#3

ディア・バチュエ(第3話)

挽混座

小説

3,884文字

「五十嵐!」

 酒井さんは僕の名前を呼びながら入室してくることが多い。その度に怒られている錯覚に陥りながら、肩を震わせて振り返る。

「今日は所長が視察に来るそうです」

 しかし、基本的に酒井さんは怒らない。ハイドラと接しているだけなので致命的なミスは彼らを誤って殺めてしまうことくらいだが、それを抜きにしても怒られたことはない。この錯覚は彼女のせいではなく、僕自身のせいだった。

「時間は未定だけれど、恐らく津山から事前に連絡が入るでしょう」

「はい」

 触覚の生えたハイドラによじ登られながら返事をすると、酒井さんはそいつを撫でた。毛が生えているハイドラは少なく、基本的にはしっとりとしたなめらかな質感だ。たまに光沢がありつるつるしているやつもいる。

 ここには常時二十種類ほどのハイドラがいて、たまに入れ替わることがある。部屋を観測している部署から『この個体の数値が乱れているから検査する』、『この個体は動きが鈍くなっている、寿命が近いかもしれない』などと連絡が来て、あれよあれよという間に回収されていく。別れを告げる暇もないし、そんなことをするほど情が移ってもいない。

 しかし酒井さんはそうではないようで、連絡が来るとそいつにかかりきりになる。一人だった今までもそうだったんだろうか。無機質な檻に入れられ連れ去られていくハイドラを、いつもドアが閉まるまで見送っている。

 こいつらに感情はあるんだろうか、と僕の足にひたすら体当たりしてくる仮面をつけたハイドラを見下ろしながら考える。あったとしたら、どういう感情で今ぶつかってきているのだろう。敵意だろうか。まさか、僕が来てから、彼女を独り占めできなくなったからとかじゃないよな。

 己の被害妄想に辟易しながら、仮面のハイドラを持ち上げる。現在この部屋には仮面をつけたハイドラは三体いるが、どれも仮面の模様は違うものだった。彼らがどうやって繁殖するかも未だ判明しておらず、模様の意味も複数種ある理由も謎のままだ。

 解明したい、と大学教授だった祖父はきっと思ったんだろう。未知の生物に出会って、知的好奇心が刺激されたに違いない。私財を投げうち研究所を立ち上げて、ありとあらゆるコネを使って人を集めた。その結果が今の研究所だ。ゆくゆくは僕が継ぐことになるのか、と想像するが、僕なんかより津山のような『エリート』の方が適任だと思う。

 ドアの解錠される音がして、現れたのは案の定、エリート様の津山だった。

「どうも」

 コーヒーを淹れながら、津山は思い出したように「あと三十分ほどで所長がこちらにみえます」と酒井さんに言った。

「そう、ありがとう」

 つんと返す酒井さんにもコーヒーを差し出しながら、津山はスツールに腰掛けた。

「今日も酒井さんはお美しい」

「そういうのは間に合っているから」

 流れるように賛美した同期にも無感情で受け流した上司にも僕は驚いてしまい、そのはずみで持ったままだったハイドラの形が変わり、聞いたことのない鈍く低い音がした。

「! 五十嵐!」

 敏感に反応した酒井さんがカップを津山に押しつけ、こちらへ走ってくる。

「今、鳴いた? 鳴いたわよね⁉」

「そ、そうなんですかね……」

 目を輝かせて僕の手から件のハイドラを奪い取り、酒井さんは続ける。

「こんなこと、今まで初めてだわ。やるじゃない五十嵐」

 僕のせいだとしたら鳴き声ではなく今のは悲鳴ではないかと思うのだが、水を差すのも悪いと思い何も言わないでおいた。津山の何か言いたげな視線を感じる。

「確か今……こうやったわよね」

 酒井さんは先ほど僕がやったように両手でハイドラを挟み込み、ぐっと力を入れて潰すように押した。仮面が彼女を見上げるが、ウンともスンとも言わない。

「おかしいわね、力が足りないのかしら」

 自身の力では限界があると悟った酒井さんは僕にハイドラを渡し、再現するように言う。あまりこいつに負担をかけるのもよくないんじゃ、とは思ったが、僕は酒井さんには逆らえない。津山もいけ好かない楽しんでいるような表情でこちらを眺めている。

 加減を思い出しながら力を込めると、今度は仮面にヒビが入った。

「あ」

「あ」

「あ、所長、お疲れ様です」

 僕と酒井さんが声を上げるのと、津山がドアに向かって一礼したのは同時だった。仮面にヒビが入ったハイドラを背に隠して慌てて振り向く。酒井さんが動揺した表情のまま父に近づいた。

「お疲れ様です。本日は視察と伺っておりましたが」

「ああ」

 父は所長の顔で僕をちらと見て、酒井さんに向き直る。

「うちのつまらない息子が面倒かけていないか」

「いえ、そんなことは」

 そんなことを聞かれたって、酒井さんも否定しづらいだろう。普段より少しだけ声が大人しい。

「津山、お前いつもここで一服しているそうだな」

 矛先が津山に向かい、ざまあみろと思っていると、サボっていたのになんとも思っていないのか津山は肩を竦めた。

「美女と美味しいコーヒーがいただけるもので」

 軽薄な台詞に父の口角が少しだけ上がった。僕がそう返したら、きっとこの反応じゃ済まないだろう。津山は実の息子の僕より、つくづく父に信頼されているのだと思い知った。その証拠に、父とは一度も目が合わない。

