希望の旅

たいやき

小説

5,021文字

以前、PDFで作品を上げたのですが、読みにくいとのことで、サイトに上げました。
学生時代に部誌に寄稿したものですが、稚拙な部分も多く、いろいろと改稿し、初出の新作として投稿します。
夏のお話です。是非に

こくこくと、闇の中に落ちていく。そしてはっとなって、またぼやけた景色を眺める。こんな日でも眠気が来るものなのかと、ぼんやり考える。もしかしたら、先ほどから飲んでいるビールのせいかも知れないし、暖かい日差しのせいかもしれないし、不安や緊張に対する、本能的な暖和なのかも知れない。手に取った文庫本も、今日で最後だと思うと、文字が上滑りして頭に入って来ない。電車の窓から流れる景色を見る。最後だからってとくに変わらない。大学の通学中に見るいつもの景色。いつも通り、田んぼや川ばかりの単調な景色。今日で終わりにする。俺は今日、あの海に身を沈めるのだ。

あの海に電車で向かうには、粟津駅から乗り、約四十分揺られて、金沢駅まで向かう。そこから七尾行きの電車で約一時間揺られ、羽咋駅で降りなければならない。

少々大げさかも知れないが、最後の旅と称して準備も整えてきた。

「次は、小舞子、小舞子」

小舞子駅。この近くにも綺麗な海がある。俺は一度、この海でも身を沈めようとしたことがあった。だが、死ねなかった。迫って来る波の恐怖、そんなものでは無い。あの時、彼女が見えたのだ。この海に身を落としたはずの。

「すごい! 沼下君。蟹、蟹いるよ」

普段大人しく、暗い表情の多い彼女がはしゃぐ姿は、新鮮で眩しかった。

「ね、ねぇ、沼下君も少し、う、海に入ろうよ」

「えー、冷たいし嫌やわ」

そう笑って返すと、彼女はこちらに駆け寄ってきて、俺の手を引いた。

五月の海はまだまだ冷たく、思わず

「つめた!」

と情けない声を上げてしまう。

「す、すぐ慣れるよ」

「なぁ。なんで今日そんな元気なん?」

俺の問に彼女は急に表情を硬くして、

「沼下君に連れて来てもらったから……うん。沼下君、私のために、連れて来てくれたから」

彼女は正直だった。そして俺の心中には、小さな罪悪感が宿った。

 

彼女の顔を改めて見る。緩みきって無い、どこか緊張をほのかにたもったような笑顔。それが、ちょっと痛々しかった。

 

電車の窓からは、小舞子の海は見えない。どうせ最後なのだからと、ちょっと寄ってみようと思ったが止めた。そのまま海を見て帰りそうな気がした。

「かえろ、いっしょに」

俯いた顔。赤らめたまま、小さく袖を引いてくれる。周囲に人がいる中で、言葉を発するのがつらい。その辛さと小学生の頃から闘っている。そう聞いていたから思わず目頭が潤んだ。

小舞子駅を出発すると、俺は目を閉じた。ぼんやりと、潮の匂いと、彼女の顔が浮かんでくる。

白い頬をいつも赤らめて、下唇をくっと噛んで、常に何かに耐えているようだった。

「あの、山本さんですよね?」

「は、はい」

「さっきのゼミで、ペンケース忘れてましたよ」

赤い頬がさらに濃くなる。

「あ、あのすいません。ありがとうございます」

「あの、良かったらお昼食べません? 一緒に」

「え、え、」

「あ、何か用事ありました?」

「あ、いえ、ないです」

「じゃあ良かったら。大学の近くに行ってみたいカフェがあったんで、付き合ってくれませんか?」

静謐な空間に、沈黙が重なって若干の居心地の悪さを感じる。その空気を切り崩したのは彼女だった。

「あの、あの私、あの、うれしいです。初めてこえかけられたんで」

「え?」

「あの、みんな、みんな見えないふりしてたから。私のこと。その、うれしくて」

 

