ディンゴ・ブルー 10

ディンゴ・ブルー(第10話)

鈴木沢雉

小説

5,871文字

カリフォルニア州ロンポック連邦拘置所における北見誠司の接見メモ その10

我に返った僕を真正面から見つめている雄ちゃんがいました。僕は一瞬、雄ちゃんが右手でピストルをつくってその人差し指をこちらに向けているように錯覚しました。

「大丈夫か、北見」

それが気のせいだと分かるか分からないかのうちに、雄ちゃんは身を乗り出して聞いてきました。いったいどのくらいの時間、僕は妄想の世界に飛ばされていたのでしょう。通常ならそれは一分にも満たない、ごく短い時間のはずでした。それでも虚を突かれた僕はしどろもどろになりながら平静を取り繕います。

「ああ、うん、そろそろ戻ってくるかな」

僕は首を伸ばして納屋の方を窺った。大人たちが戻ってくる気配はありません。

「北見は友達だから、話しておくよ。もちろん、誰にも言わないでくれ」

僕の動揺を知ってか知らずか、雄ちゃんはそんなことを言ってのけました。僕の絶望感はいや増すばかりでした。雄ちゃんが相手では勝ち目なんかない。そう信じて疑いませんでした。恋愛は気まぐれとか偶然とか成り行きとか相性とか天佑とか、とかく不確定要素にばかり決定されるものだと知ったのはずっと後になってからで、小学生当時の僕にとっては目の前にある現実がすべてだったんです。金持ちで頭がよくて最高にクールな雄ちゃんが恋敵とあっては戦う前から試合放棄するしかありません。残念ですがお別れです。付き合ってもないけど。恥ずかしい。今後も生き恥をさらすくらいならいっそのこと殺してください。さっきの襲撃者みたいに、胸の真ん中に鉛の弾を撃ちこんで、雄ちゃんがやったみたいに、右手でピストルを作って、人差し指でしっかりと心臓を狙って、一発。

大人たちが納屋から戻ってきたのはそれからさらに十分くらい経ってからでした。雄ちゃんのお父さんと松丸さんはやりきったような顔をして、どやどやと土間をあがってきます。その後ろからばあちゃんが続きました。僕がぎょっとしたのは、雄ちゃんのお父さんが古びた猟銃をその手に携えていたことです。驚いて雄ちゃんの方を振り仰ぎましたが、雄ちゃんは自分の父親が銃をもってきたのを見ても眉一つ動かしません。当然といえば当然ですが、見慣れているのでしょう。

「まさかこんなものが出てくるとはねえ」松丸さんが中年太りの躰を勢いよく座布団に沈めながら言いました。

「古い百姓の家ではよくあることだよ。畑を荒らす鹿やイノシシを撃ったり、熊から家族を守ったりしなきゃならんからね」

「許可証はあるんですかね」

「ないだろうなあ」雄ちゃんのお父さんは散弾銃を裏返したり各部の状態を確認しながら、「あっても意味ないけどね」

その言葉の意図するところについては雄ちゃんが解説してくれました。銃器所持の許可証は本人が亡くなったら失効します。その猟銃はおそらくじいちゃんかひいじいちゃんか、またはその世代の人たちのだれかが持っていたのでしょうが、みんな亡くなっているのでこうして所持している時点でどのみち違法状態なのだそうです。

「もちろんこうやって銃があとで見つかったとき即犯罪になるわけじゃない。警察署に『発見届』を出して処分すればいいんだ」雄ちゃんのお父さんが付け加えました。

そのときばあちゃんが新しいお茶をいれて持ってきました。雄ちゃんのお父さんと松丸さんの前に出された湯呑みからは濛々と湯気が立っていました。

「本当にご迷惑かけますねえ」

「いやいや」雄ちゃんのお父さんは顔をほころばせました。「お礼を言いたいくらいですよ。これは手入れすれば使えるし高く買ってくれる人もいそうだし」

聞けば納屋でこの銃を発見した雄ちゃんのお父さんは、ばあちゃんにその銃を譲ってくれるようお願いしたのだそうです。ばあちゃんはむろん快諾しました。

「私ももう長くはないだろうからねえ。きちんと引き取ってくださる方があればいいんですよ」

ばあちゃんは大儀そうに腰を下ろしました。

「何をいってるの、ばあちゃんには長生きしてもらわなくちゃ」

僕は咄嗟に言いました。老若男女を問わず、死ぬ死ぬと言っている人間にはたとえ本心でなくともとりあえず「あなたは生きる」と言っておけ、というのが雄ちゃんに教わった会話のテンプレでした。雄ちゃんはこういうテンプレをたくさん知っていて、僕にも事ある毎に教えてくれていました。
「だけどねえ」ばあちゃんは細い目をさらに細めました。「胃にチューブつないだり、ボケて息子や孫のこともわからなくなったりして生きていくのは私ゃ嫌だよ。そうなる前にぽっくり逝きたいもんだ」