「ハイドラを少し見ていく。普段通りにしていて構わない」

「はい」

 普段通りにできるなんて本当に思っているんだろうか。

 ベンチにいた魚状のハイドラを物珍しそうに観察している父の背後で、仮面のハイドラに意識を戻した。ヒビが入っているが、中の様子は伺えない。小刻みに震えていて、悪いことをしたような気持ちになる。これは、命に関わるようなことなんだろうか。彼らに対する知識が人間には少なすぎた。

 着信を知らせるメロディが室内に響いた。

「酒井です」

 タブレット型の端末を操作して応答する。相手は生態管理部だった。

「そちら預かりの個体番号エム四六七ですが、バイタルに異常が認められます。この通信切断後、回収に伺います」

 抱えたハイドラの足裏を静かに確認した。エム四六七。

「わかりました。お待ちしています」

 酒井さんは淡々と答え、通信は終わった。その足で彼女は僕の元へ来てエム四六七を取り上げる。

「す、すみません酒井さん、僕が」

「その話は後で」

 所長の様子を伺いながら、彼女なりの小声で僕の謝罪は遮られた。

「何か問題でも起きたのか」

 地獄耳でなくても会話が耳に届いてしまうのは避けようのない事態だ。決して酒井さんが悪いわけではないし、元はと言えば、僕が悪い。父がこちらを振り返り、抱えられたエム四六七を一瞥した。

「いえ、大丈夫です。この個体が回収されるだけですので」

「そうか」

 そんな厳格な態度の父は豚のような耳のハイドラにぴったりと後ろにつかれていてつい笑ってしまいそうになったが、今室内はそんな空気ではない。空気を読め、と自分を叱咤しながら、必死に俯かないようにしていた。

 ピピッ。ドアの解錠音。白衣を着た眼鏡姿のガタイの良い男が檻を持って入ってきた。

「個体番号エム四六七、こちらですか」

「はい。確認お願いします」

 男は大きな手でエム四六七を鷲掴み、ひっくり返した。目視で確認し、檻に近づけると埋め込まれたチップに反応して、錠の落ちる音がした。そのままあいつはぱっくりと口を開いた檻に放り込まれる。

「はい、照合取れました。ではお預かりします」

「よろしくお願いします」

 一連のやり取りを見ていた父は顎に手を当て頷くと、男が出ていくのに合わせて部屋を後にした。恐らくエム四六七がどうなるのか確かめに行ったんだろう。

 あっという間の流れるような出来事に、残された者には静寂が訪れる。

「……では私も今日は失礼します」

 澄ました津山は去り際、「酒井さんに迷惑をかけるなよ」と僕に捨て台詞よろしく言い放ち、ドアが閉まった。お前に言われなくても、わかっているというのに。

「やることが多いわね」

 ようやく二人きりに戻り、息を吐き出しつつタブレット型端末を操作する酒井さん。僕を責める素振りはない。

「まず報告を上げるから、五十嵐は鳴き声についてレポート作成して頂戴。私は回収された——」

「酒井さん、怒ってください」

 彼女からしたら、脈絡もなく言葉が出てきたと思うだろう。しかし取り消そうとは思わない。拳を握った両手を見下ろした。室内に漂う、『子供のやったことだから仕方がない』という雰囲気が惨めだった。

「五十嵐?」

 怪訝な視線が僕に向けられる。見られるのは苦手だ。逃げたい、逃げてしまいたい。

「もしかして、回収されたのは自分のせいだって思っているの? 指示したのは上長である私よ。あなたの責任じゃない」

「そ、それでも、そうだとしても、何か一言くらい、ありますよね」

 自分がこんなに必死になってしまっているのには理由があった。

 このまま大した叱責もなくこの件が終わってしまえば、それはこれまでと一緒だからだ。大人になったはずなのに、何も変わらない。失敗しても間違っても、怒られない。それは関心がないのと同義だ。僕はここにいる、怒って欲しい、と幼心ながらに思っていたのは今も続いている。僕に厳しかったにも関わらず、興味がないのが手に取るようにわかるような、そんな父の元にいたから。

「……あなたがそこまで言うなら、言わせてもらうわね」

 酒井さんはタブレット型端末をテーブルに伏せた。目が合ったがすぐに逸らしてしまう。

「うじうじしないで」

 本当に一言だけそう告げた酒井さんはカップに残っていたコーヒーを流しに捨て、津山の分と合わせて洗った。あいつ、自分こそ酒井さんに迷惑かけてるじゃないか。そんな文句すら吐き出したくなるほど、自分に嫌気が差していた。

2021年8月24日公開

作品集『ディア・バチュエ』第3話 (全6話)

© 2021 挽混座

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