肩を叩かれ、視線を隣に向ける。そこには彼女がいた。

「沼下君……あの、色々とありがとう。それで、その、ごめん」

「あやまらなくていいよ」

彼女が海に身を落としてからは、3カ月ほどして、退学届を出した。何も引き止められずあっさりと受理された。

「ぬ、沼下君のせいじゃないから」

「それたくさん言われた」

「ごめん」

「それも」

「……」

「ぶっちゃけ周りなんてどうでもよかったよ。ただ純粋に君がいない事実が辛かっただけ」

自分でそう言って、寂しい気持ちに胸が締め付けられる。彼女は俯いたまま。俺は何かを言うにはあまりにエネルギーが足りなかった。彼女を前にしても。

「沼下君、い、いままで本当に、あ、ありがとう。じゃあね」

彼女の言葉が、鼓膜を優しく撫でる。立ちあがろうとするも、力が入らない。

呼び戻そうと声を上げようとするが、声も出ない。残り火のような後悔を感じながら、俺は空席を見つめ続けた。

もうそろそろ金沢駅に着いただろうか? いつの間にか閉じていた瞼を開く。次の停車駅の、松任が表示されている。小舞子からまだ三駅ほどしか進んでいなかった。今日はやけに時間が長く感じる。気付けば目の前には、二人のおばさんが座っていた。確か俺の座った席は、二人掛けの席だったはずだが、いつの間にか四人掛けのボックス席に座っていた。不思議に思いながらも、面倒になりまた瞼を閉じる。

おばさん達の声が耳につく。何の話かは分からないし、興味もないのだが、単語だけが妙に耳に入ってくる。

「あんちゃん」「自殺」「若いのに」「可哀想」「もったいない」

このおばさん達は、俺の事を話しているのだと気付く。そうだ、俺が眠っているのを良い事に、俺を話のタネにして盛り上がっているのだ。

「自殺」というワードが連発する。俺はたまらなくなって、

「そうです、俺は自殺しに行くんです!」

「あの時だって失敗したんに?」

右のおばさんが、そう問いかけてくる。

「あの時……」

「あの雨の日や」

そうだ、あれは、叩きつけるような大雨が降っていた夏の夜だった。半袖でやってきた俺は、寒さに震えていた。

「最後の日くらい晴れろよ……」

苛立ちを押さえられず、目の前にあった小石を蹴飛ばそうとする。しかしすぐに、俺らしいなと妙に納得し、爪先まで触れていた小石から足を引く。

立ち入り禁止のロープを乗り越え、俺は森の奥まで進んだ。持ってきた折り畳み式の椅子の上に乗り、太い木の枝にベルトをかける。そして俺は、ベルトに顎を置いた。少し体重をかけてみる。耳の横で、心臓の音や血液の流れる音。この椅子を蹴れば終わり。だが、中々蹴る事が出来ない。暗い闇の中に独り。本当の孤独。意識なんてなくなって、無に還るだけだ。そう言い聞かせても、激しい動悸が止まらない。闇の中に落ちていく感覚に、恐怖を感じているのだ。ここから先、何もない世界。死への恐怖。これは本能からくるものなのか? 俺は死にたいと嘆いているのに。

「結局、死ねんかったんやよね」

結局、首はつれなかった。俺がベルトに顎を置いて、ずっとウダウダとしていると、警官達がやってきて俺をパトカーに乗せた。私有地の中に誰かが入っていったと、通報があったらしい。死を覚悟したその夜。俺は生きてしまったのだ。

「今日は本当に死にますよ! あの海で」

おばさん達は顔を見合わせる。

「ねぇ、あんちゃんは、生まれ変わったら何になりたいんや?」

右のおばさんの唐突な問いに、戸惑っていると、

「死ぬってことは、生まれ変わる可能性だってあるんやよ。輪廻転生。なぁ、あんちゃんは何になりたいんや?」

「まあまあ、まずは自分が答えてからでしょ」

左のおばさんは、右のおばさんを優しく諭す。

「あたし? あたしはねぇ、猫やなぁ。可愛い猫。皆に愛されて、仲間の猫なんかにもモテて。今の人生なんかよりよっぽどいいわ」

「猫、いいわねぇ。あたしは蝶かな。蝶みたいに、自由にお空を舞うの」

おばさん達二人は俺を見る。

「俺は……」

「お父さん! 蛍が逃げた」

車内にキンキンと高い声が響く。

「こらこら、そんなもん持ってくんなっていったやろ」

少年の虫かごから蛍が逃げ出す。蛍は黒い羽を広げ、車内を静かに飛び回る。そしてつり革に止まる。

「俺は、蛍です」

「蛍? 何故?」

左のおばさんは、不思議そうに問いかけてくる。

「蛍って成虫になると、一週間くらいしか生きられないんですよ。だからです」

「一週間って、あんちゃん短すぎるやろ」

右のおばさんは怪訝そうにいう。

「いや、人間が長すぎるんですよ」

そう言ってから俺は少し俯く。左のおばさんは少し考え込んでから、

「確かに、これだけ長いと、命の価値が分からなくなる時期もあるわよね」

「そうですよ、分からないですよ。命の価値なんて。楽しさや希望なんて一瞬で過ぎて、その後の長い、悲しみや絶望を引き立てているに過ぎないんですよ。そんな人生なら生きていても意味ないんですよ。無価値なんですよ、俺の人生なんて」

