#4

ディア・バチュエ(第4話)

挽混座

小説

3,142文字

 月日が流れ、この生態調査部に来て三年になった。それだけの時間が経ったにも関わらずこの部署には二人しかいない上、僕以外の唯一のメンバーである酒井さんは相変わらず年下のような外見で、津山は甘いマスクに磨きがかかり、今日もコーヒー片手に無駄口を叩いている。補佐というのは仕事がないんだろうか。

「それで酒井さん、どうですか、今夜一緒に食事でも」

「おあいにくさま、先約があるの」

「それは残念。またお誘いさせてください」

 僕から見ても酒井さんの発言は明らかに嘘だとわかるくらいだから、彼女が口を開いた段階で津山は断られるとわかっているに違いない。それでもめげないのがすごい。……いや、そもそも。

「お前、酒井さんに気があるのか」

「目の前で言うなよ」

「この音量なら聞こえない」

 この三年の間に、僕は酒井さんにまつわる色んなことを知った。もちろん疾しいことは何もない。研究所の目と鼻の先に家があるとか、耳が悪いのか、ある一定の音量でないと話しかけられても聞こえないらしいとか、地毛は黒いとか、目が悪いから普段はコンタクトレンズをしているとか、お酒は飲めないとか、『いつか王子様が迎えに来てくれる』といったような意外と可愛らしいことを思っている、とか。

 その『王子様』は目の前で涼しい顔をしている津山でも、もちろん僕でもない。酒井さんの顔立ちはモテるらしく、よく声をかけられている。所内の廊下で何気なく角を曲がったら彼女がデートに誘われているところに遭遇したことなど何度もある。そして誰も、酒井さんの御眼鏡には適わない。理想が高いのだろうか。僕には知る由もないことだった。

「まあ、半分アタリで半分ハズレだよ」

 僕に本心を教える気なんて更々ないこの男が、コーヒーメーカーを口実にここへ来ていたことはとっくにバレている。それでも津山はここへ来る。去年など、遂に自分のカップまで置き始める始末だ。

 僕は飲まないのに、よくコーヒーメーカーの清掃を仰せつかる。不公平だと思って三年目だ。津山がやるべきだと思う。誰に聞いてもそう言うと思う。

 一週間ほど前にやってきた、手が長く床を掃除するように闊歩するハイドラと、頭から何本も手のような長い紐状のものが出ていて、同じく床についてしまっているハイドラに酒井さんはつきっきりだ。

 津山はそんな彼女を眺めながら、ぼそりとこぼす。

「いざとなったら、酒井さんを守る人間は五十嵐しかいないからね」

 不安だ、と言外に放つ言葉の方が雄弁だ。

「いざって何だ。まさかハイドラが反乱を起こすとでも言いたいのか」

 冗談まじりに返したこの声は酒井さんに届いたらしい。相手をしていた二体のハイドラが同時に鈍く低い音を発した。力を込めていたらしい手を離し、酒井さんが立ち上がってこちらへ来る。

「津山、所長は本日休暇ですか?」

 やけに丁寧な口調に同期は肩を竦めた。

「いえ。ですが地下の部署と会議があるそうで、私がいるとあまりよろしくないようでして」

「だからここにいるのか」

 やけに暇そうだと思ったらそういうことか。たまにはコーヒーメーカーの清掃や補充くらいしても罰は当たらないと思うぞ、と思うだけで言いはしない。

「津山がハイドラと触れ合っているの、見たことないわ。あまり好きじゃないの?」

 いつもの調子に戻った酒井さんが津山の顔を下から覗き込んだ。困ったように笑いながらも津山は視線を逸らさない。

「自分が認めたもの以外、触りたくない性質でして。申し訳ない」

 この三年でわかったことがもう一つ。津山は本当に潔癖症だった。それゆえ、時間があっても他の部署には行けないのだろう。知り合いや友人は多そうなのに難儀なものだ。ここには彼のお気に入りのコーヒーメーカーもあるせいでいいように使われているようで癪ではあるが、酒井さんが何も言わないので津山を追い出す権利は僕にはない。

