ディンゴ・ブルー 12

ディンゴ・ブルー(第12話)

鈴木沢雉

小説

4,249文字

カリフォルニア州ロンポック連邦拘置所における北見誠司の接見メモ その12

「AR-15だね。オプションは何か要るかい」

赤髪で白髪まじりの髭を生やした店長は中部訛りの英語で鷹揚に訊ねました。僕は首を振りました。

「いや、要らない。弾を百発と、予備の弾倉を二つ」

ロイ・ファイアーアームズ・アリゾナと書かれたラベルのぶら下がるライフルを店長から受け取った僕は、それを構えて店内の物に適当に照準を合わせてみました。覚悟はしていましたが、やはり相当重かったです。

「身分証明書と、これに記入を」

店長はカサカサに乾いた紙切れとボールペンを寄越してきました。僕はパスポートと狩猟許可証をカウンターの上に置きます。店長がそれらを検分する間、僕は何食わぬ顔で様式に必要事項を記入していました。内心はかなり緊張していました。田舎の銃器店ではグリーンカードを持たない外国人は銃を所持できないと勘違いしているところもあると聞いていたんです。僕はできるだけ自然に、金持ちのアジア人が中西部のどこかに別荘をもち、道楽でハンティングを楽しもうとしているふうを装いました。僕がわざわざアリゾナで狩猟許可証を取ってユマの銃器店までやってきているのも、カリフォルニア州は銃器の取得制限が厳しいためでした。ここでなら、学生ビザと州の狩猟許可証があれば銃は買える。法律的にはそうでしたが、店員にいらぬ疑念を抱かれては面倒なので、僕は努めてそれらしく振る舞おうとしました。

僕が太平洋を渡ってここにたどり着くまでには様々な歯車の狂いというかボタンの掛け違いというか、僕の力ではどうしようもできない諸々のズレがありました。

ばあちゃんが認知症になったのはあの鵜飼の日にばあちゃんちを訪れてからそう長くは経っていませんでした。長男つまりお父さんのお兄さんが責任を持って面倒をみる、と嘯いていたことがすべてをおかしな方向にもっていきました。伯父さんは自分では何もせず、自分の奥さんにすべてを押しつけました。認知症ばかりでなく足腰の弱りや内蔵の疾患を次々と患ったばあちゃんの世話に奥さんは忽ち音を上げました。他の兄弟に頼ろうとしたが、伯父さんは自分が面倒をみると大風呂敷を広げた手前、それを許しませんでした。しかしそれでも自分で何か介護らしいことをしようとはしませんでした。

見かねたお父さんたち三人の兄弟姉妹は伯父さんを説き伏せて兄弟会議をもち、ばあちゃんの介護を皆で分担することにしました。お父さんたちは良かれと思ってやったのに違いないですが、ばあちゃんの状態はそんな生易しいものではありませんでした。介護の肉体的あるいは経済的な負担をめぐって四兄弟間で反目が生まれ、また兄弟もそれぞれ配偶者との間で意見の相違をみたり、兄弟会議の決定自体に対する不服で衝突したりと関係を悪化させていきました。

お父さんの妹夫婦はそのせいで離婚、弟夫婦は本人がアルコール依存になり奥さんはノイローゼになって入院しました。それぞれの子供も警察沙汰を起こして少年院に入所したり保護観察の下におかれたりしました。お父さんはケータイ販売店の職を失い、ばあちゃんが亡くなるまで無職でした。その間お母さんがスーパーのレジ打ちのパートでなんとか食いつなぎましたが、姉ちゃんはバレーボールを諦めなければなりませんでした。高校を中退して飲食店で働き始め、そこの店長と同棲し始めました。

ほどなく子供が生まれましたが、この店長というのがどうしようもないDV男で、姉ちゃんは子供を守るために別れようとしました。未婚の母ということもあり法の庇護はなかなか受けられませんでした。シングルマザーや婚外子を支援するNPOの助けを借りるなどしてようやくDV男と縁を切った頃には身も心も疲れ果て、姉ちゃんは次第に精神を病んでいきました。ある時ついに子供を手にかけようとして児童相談所に通告されました。姉ちゃんは不起訴処分になりましたが、子供は施設に預けられました。

柴犬のイチはリードを外して山で遊ばせていたところ、イノシシと間違えられて猟師に撃たれました。血を流して苦しむイチを動物病院に担ぎ込んで処置を待つ間、僕はひたすら自分を責め続けました。全身に食い込んだ散弾を摘出しようとしましたが、その数と傷の深さをみた獣医はもう助からないと判断しました。僕にできるのは、最期に苦痛を和らげてやる処置に同意することだけでした。

イチが猟犬に向いているかどうかを本職の猟師に見立ててもらう、という希望はついに叶えられませんでした。しかしその結果からするとおそらくイチに猟犬のシシツはなかったのでしょう。

浅田は雄ちゃんとは付き合いませんでした。というか雄ちゃんは結局浅田をどうこうすることなく、アメリカへ渡ってしまいました。そのことは僕にとっては僥倖でしたが、中学生のとき浅田に告白した僕はあっさり振られてしまいます。浅田には「今付き合っている人がいるから」と言われましたが、それが誰なのか、その後どうなったのかについてはまったく興味がありませんでした。以来、僕は異性というものを避けるようになりました。

