#7

ディア・バチュエ(第7話)

挽混座

小説

2,523文字

 付着した薬剤をきれいに洗い流すまで出てくるなと言いつけられた。わからないことだらけだった。男が現れた時のことを一部始終反芻しながら渋々シャワーを浴び、用意されていた新しい制服と白衣に袖を通し、廊下へ出る。いくら考えても答えが出ない。それに加え、ハイドラたちが溶けた光景が脳裏から離れてくれなかった。

 左手の壁際に険しい表情の津山が立っていた。

「つや、」

 呼び掛けようとした口は飛んできた拳に塞がれた。なぜ、

「お前、あの時何してた」

 スラックスから取り出したハンカチで丁寧に拳を拭きながらも僕を睨みつけたままの津山。

「録画を見た。五十嵐、お前、どうして、何もしなかった」

 静かに問い詰められ、為す術がない。どうして、も何も。

「何をそんなに、怒ってるんだ」

「あの場で酒井さんを守れるのはお前だけだっただろう五十嵐!」

 同期の激昂している理由がわからなかった。あの男が酒井さんに触れたことが、そんなに気に食わなかったのだろうか。危害を加えられているようには見えなかったし、下手に刺激してもまずいし、何より酒井さんがそう命令しなかった。だから僕は、自分に許されている範囲で考えて、非常ボタンを押した。だから、あの場ではそれが最善じゃ、ないのか?

「お前がのんびりとシャワーを浴びている間にハイドラから研究所に通告があった。やつら、なんて言ってきたと思う? 酒井さんを寄越せ、さもなければ戦争だと、お前たちの部屋に来たあの男が!」

 同期の頭が嫉妬でおかしくなったのかと思った。

 ハイドラは喋らない。それは周知の事実だ。知能もない。これも証明されている。僕はたったの三年ほどしか彼らのことを見ていないが、それは間違いではないと思う。

 そもそも、あの男がハイドラ? どこからどう見ても人間だった。……いや、でも確かに男は言っていた。ハイドラの上位個体だと。まさか人間に擬態しているということか? だからあんなに酒井さんに似ていたのか? そもそも、あの完成度で擬態が可能なのか?

 先ほどのことと合わせても、津山はおかしいことを言っているわけではないと頭は判断していたが、心がそれを拒絶していた。

 それより大事なことがある。何故、酒井さんなのか。

「お前の思考に付き合っている暇はない」

 苦虫を嚙みつぶしたような表情で津山は吐き捨てた。

「来い。証拠を見せてやる」

 

**

 

「五十嵐、顔が腫れているわ」

 僕と同じく新品の服を着ていた酒井さんは、入室した僕の顔を真っ先に心配した。そんなことより他に気にするべきことも考えなければいけないこともたくさんあるというのに。僕の背後で彼女には聞こえない音量の舌打ちがした。

「僕は大丈夫なので」

「そう」

 連れてこられてきたのはコントロールルームだった。名前の通り研究所内の空調や監視カメラ、非常時の対処等を任されている場所である。そこで酒井さんはあの男から送られてきたという通告を繰り返し再生していた。

「座れ」

 久しぶりに聞いたその声に、途端に背筋が冷える。薄暗くて見えなかったが、奥には父の姿があった。

 父は酒井さんと一緒に通告を見ていた。津山に促され、僕は彼女の左隣に腰を下ろす。

「とりあえず見て」

 記者会見のような佇まいで男は画面の中で微笑んでいた。こいつが、ハイドラ。酒井さんによく似た、ハイドラ。

『先ほどはお邪魔しました。一目見て、言葉を交わしてわかりました。やはりあなたしかいません。我々の元へ来てください、女神よ。ずっとあなたを探し求めていたのです』

 男は相も変わらず、酒井さんに向けてしか話すつもりはないらしい。

『人間たち。女神を渡さぬというのなら、こちらにも考えがあります。今まで弄ばれてきた同胞のためにも、このままでは我々も引き下がれない。女神さえこちらに来てくだされば、全ては丸く収まるのです。無用な血が流れるのはよくない。……そうは思いませんか? 女神よ』

 男は執拗に酒井さんのことを女神と呼ぶ。もしや、名前を知らないんだろうか。

『よい返事をお待ちしています。お迎えは、そうですね。次の満月の夜にでも。では……Querida Bachue.』

 再生が終わった。酒井さんは僕が来るまで何度もそうしていたのだろう、流れるような手つきでもう一度再生した。

 男が何を言っているのかわからないのは、僕の頭が悪いせいではないはずだ。

「次の満月は一週間後よ」

 男の声を背景に、僕の疑問を解消するかのように酒井さんがぼそりと告げた。

「Querida Bachue……わかりやすく英語だとDear Bachueとでもなるのかしら」

「元々のは何語なんですか?」

「スペイン語だ」

 酒井さんの代わりに津山が教えてくれた。首を傾げると、察しが悪いとでも言わんばかりに溜息をつかれる。

「エルドラド伝説も、バチュエも、発祥の地は同じよ」

 洗い流したばかりだというのに、嫌な汗が体中から滲み出ているのがわかる。頭の中で色々なピースが繋がりかけている。組み立てる僕と、拒絶する僕。

 知りたくない。知りたくない。知ってしまったら、戻れない。愚かな僕に。言われたことだけをやっていればよかった僕に。

「五十嵐が来る前に、バチュエについて調べたわ。エルドラド伝説が起こった場所に暮らしていた民族の信仰する伝統宗教、そこに登場するの。全ての民の祖先とされている女神よ」

 酒井さんが無情な声音で足りないピースを埋めていく。

「私を女神と呼んで、何をさせようとしているのかしらね」

 そんな全てを捨てそうな表情で、こちらを見ないで欲しかった。

「何もさせません」

 あの父の前で、津山の前で、僕は初めて酒井さんに逆らってしまった。

 人のせいにするなんて、子供だと笑われても仕方がないだろう。でも、これは酒井さんのせいだ。

「向こうの言っていることに従う必要なんてどこにあるんですか?」

「五十嵐、どうしたの?」

 酒井さんが目を丸くしている。父も僕を見ているのがわかる。津山の気配はうんざりしている。でも止められなかった。何が僕をそうさせるのかわからなかった。いや、本当はわかっていた。信じたくなかっただけだ。僕は自分の気持ちすら、見て見ぬふりをしていた。

「酒井さんは行く必要ありません。僕が行きます」

 何で、こんな単純なこと。

2021年10月2日公開

作品集『ディア・バチュエ』第7話 (全9話)

© 2021 挽混座

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