保育所ここにいたらお前も一緒に預けられてるのかと噂されないか?」

 代わりにといっては少々強いが、心から滲み出た毒をそのままなすりつけると、津山は目を伏せて薄く笑った。組んでいた腕を外し、僕の肩をポンと叩いた。

「そういうところだよ」

「……は?」

 訳のわからないことを言って津山は部屋を出て行った。

「本当にあなたたちは仲がいいのね」

「どこをどう見たらそうなるんですか」

 酒井さんはどことなく嬉しそうだ。

 僕がいつも一人でいることに最初の頃は気を揉んだと最近昼食の時に教えてくれた。『所長の息子だし、近寄るな・話しかけるなっていうオーラが出ているし、友達もいないんじゃないかと思っていたのよ』と、それまで津山が座っていた席を見つめて酒井さんはこぼした。心配をかけていたのだな、と思うと感謝より先に申し訳ない気持ちがやってきた。熱くなった顔に意識を向けまいと日替わり定食を食べ進めていると『津山が五十嵐のことを気にかけているから、私も安心なのよ』その言葉にあまりに驚いて、理由を問いただすこともできず噎せてしまったのも思い出してしまった。

 酒井さんは先ほど鈍く低い音を立てたハイドラに謝りながら体を撫でている。あの日、初めて鳴いた(泣いた?)エム四六七を調べた結果、痛みや圧迫感、ストレスを感じるとあのように音を発するらしかった。その許容量や感じ方にも個体差があり、たとえば今僕の足にひたすらぶつかってきている体を一周するように鉱石のような拳大の石が埋め込まれたハイドラは生態実験部曰く、何をしても鳴かなかったらしい。

 透明度の高い水色の鉱石は暖色の照明を反射させきらきらと眩しい。しかし結構な硬度があるらしく、それなりに足は痛かった。今度生態集計部に硬度を測ってもらおうと心に決めた。

「あっ」

 蝙蝠のような翼のあるハイドラが酒井さんの頭に舞い降りた。整っている髪をぐしゃぐしゃにされ、頬を膨らませている酒井さん。

 平和だなと思いながらベンチに腰掛ける。ここには三年間変わらず、魚状のハイドラがいる。鱗のような模様はうっすらあるも、実際に硬いわけではない。エラも同様に模様のようだ。魚なのは見た目だけで、研究所は半年前、ハイドラについて『擬態能力がある』との見解を発表した。

 些か不穏なその発表にマスメディアが色めきたったが、この魚状のハイドラや翼のあるハイドラを例に上げ、まだまだその精度は高くないと示した。しかし、これからハイドラが学習を重ねていけばマスメディアの危惧するような事態が起こるかもしれない。敵か味方かもわからないような未知の生物がもしも隣人に成り代わるようなことがあれば、世間がパニックになるのは想像に難くない。

 酒井さんは翼のあるハイドラをようやく引き剥がし、スツールに腰掛けた。床に散らばった金色の粒を見ながら溜息をつく。

「ここ最近、ハイドラが増えたからかしら。量が多いわね。五十嵐、あとで掃除しておいてくれる?」

「はい」

 金色の粒は、言ってしまえばハイドラの排泄物だ。初めて津山に渡した時は躊躇いもなく持ったほど、見た目にはビーズのようで乾燥している。彼らにエルドラドと名のつく通り、それが本当に金だったら色んな方面において話は変わってきたのだが、残念ながらどうやら違うらしい。

 シンプルに箒と屈まなくてもよい塵取りを持って金色の粒を回収していく。ずりずりと音がするから何かと思えばハイドラたちが後ろをついてきていた。

「童話にあったわね、そういうの」

 コーヒーを口にしながら酒井さんが笑った。

「僕が先導なんて、できると思いますか?」

 つられて笑ってしまったが、視線を上げると存外真剣な瞳が向けられていた。

「あなたは発見者の孫だもの。もしそういうことができても、おかしくないわよ」

 冗談はやめてください。拒否の言葉は喉にひっかかって出てこないのに、冷や汗だけはたらりと流れた。

2021年8月29日公開

作品集『ディア・バチュエ』第4話 (全6話)

© 2021 挽混座

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