何かの世間話のついでに風の噂で聞いたところによると、雄ちゃんのおばあちゃんも認知症を発症し、要介護状態になったのだといいます。雄ちゃんのお父さんはすぐにおばあちゃんを老人ホームに入れました。入所時の一時金に数千万円、毎月の費用も十万円以上かかるホームでしたが、一度預けてしまえばもう家族には何もすることがありません。あとはただ会いたいときにいつでも会いに行けば良いだけなんだそうです。

僕には、「怒れる白人男性」がどうして銃規制に頑なに反対するのか、やっとその理由が実感としてわかりました。スタンフォード大学に進んだ雄ちゃんを追いかけ、短期の語学留学生としてビザを取得し、カリフォルニアの地に降り立ったのもすべてそのためでした。

雄ちゃんがアメリカに行ってからすぐの頃に何度か手紙のやりとりはしましたが、ここ数年はまったく連絡を取り合っていませんでした。でも雄ちゃんの動向はだいたい把握していました。フェイスブックの雄ちゃんのアカウントをチェックしていれば、火曜日の十一時からの講義に出席するとか、土曜日のランチはほぼ例外なくメイフィールド通りのカフェでとるとか、そういう行動パターンは容易に確認できます。最大の難仕事である武器の調達も、おわりました。

「良い狩りを」

現金で支払いを済ませると、赤髪の店長は言いました。僕はその言葉が示唆する裏の意味を考えると、思わず口の端をゆがめました。永らくのあいだ白昼の襲撃者の妄想は見ていませんでしたが、かつて何度も脳内で再生していた襲撃シーンを今度は自分がひとりで再現することになるとは思いも寄らないことでした。

雄ちゃんが憎いわけではありませんでした。僕は自分がいかなる感情に突き動かされて今この瞬間を過ごしているのか、考えないようにすることを常に意識してきました。徹底的に感情を排除することを自分に課してきました。そのおかげで怒りとか悲しみとか憎しみとか、そういう無遠慮な情動に振り回されずに済んできたのだと信じています。またそうでなければとてもじゃないが自分はまともなままじゃいられなかったとも思います。

雄ちゃんが居なくなれば鳩村銃砲火薬店は跡取りを失うことになりますが、弟の大輝がいるのだから店は弟が継げば問題ないだろう。僕の行為が許されるものだとは思っていません。その行為が周囲の人々や世間に与えるのは、良い影響より悪い影響の方が大きいでしょう。でもそれが皆の求めた結果なのです。

買った武器弾薬を荷物にまとめて店を出ようとした僕はふと、カウンター越しの店長の足元に一匹の動物がいることに気づきました。

「賢そうな犬ですね。猟犬ですか?」

店長は首を振りました。

「いや、こいつは犬じゃない。ディンゴだよ」

そうは言うものの、見れば見るほど犬にしか見えません。毛脚は短く茶色い剛毛や三角形にピンと立った耳など柴犬のイチを連想させるような特徴がいくつもありました。ただ、柴犬よりもひとまわり以上身体は大きく、鼻も長いです。

「犬というよりはオオカミに近い仲間だね。オーストラリアから輸入するんだ。こいつは二世だけどな」

ディンゴは一声も鳴くことなく、大人しく座っています。その凜とした様子も柴犬に似ていました。

「名前はなんというんですか?」

「リサだよ」

僕は思わず目を見開きました。忘れかけていた記憶の彼方にたなびいている名前が偶然にもいま眼前に結実し形をとったことに息を漏らしました。雄ちゃんと僕がひとしく思いを寄せていた浅田梨沙はもう僕らの近くには居ません。

あの頃のように、ひたすらゲームに興じたり浅田にいいところを見せる妄想に耽ったり、無心に戻れるならどんなに良かったでしょう。でもすべてはもう変わってしまいました。買ってきた鮎を憐れんで川に放すような優しさを雄ちゃんは確かにもっていたのに、その優しさが僕を救わなかったのは、ただ残念というほかありませんでした。

「さようなら、リサ」

僕はカウンター越しにディンゴに向かって手を振ると、店を出ました。

ライフルを収めたナイロンのバッグを肩に担ぎ、道路を西に仰ぎ見ます。砂漠の向こうに連なる山々が見えます。その高地を抜け、コロラド川を渡ればもうカリフォルニア州です。

土埃を避けるようにジャケットの襟に口元をうずめ、僕は歩き始めました。空は抜けるように青いのに、歩けば歩くほど手が届かなくなるような気がしま
す。

 

もうそろそろ時間ですね。

僕の生い立ちは、こんなもんです。どうでしたか。記事には、なりませんよね。たぶん。記事にするには、大人たちにとって都合の悪いことばかりですから。

マスコミの人って、自分たちが民衆の代弁者だとか弱者の味方だとか言うわりにはいちばん大事なところで日和るんですよ。まあ知ってましたけどね。マスコミの人だって、ただの人間ですから。自分や家族や命や財産や、その他もろもろ守りたいですもんね。仕方ないです。僕にはあなた方を批難したり責めたりする筋合いはありません。

僕はここで裁判を受けます。僕の犯した罪状から考えれば、どのような量刑でもおそらく生きて二度と日本の土を踏むことはないでしょう。だからといってはなんですが、記者さんにひとつお願いがあります。

岐阜羽島の僕の生家の裏に、イチの墓があります。イチが好きだった煮干しと一緒に、花のひとつでも供えてもらえないでしょうか。

 

(了)

2021年10月11日公開

作品集『ディンゴ・ブルー』最終話 (全12話)

© 2021 鈴木沢雉

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