「そう思うのも、仕方ないわよね。だって、自ら望んで産まれてきた人なんていないもの。産まれてきて、気付いたら私達は生きていたのよ。そして気付いたら、嬉しくなったり、悲しくなったり、希望を持ったり、絶望したり……」

左のおばさんは一瞬、窓にちらりと目を向けてから、話を再開する。

「でもね、自分で自分の人生が無価値だなんて、もう終わりだなんて決めつけられるほど、人間は偉くないと思うのよ。最後まで生きてみないと、産まれてきた意味や自分の人生の価値を、本当には知れないと思うわ」

しんとした空気が車内に漂う。右のおばさんがそれを打ち消すように、

「まっ、人生を語るには、私達はまだまだ若いってことやな!」

そう言って、下品に笑う。それにつられて、俺も思わず微笑む。

俺達は手元の缶ビールで乾杯した。

「そうやった、そうやった」

右のおばさんは、缶に口をつける前に、急に立ちあがる。

「これから私達お買い物よ」

左のおばさんがふと思いだしたように言う。

「それじゃあ仕方ないですね……」

車窓から、野々市駅が見える。

「ではまたね。今度会った時は、もっと美味しいお酒を飲みましょう。私達は蛍じゃないからね。また会うわよ、きっと」

今度。また。その言葉が胸をつく。

 

「終点、金沢、金沢」

やっと終点に着く。もう何日も電車に揺られていたような気がする。うつらうつらとした頭を持ち上げ、体に力をいれ立ち上がる。ふわふわして足元がおぼつかない。

七尾行きの電車には乗客が殆どいなかった。居心地が良い。缶ビールを開ける。今日で最後ということを、すっかり忘れそうになる。

普段は見慣れない七尾行きの景色に、気持ちが高ぶってくる。狭い世界で達観していたのがばからしくなってくる。しかしすぐに、こういうことは何度もあったと思い返す。一時的な感動や楽しさに化かされ、少し真面目に生きてみても、どうせ馬鹿を見るのだ。いままでそうだったじゃないか。

 

「生きてみないと」

 

左のおばさんの声が蘇る。俺は大げさに頭を振って、また缶ビールに口をつける。

東金沢駅を過ぎて森本駅。そこでふと、財布がない事に気付く。バックをひっくり返しても、ポケットを探っても見当たらない。不安で胸が詰まる。文字通りの貧乏ゆすりが止まらない。だが、どうせ今日で最後だ。駅に着いて事情を話し、通してもらうくらいの融通はきくだろう。そうしたら、そのまま歩いて、あの海に向かえばいい。とにかく今は眠ってしまおう。そう思って、私はまた瞼を閉じる。

小さな子供が俺を見上げ、無邪気な声で、

「おとうさん、おさいふおとしたよ」

(おとうさん?)

困惑しながらも、その財布を拾い上げる。

「これ、にいちゃんの財布じゃないか? ドアの入口のとこに落ちとってん。にいちゃんさっき、なんか慌てて探しとったようやから、もしかしたらぁって思っとってん」

あの時おじさんがそう言って渡してくれた、あの財布だった。酷く汚れてボロボロだったが、あの財布に間違いない。

「あなたいつまでその財布使ってるの?」

目の前には、呆れ顔をした女がいる。

「ああ、まだしばらくは使うかな……」

俺は女に向かって、戸惑い気味にそう答える。

「おとうさん、うみたのしみやね!」

目の前の女は、はしゃぐ子供を見てにこやかに微笑む。心地いい空気が漂う。その心地いい空気に段々と体が順応していく。

「そうか……」

「急になに?」

「いや、ちょっと昔のこと思い出してただけ」

窓からやわらかい光が差し込む。

「おとうさん、うみいったらすなでおしろつくろう!」

俺ははしゃぐ和也の頭を撫でながら、

「電車の中では静かにな」

と優しく諭す。

「わかった!」

一匹の蛍が、車内のつり革に止まっているのを見つける。あれから、後悔も、傷つくことも沢山あった。長い、長かった。これからだってまだまだある。彼女はどうしているだろうか? あのおばさん達はどうしているだろうか?

「じゃあね」「では、またね」

その声に重なるように、

「次は羽咋、羽咋」

低いアナウンスが響く。俺は生きていた。

 

2021年8月9日公開

© 2021 たいやき

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