僕も、他のみんなもこれには黙ったままでした。誰もフォローする人がいないかと思ったら雄ちゃんのお父さんが「ははは、うちの母も同じことを言ってますよ」と言いました。

そうこうしているうちにお昼になったので、僕たちはばあちゃんちを辞することにしました。渓流へ行く前にばあちゃんに貰って手つかずのままの干しいもと納屋で発見した猟銃を戦利品として車に積み、ばあちゃんにさよならを言いました。僕のポケットには座布団からむしりとった糸の束が突っ込まれていました。

 

車の中では主に雄ちゃんのお父さんと松丸さんが話し、僕たち子供はひたすらその会話を聞く役にまわっていました。

「お年寄りはみんな元気なうちはああやって言うんだけど、いざボケたり寝たきりになったりするとなすがままだからねえ。結局家族が面倒見なきゃいけなくなるんだよね」

松丸さんが話の流れの中でそんなことを言ったので、僕はばあちゃんをけなされたような気がしてむっとしました。僕が憮然とした表情をしているのをバックミラー越しに見てとった雄ちゃんのお父さんは言いました。

「まあまあ、僕も長男だからよく分かるけどね。本人がしっかりしてるうちにどうしてほしいのかはっきり意思を表明しておいてくれるのが一番だよ。北見くんのお父さんは長男なのかな?」

「いいえ、次男です。兄弟はたしか四人いて、もしばあちゃんが一人で暮らせなくなったら、おじさん……長男のところで一緒に住むことになってるみたいです」

「そうか、じゃ安心だな」

僕は引きつった笑みを返しながら、窓の外に目を遣った。周囲の景色は開けてきたのに人間の活動の気配はありません。おじさんに対する不信はかねてからお父さんばかりでなくお父さんの他の兄弟からもよく耳にしていました。

「僕はあまり賛成しないなあ。もうすぐ死ぬ人間より、先の長い人間の方が大事じゃないかな。そうなると昔の姥捨て山の方が人道的と言えなくもないね」

松丸さんが得意になって語るのを、僕は苦々しい思いで聞きました。僕はまた雄ちゃんのお父さんが助け舟を出してくれるのかと思っていたら、口を挟んできたのは雄ちゃんでした。

「じゃ先の長い僕たちのためなら松丸さんは山に捨てられても文句は言えませんね」

棘のある言い方に車内の温度が一気に五度くらい下がったような気がしました。ややあって松丸さんは「そういうことだね」と置き逃げするように言うと、そのまま黙りこんでしまいました。緊張した空気のせいか、おちんちんがきんたま袋にくっつくのを感じた僕は革張りシートの上でもぞもぞしながら、それをズボンの上から引っぱって剥がしました。

河原のキャンプ場に着くころには、さすがに他の車や人と行き交うようになりました。今日の鵜飼を見に行く人も多いのか、県外のナンバーも目立ちました。キャンプ場の駐車場に車を停めると、松丸さんがトランクからレジャーシートとクーラーボックスを出して運びました。僕と雄ちゃんは仕出し弁当の包みをそれぞれ抱えて後に続きます。「落とすな」「斜めにするな」と松丸さんに厳命された僕らは河原のごつごつした石に足を取られながら必死にバランスを失わないよう歩きました。

周囲に注意を向けると、川の方にたくさんの動物がいるのに気づきました。対岸の茂みからキツネが覗いたり、崖の上の方でサルが木を揺らしたりしていましたが、なんといっても多いのは鳥でした。サギやカモやカワセミに混じってカワウの姿も見えました。

「鵜だ」

「ああいうの捕まえて調教するのかな」

僕と雄ちゃんが話していると、松丸さんが後ろを振り返りもせずに言いました。

「鵜飼いの鵜はウミウだよ」

「えっそうなの?」

「どうして?」

「理由は知らん。たぶんカワウだと鮎が美味すぎて食っちゃうんじゃないか。ウミウなら川魚を食べ慣れなくてそこまでがっつかないとかな」

松丸さんは見かけによらず物識りなんだな、と感心しかけていた僕はそのいい加減な推論に早くも興ざめしました。弁当の包みを抱えて両手の空いていない僕らは、お互いに眉と目の動きだけで松丸さんのことを示し、「バカだよね」としか訳しようのない表情をつくりました。

キャンプ場の管理地外でシートを広げて弁当を食べ、しばらくそこで遊びました。僕と雄ちゃんは平べったい石を探して川に向かって投げ、水きりを競いました。僕は五段飛びを記録して長らくリードしていましたが、最後に雄ちゃんが七段飛びを叩き出して逆転しました。

大人たちはシートの上に寝そべって昼寝を決め込んだようでした。梅雨明けしたばかりの空に焼けた石みたいな太陽がのしかかり、そこらじゅうの地面や水面や木々に黄色い光が爆ぜていました。

雄ちゃんと遊びながら、この人は誰だろうという疑問がずっと僕の意識の外を流れ落ちていました。知っているようで知っていない、雄ちゃんが今までの雄ちゃんじゃなくて雄ちゃんという名前の他の誰かなんじゃないかという考えが、僕を支配し始めていました。ばあちゃんが認知症になって肉親のことを忘れてしまったときも、こんな感覚に苛まれるのかもしれないと思いました。

