件の栞が挟まってあった。外国の見知らぬ街を、ガイド無しに歩いてゆく観光客の様な足取りで、読み進めてみる。どこもかしこも外国語ばかりで、何もかもよく分からない。これなら、翻訳されていようがいまいが、関係無いな。使い慣れた苦笑が漏れた。
閉じるでもなく開くでもなく次のページをめくる。すると、ボールペンで引かれた線がふと目に入った。ああ、古本だもんな。前の所有者の痕跡ぐらいあって当然だな。そう思った。前任者の彼もまた、この異国の街と格闘したんだろうか。休憩所を設けながら、なんとかこの街を攻略しようとした。僕は少し嬉しくなって、そんな彼の強調線を探し始めた。
どこまで行ったんだろうか。もしかするとどこかに、ちょっと行った裏路地にでも、彼の、のたれ死にの死体があるかもしれないな。そんな意地の悪い下心も、顔を覗かせる。僕は、ページに刻み込まれた彼の痕跡を辿ってみた。そうすると、しばらくするうちに強調線の傾向に気が付き始めた。この本の本旨や、言葉自体よりも、まるで己の哲学や価値観を肯定する為の注釈とする様に線は引かれている。俄然、彼のことが気になり始めた。古本はよく買うので、古本の強調線自体は、初めて目にしたことではなかった。そこから、人物像を想像する遊びも、かつてしたことがあった。
古本への書き込みから作る人物像には、特徴がある。それは、彼本人の言葉ではなく、他人の言葉に投影して出来た人物像だという点だ。僕たちは一般的に、人の言動から、その人の人物像を推測しながら生きているが、本への書き込みや下線の場合、他人の言動に基づいている。他人の言葉を、カメラで写すように、残しておくわけだ。
その本の筋上、重要だと考えたのか、心の琴線に触れたのか、いくつかの場合が考えられるが、兎も角、彼の心になんらかの磁性を発生させたのは間違いない。ある写真アルバムから、その旅を想像する事ができるように、僕は、人物像を推察している。もちろん、この人物像の彫刻は、たいていが僕の妄想であり、幻想だろう。ただ、実際の人間関係も、相互の誤解の上に成り立っている場合が多いから、別に問題はないだろう。誰もが、蜃気楼を目指す亡霊のキャラバンなのだ。
強調線を追いながら、一つ考えていたことがあった。古本屋という業務形態に詳しくはないが、もしかすると、この近くに、強調線の彼が住んでいるのではないかという疑問だった。店舗同士で商品をやり取りしていない限り、この本は僕が買った場所で、売られたはずだ。つまり、この本を売り渡した人間が、この町に住んでいる。その可能性は高いんじゃないだろうか。
恐らくは、孤独な彼。いや、彼女だろうか。同じ街を彷徨ったよしみ。唐突に、下世話な好奇心に囚われる。探してみようか。出来ることなら、聞いてみたい。この町で何を見つけた。何を見失った。
静電気程度ではあれ、電気が走る。散らかった部屋の床から、隠し通路が見つかる。
「見つけたいものを見つけたぞ。」
僕はそう言って、下線が引いてあった言葉をメモ帳に記録し、栞を破り捨てた。
さて、そんなわけで、今回僕が目指すことになった蜃気楼の話だ。
捜索に乗り出すのはいいが、手がかりは一体なんだろう。やはり、あの古本屋だろうか。例の古本屋に張り、来客を具に観察、そして販売傾向を確認、そこから割り出すか。恐らく、それが最も現実的だろう。これならなんとか見つけられそうだ。
ただ、それではだめだ。美しさが無い。推理小説的な、華麗さが無い。遊びに相応しいでたらめさも無い。必死に捜索した結果、現れたのがくたびれたおっさんだったらどうする。骨折り損もいいとこだ。過程を楽しむからこそ、遠回りをしようじゃないか。なんせ、これは暇つぶしなんだ。キャンパー達は、灰を生産するために、焚き火をするわけじゃないだろう?
そういえば、線を引いていたのは、黒のボールペンだ。これはどうだろう。インクや径から、販売店を特定。どうだろうな。ボールペンだけではだめだ。こんな大量生産品を調べたところでどうにもならない。そもそも、これも面白みがない。
やはり、まずは引いてある言葉からある程度の人物像を推測するのがいいだろう。例の彼は、ぐずぐずしていても、海外逃亡をするわけではないんだ。じっくりやろう。そう考え、僕は分析に取り掛かろうとしたが、今回の彫刻は、いままでとは一味違ったのだ。
僕を困らせ、そして喜ばせたのは、やはり哲学書である点だった。普通のサスペンスやホラー、ロマンスなんかの物語小説なら、センシティブな文言が連ねてあるから、強調線が引きやすいし、その分人となりも読みやすい。その上、書籍のカテゴリー上の特性まである(好むジャンルによってそもそも性格に傾向がある)。そのために、僕は割りと簡単に、人物彫刻を行うことが出来た。
しかし、哲学書ともなると、中々難しい場合が多い。そもそもが、我々一般人が知り、目に触れるレベルの哲学者というのは(哲学者に限らず、芸術家や学者に至るまで)、超特級クラスの天才達ばかりだから、彼ら特有の宇宙言語を話していることがしばしばある。そこに引かれた線から、何を想像すればいいのだろう。どこを映したのか分からない写真から、旅路は見えない。
僕の興味は、普遍的で、言うなればありふれた人間性だ。ローカルで高度な知性には、特に興味が無い。ただし、我々と同じ材料で、我々とは違ったものを作る人間には、興味がある。未知の木材があれば、特異な建築はできるかもしれない。しかしそれは、途絶した、向こう側の世界だ。ともかく、難しいのだ。ただ、勝算と言うか取っ掛かりと言うか、ひとつの鍵になる線の特徴もそこには見てとれた。
これは、初めから気になってはいた。孤独の彼は、ある言葉に拘っている。彼は、何故だか「熱」という言葉、もしくはそれに準ずる言葉に兎も角こだわっている。情熱、熱量、そして、火。ある文章中で、比喩に用いられた火という言葉にも、強調線は引かれている。情熱という言葉を分割してまで、「熱」に線を引いている。「熱」の何がそんなに気になる?
しかしこれなら、欅や檜なんかを使っているかもしれないぞ。僕は、こんな間接的な方法を用いなければ、人間に興味も持てない。死にもしなければ、殺されもしない血の気の引いたこの生活。舞台丸ごと、貧血でぶっ倒れそうだ。

2022年5月3日公開

作品集『地獄に寄り道、曲がり角』第3話 (全9話)

© 2022 TURA

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