#9

ディア・バチュエ(第9話)

挽混座

小説

3,444文字

 翌日、出社した僕を待っていたのは酒井さんではなく津山だった。暇なのかお前、と嫌味の一つも言う隙もなく、やつは手紙らしきものを渡してきた。

「酒井さんからお前にだ」

 津山はそれだけ言うと、すぐに部屋を出て行った。

 一人になった。今生態調査部の部屋にいる生き物は僕だけだ。今まで一緒に過ごしてきたハイドラたちはいない。酒井さんがいなくなれば、新しく補充されることもないだろう。

 塩素の匂いをそこはかとなく感じる。スツールに腰掛け、白い封筒を開き、中から薄桃色の便箋を取り出した。

 酒井さんの丸っこい字が並んでいる。読む気になれないが、ハイドラたちがいない今、僕の仕事はこれを読むことなのだろう。致し方ない。

『五十嵐へ。

 こうやって手紙を書くのは何だか気恥ずかしいわね。できるだけ簡潔に済ませるわ。

 まず、事故のこと』

 そこまで読んで、文字から目を逸らした。知りたくなかった。知って、今までの僕がいなくなってしまうのが怖かった。津山はこの手紙を読んだのだろうか。封はされていなかったから、読もうと思えば読めたはずだ。僕以上に彼は事実を知っているのだろうか。

 ドアを解錠し、津山がいるであろう所長室へ向かった。父の元へわざわざ行く用事がないため、この三年の間で初めて訪れるが場所だけは知っていた。

 自分の権限で入室できるか不安だったが、カードをかざすとキーの解錠音が鳴った。腐っても息子、ということか?

 初潜入となる所長室は他の部屋とは違う高級そうなマットが敷いてあり、壁には賞状や勲章、祖父の写真などが飾られていた。

「何の用だ、五十嵐」

 左側のデスクにいた津山が近づいてきた。手紙を突き返すと、彼の眉間に皺が寄る。

「要らないのか」

「お前、これ読んだか?」

 津山は首を横に振った。

「お前宛てのを盗み読むほど落ちぶれていない。それに、俺は俺でもらっている」

 同じ封筒を津山はジャケットの内ポケットから取り出した。僕の手紙はそのまま戻ってくる。

「恐らく内容はほとんど一緒だろう。酒井さんの右耳がないこと、五十嵐はいつ頃気づいた?」

 その言葉にハッとして、一瞬世界から音が消えた。視界がぐにゃりと歪むようだった。実際には、体が硬直して動かない。怪訝な顔の同期を凝視することしか僕にはできなかった。

「……まさか、お前」

 黙ったままの僕に、津山が表情を歪めた。

「知らなかったのか」

 知らなかったも何も、そんなこと、夢にも思うはずがない。

 しかし、それと同時に思い出す。翼のあるハイドラが酒井さんの髪を乱した時の違和感。秘匿されている事故の詳細。事故後に酒井さんだけになった生態調査部。声が人より大きく、常に僕の右側にいた酒井さん。

 そういえば、昔の写真に写っている彼女は眼鏡をかけて、黒い髪をまとめて頭のてっぺんでお団子にしていた。もし右耳を欠損しているなら、うなずける。コンタクトレンズにするのも、髪を下ろすのも。

「……耳が、悪いだけだと」

 やっとのことで放った言葉は、津山の舌打ちにかき消された。

「あんなに毎日一緒にいて、お前本当に周りに興味ないんだな。鈍感とかいうレベルじゃない」

「…………自分でもそう思うよ」

「どうせ、それも全部読んでないんだろ。そこ空いてるから座って読め。今読め」

 津山は向かいのデスクを指して僕に命令する。同期なのに、エリート様はずいぶん偉そうだ。それでも上司不在で根無草、こちらのことを全て見透かしている彼に、ここに来てしまった以上は従う他なかった。

『五十嵐へ。

 こうやって手紙を書くのは何だか気恥ずかしいわね。できるだけ簡潔に済ませるわ。

 まず、事故のこと。この手紙を書いたら所長に五十嵐にも閲覧できる権限を付与するよう頼むから、詳細はそっちで見て頂戴。

 私は今と同じようにハイドラと日々触れ合っていたのだけど、ある日突然暴走するハイドラが現れたの。最初は大人しかったのよ。高さは膝くらいだけど口が大きくて、牙があって、手が長くて。そのハイドラが急に他のハイドラに攻撃し始めて。私もまだ勤め始めて二年かそこらで、まだ若かったのね。ハイドラを庇おうと、その暴走したハイドラの前に出たの。周りのメンバーは止めたわ。それでも私は引かなかった。そうしたら、暴走したハイドラが体当たりしてきて、私は床に倒れて、そのまま右耳を齧り取られたの。他のメンバーに引き剥がされて、それ以上の被害は出なかったけれど、私は病院へ搬送された。