不思議と憎くはなかったんです。僕の欲しいものをすべて最初からもっていたり、手に入れたりするのに大した苦労をしていないように見える雄ちゃんが、こんどは浅田までその手中に収めようとするというのに、ちっとも悔しくも悲しくもありません。僕にできることといえば中二病の発作の中で雄ちゃんを襲撃者の攻撃にさらし、無数の銃弾を浴びせて死に至らしめる程度でしかありませんでした。

 

いい加減遊び疲れた僕たちはリュックを持って河岸の木陰に移動しました。シートの上は暑くて居られませんでしたが、大人たちは平気で寝ていました。

僕は水筒を出して麦茶を飲み、リュックの底にあったケータイに気づいて手に取りました。通信量節約のため、ケータイはWiFiの使える場所以外ではいつも機内モードにしていました。時刻は午後三時を回っていました。そろそろ学校説明会も終わった頃でしょう。姉ちゃんが居なくなってしまうかもしれないという思いが、いまさらのように僕を襲ってきました。これまでは進学の話を聞いてもどこか冗談みたいに思っていたのですが、いざこうして実際に距離を隔ててみると、圧倒的な現実として僕の上に覆い被さってくるのでした。

雄ちゃんと並んで座り麦茶を飲んでいても、中腰のまま泥水を啜っているようでちっとも落ち着きませんでした。不快感のやり場をなくした僕は自分でも思ってもみなかったことを口にしました。

「僕は松丸さん好きじゃない」

その直後に松丸さんに対する申し訳なさと自分の卑怯さに目が回るような動転を覚えました。それでも自らの負の感情には気づかないふりをして、僕は雄ちゃんが味方をしてくれることを信じて待ちました。果たして雄ちゃんは僕の希望通りに応えてくれました。

「さっきのおばあちゃんの話でしょ。あれはひどいね」

僕は「さっきの話」が何だったのか憶えていなかったので泡を食ったけど、ばあちゃんがボケるという話だったことをなんとか思い出しました。

「でも松丸さんに悪気はないよ。ああいう人なんだ」

「ああいう人って?」

「あまり考えずに思ったことを口にしちゃうんだ。僕も言われたことあるよ。雄一郎くんはいいよね、東大のお父さんをもって何不自由なくてとか」

「へえ、それは嫌だね」

僕は雄ちゃんに同調しながらも、松丸さんが何一つ間違ったことを言っていないのに気づいていました。

「正直、お父さんがなんであんな人を雇ってるのかわからない。銃器に詳しいわけでもないし、かといって積極的に勉強しようという気もないみたいだ。お酒はたくさん飲むし、見た目もああでしょ。あれじゃ一生結婚できないだろうし、アルバイトを雇うならもっと若くて優秀な人がいくらでもいるだろうに」

雄ちゃんの目はレジャーシートの上でトドのように寝ている松丸さんに向けられていました。七月の狂ったような日差しが河原の石に乱反射して僕たちのもとに届き、その一部は雄ちゃんの茶色い目を浮き立たせました。雄ちゃんの辛辣な視線は、ただ松丸さん個人の無能さや容姿に向けられたものではないように思えました。

「お父さんに聞いてみりゃいいじゃない」

「そうだね」雄ちゃんは珍しく言い淀んでから答えました。

カワウの群れが川の中州に取り残された石の上で翼を広げ、日光浴をしていました。黒光りする羽毛の塊が集まっている様子は田舎のヤンキーが駐車場でたむろしている光景を連想させて、ちょっと滑稽でした。

「雄ちゃん、いつからアメリカに行くの?」

雄ちゃんが本気なのは分かっていました。そして雄ちゃんが本気を出せば、それが何だろうといつか実現することも分かっていました。あとはいつ実現するのかってだけです。

「中学と言いたいところだけど、ちょっと無理かもしれないね。でも高校までには、行きたい。英語は行ってからでもある程度なんとかなるみたいだけど、行くからにはできるだけのことを日本でやっておきたい。お父さんにも、その辺はなんとかするって言ってもらってる」

「そうか」

僕にはそれ以上聞くことがありませんでした。浅田について訊ねても、今は辛いだけです。またの機会にしようと思いました。

結論を言うと雄ちゃんは彼の思惑通りにアメリカへ渡りました。そして向こうでも成績優秀でスタンフォード大学というとびきりレベルの高い大学へ進学しました。不幸な事件に巻き込まれたのは大学在学中のことでした。キャンパス内で男が銃を乱射し、十数名の死傷者が出ました。雄ちゃんはその凶弾に斃れ、二十年あまりの生涯を閉じました。みんなが知っているとおり、アメリカでは毎年何件もの銃乱射事件が起きていますが、多くは雄ちゃんの言った「怒れる白人男性」によるものでした。でもスタンフォードの事件は少し様子が違っていました。雄ちゃんは同じアジア圏からの留学生によって命を絶たれたのです。

2021年9月3日公開

作品集『ディンゴ・ブルー』第10話 (全11話)

© 2021 鈴木沢雉

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