#2

ディア・バチュエ(第2話)

挽混座

小説

2,346文字

 この仕事のどこが問題なのか、わかっただろうか。

 まず、仕事中常に一緒にいるハイドラは言葉が通じない。たまにハイドラ同士で意思の疎通をしているらしい場面に出くわすことはあるが、基本的にやつらは音を発さない。しかし、そういう器官がないわけではないらしい。方法を知らないのか、単に必要がないからなのか、そこまではわかっていなかった。

 そして僕以外に唯一のメンバーかつ上司である酒井さん。歳は三つほど上らしいが、童顔のせいか年下にも思える。

 彼女は普段から声が大きい。ひそひそ話とかはできないタイプで、いつも僕はびくついてしまう。機嫌が悪いのか、時々話しかけても無視をされる。ここへ来た初日、初対面にも関わらず『あなたが所長の息子さん。ずいぶん髪が多いわね。まあ、あまり期待はしていないわ』と言い放つ。以上の理由から、僕は酒井さんが少し苦手だった。好きになるにも嫌いになるにも、まだ半年ほどの付き合いなので圧倒的に情報不足ではある。

 ピピッとドアが解錠される音がして、僕と酒井さんは振り返った。研究所の人間はみなもれなく白衣を身につけているが、入室してきた僕の同期は濃紺のスーツの下にベストまで着こなしている。

「どうも」

 彼は主に酒井さんへ向けてにこやかに微笑み、部屋の隅にあるコーヒーメーカーへ一目散に歩を進めた。酒井さんは一瞥だけし、すぐにまたハイドラの観察に戻る。

 勝手知ったる表情でカップを物色していた同期、津山の背後を取ると、彼はようやく僕に視線を寄越した。

「私に用事かな、五十嵐」

 津山は赤色のスタンダードなマグカップを手に取ると、コーヒーメーカーにセットする。ボタンを押し、淹れ終わるまでの間は付き合ってやると言わんばかりの態度で腕を組み、テーブルにもたれた。

「別に。暇なんだなと思って」

 この伊達男は僕と唯一付き合いのある同期で、左の口元にほくろがあり、サラサラの前髪で右目だけを隠し左側は耳にかけ露出しているというなんとも説明のし辛いいけ好かない髪型をしている。こいつは研究員ではなく、所長、つまり僕の父の補佐としてこの研究所に所属していて、秘書のようなことをやっているらしい。父とはあまり仲良くはないし、興味がないので詳しくは知らない。

 そんな彼は一週間に何度もこの部署へ足を運ぶ。なんでも、彼の一番好きなコーヒーメーカーがここにしかないから、らしい。そんなくだらない理由で仕事の邪魔をされては困る。

「お前、今、仕事の邪魔だとか思っただろう」

 あと勘がいい。面倒くさい。そして若干潔癖症の気があると思っている。カップを物色しているのもそれが理由だと。

「五十嵐! 津山なんかに構ってないで手伝いなさい!」

「はい」

 酒井さんの叱責で僕はハイドラたちの元へ戻る。津山がコーヒーを啜りながら僕たちを眺め、しばらくすると無言で出て行った。

「……津山と仲良いのね」

「えっ?」

 思わず素の声が出た。先ほどのやりとりのどこをどう見たらその解釈になるんだろうか。

「私とは、何も話さないじゃないの」

 寂しさを感じさせる声音で酒井さんは呟き、ぱっと立ち上がった。

 どうしてそんなことを急に言うのだろう。津山と話していたと言っても、ほんの少しだ。私語として咎められることもないくらいの、些細な言葉の応酬だった。

 僕は彼女の表情から、何も読み取ることができなかった。本当に欠陥品だな、と、こんな息子しかいない両親が哀れに思えた。もし津山が彼らの子供だったら、しなくていい苦労もあっただろう。

 酒井さんは僕のことを疎ましく思っているわけではないんだろうか。しかし、それを聞く勇気は僕にはなかった。

 比較的手の長いハイドラは自分でパズルを取り、手当たり次第に投げている。手の短いハイドラにもパズルを持たせ、ここに置くんだと誘導する。手のないハイドラはこちらを見ているのかいないのか、たまに僕にぶつかってきたり、びよんびよん跳ねている。

 この部屋の至る所にはカメラが取りつけてあり、別の部署が音声や映像から記録を取っている。だから気づいたことを個別にレポートにすることはあれど、本当にここではハイドラたちと接することしかしていない。『保育所』や『お遊戯会』などと陰口を叩かれる理由がそれだった。酒井さんは気にしていないんだろうか。

「酒井さんは、どうして一人でここにいたんですか」

 聞きたいことがどういう経路を通ったのか、全く違う質問になって口から飛び出ていた。酒井さんもコーヒーを淹れたらしく、カップ片手にこちらへ向かってくる。

「この仕事を……ハイドラと触れ合うことを、やめたくないと思ったから」

 聞いたくせに何も言えず黙っていると、酒井さんは再び口を開いた。

「ここはハイドラを研究しているでしょう。研究しているとひとくちに言っても、その方法は様々よね。でも生きている彼らとこんな風に触れ合えるのは、この部署以外にない。だからよ」

 答えになった? と酒井さんは首を傾げた。慌ててうなずく。

「未知の生物、ハイ・エルドラド。あなたのおじいさまが発見し、命名した、どこから来たのかもわからない生物。宇宙から侵略しに来たんじゃないかという説もあるわ。あなたはどう思っているのかしら」

「いえ、僕は、別に……」

 当たり障りのない回答は失敗した。心拍数が上がり、汗がじわりと滲んだ。何が『別に』だ。まともに喋れない自分が嫌になった。

「悪かったわね、踏み込みすぎたわ」

 酒井さんは僕の次の言葉を待たずテーブルにカップを置くと、ハイドラの群れの中へ戻って行った。ぽつんと佇んでいた巻貝のようなハイドラを僕に渡す。

「それでも、仕事はしてもらうわ」

「はい」

 こいつ相手に何をしろと言うのだろう。逆らえない僕は一も二もなく首を縦に振り、魚状のたらこ唇のハイドラが横たわるベンチへ腰掛けた。

2021年8月22日公開

作品集『ディア・バチュエ』第2話 (全6話)

© 2021 挽混座

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