 後で聞いたら、バイタルなどの異常はなかったんですって。暴走したのがあの個体の本来の姿なんじゃないかという見解よ。耳を回収できれば見栄えは悪くともつけられたかもしれなかったのだけど、ハイドラがぐちゃぐちゃにしてしまっていたらしくて。だから今まで、五十嵐が話しかけてくれても無視していたこともあったかもしれないわ。ごめんなさい。

 あの事故があってから、その時のメンバーは私の二の舞になってはたまらないと次々と辞めていった。部署を解体するという話も出た。でも、私はハイドラと関わることをやめたくなかったの。人間のエゴで管理しているハイドラたちのせいにしたくなかった。所長に私一人でも続けられるように、他に誰も要らないからと直談判したわ。それが許されてしばらく一人で過ごしていたけど、三年前、急に五十嵐が来たのよ。寂しくなかったと言えば、まあ嘘になってしまうわね。あなたが来てくれてよかったと今なら素直に言えるわ。

 上位個体のハイドラの元へは、私一人で行くから、五十嵐は何もしなくて大丈夫よ。くだらないことをやめさせるだけだから』

 手紙はそこで終わっていた。衝撃的な内容に、理解が追いつかない。酒井さんはどんな気持ちでこれを書いたんだろう。まるで別れの挨拶を告げるような、懐古に満ち満ちた文章だ。

 便箋を何気なく裏返す。そこには小さく、続きが書いてあった。

『でも、私が何日か経っても戻らなかったら、地下まで来てほしいの』

 視線を上げると、津山と目が合った。読み終わるのを待っていたらしい。

「追伸まで一緒か?」

「ずいぶんと酒井さんは私とお前を仲良しこよしにさせたいらしいな」

 津山の溜息が質問を肯定していた。僕の言いたいことを引き継いでいく。

「地下へは所長と限られた部署の人間しか入れない。恐らく私にもその権限はない。しかし、場所ならわかる」

「僕なら入れるかもしれないって、思うだろ?」

 自分でもなんて自信だとは思うが、確信めいた予感があった。試したことはないが、恐らく、僕はこの施設内のどこの部屋にも自分のカードキーで入れるはずだ。

「認めたくはないが、私も同感だ。そもそもこの所長室に入室する権限だって限られた人間しか持っていないよ」

 津山が立ち上がって、僕の目の前まで来た。やつの左目が鈍く光っている。

「行くのか? 逃げ出さないか? また黙って見てるだけでは困るんだ」

「あの手紙を読んで、その選択肢が取れるほど僕はわがままじゃない」

 地下まで来てほしい。——それが酒井さんからの命令ならば。

「行って、何をすればいいかまではわからないが、とりあえず行くしかない」

「そうか。ならば、もう何も言わないよ」

 デスクに戻った津山は「護身用と渡されてはいたが、この展開は全く予想していなかった」とぼやきながら、二丁の拳銃を出してきた。そのうちの一つを僕に渡す。

「中身は銃弾ではなく、この前お前と酒井さんの上に降ってきたのと同じ薬品だそうだ。製造部が満面の笑みでお勧めすると言っていたよ」

 ハイドラたちがどろどろに溶け、内部の骨のような部位が露出していた光景が脳裏に蘇った。昨日の夜から何も食べていなかったのが幸いした。この男の前で胃の内容物を吐き散らかすなど、一生からかわれる材料になってしまう。

 安全装置の外し方や構え方などを教わりながら、平和な世では必要のない動作だなと思う。大多数の人間にこの感情を味合わせないため、酒井さんはハイドラたちの元へ下ったのだろうか。そう表現すると、ちょっと大袈裟だ。恐らく酒井さんは人間のことより、ハイドラのことを思って向かったに違いない。そう、僕たち人間より、あの未知の生物のことを。

「身を危険を感じたら躊躇いなく撃つように、とはお前のお父上の言葉だよ」

「……ああ」

 津山の見様見真似で腰のベルトに拳銃を差し、予備の弾を受け取る。これは制服のポケットへ入れた。白衣を脱いで、座っていたデスクにかける。

 津山はまるでこれから一世一代のデートにでも行くように髪をとかし、スーツについた埃を取り、襟を正した。

「さて、行くか」

2021年10月8日公開

作品集『ディア・バチュエ』最新話 (全9話)

© 2021 挽混座

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