まっしろなブルー

常世田美穂

小説

3,027文字

【第3回THE NEW COOL NOTER賞文芸部門応募作】
「だから私は土をいじるの。せめてもの反抗よ」
 ウインクだって様になる。彼女はとても美しかった。

 

 

 

目尻のしわ。加齢による劣化は多少なりとも覚悟していたはずだが、いざみつけてしまうと動揺するものだなと、他人事のように考える。左右非対称なのが忌々しい。右と左でまるで顔が違うのだ。しわが目立っているのは、左側。人間の美というものは、いかにシンメトリーに近づけるかである。お隣の奥さんは完璧なほどそれに近いというのに、私は。

辿っていくと、ほくろがある。泣きぼくろともいえない中途半端な位置。ここでも私は嫌悪する。しみとそばかす、異常にあいた毛穴。ほんの少しを気にしだしたらキリがなく、気分は降下していくばかりだ。くちびるの下にニキビの兆し。触れてはいけないとわかっていながら、薬指で軽く押す。数回やって、顔の右側をてのひらで覆う。自分の左側は気に入っていたのに、最近、このとおり不調なのだ。左側をてのひらで覆う。きらいだ。そうして全てを覆う。今までケアを怠ったことなどない。食事にも気を遣っている。睡眠時間も、運動も。セックスすれば綺麗になるというからそれも嗜み。彼は私を求めてくれる。私の悩みを気にしすぎだと笑いながら、宥めるようにキスをする。わかってないな。私はいつまでも美しくありたい。近づきたいのだ。うっとりするほどの透明感。澄んだ瞳。圧倒的シンメトリー。完璧な彼女にも、悩みはあるようだったが。

「うちのひと、ちょっと、変わっているの」

憂いを帯びた、その横顔があまりにも美しすぎた。だから私も憂えるということをしてみたかった。しかしいざ憂うというのも私の悩みでは自意識がすぎて、くだらない、ような気もした。彼女は家庭菜園をしている。いつも寝室の窓からその様子がみえる。朝がはやい。ここに越してきた翌日、セックスしながら彼女の姿をみつけた。汚れるのが目にみえているしろいワンピースに、ビジューで光るサンダル、デニムのエプロン。不似合いな、軍手。

朝から精がでるなぁ。

……どっちが?

寝バックでなかを抉られながら、彼とした会話もよく覚えている。

 

「アオ? すてき。私ブルーって大好きよ」

仕事にいきづまるとよく散歩をする。行きも帰りも奥さんは庭で土に夢中になっていた。彼女の笑顔は自然とこぼれるようで、私には心底うらやましい。いつものようにしろいワンピース。デニムのエプロン。みとれていると目があってしまい、庭に招待されたのだった。今までは薔薇の生け垣を隔ててあいさつ程度。唐突なお招きに鼓動が高鳴る。満面の笑みでファーストネームを尋ねられ、控えめに「蒼」と名乗ったところだった。大好きと無邪気にいわれるとますます心拍数が跳ねあがったが、違和感も芽生えた。

「しろ、じゃなく?」

私は思わず声にだす。間近でみた彼女のワンピースは、繊細なリネン。襟元には刺繍が施されている。なにもかもが、まっしろな。

「これは夫の好みなの」

「汚れてしまうのに……」

「だから私は土をいじるの。せめてもの反抗よ」

ウインクだって様になる。彼女はとても美しかった。

「名前、私もブルーよ。おそろいね」

「え?」

そして彼女はほがらかだ。

「瑠璃っていうの」

おそろしく完全な名を持つひとだ。深い青の瞳にみつめられながら、私は思った。

「奥さんじゃなく名前で呼んでね」

彼女がもいだトマトは随分おおきい。みつめあうようにトマトに微笑んで、彼女はその場でかぶりつく。ジュレが、したたる。襟元に、伝っていく。汚い、と思うのに、彼女はやっぱり綺麗だった。

 

大玉トマトにナス、ズッキーニ。野菜をお裾分けしてもらうほどの仲になると、予感だけではなく彼女との距離は私の望んだものになりつつある気がした。私が庭をのぞくたび瑠璃さんはうれしそうなのだ。もらいっぱなしでは申しわけないから、私はたまに衝動的に量産したくなるクッキーを焼いて、慣れないラッピングでお返しした。女性にはピンクがいいのかもしれないと一瞬思ったけれど、瑠璃さんはブルーが好きなのだからリボンは迷わずともよいのだった。彼女はおおげさなくらい全身でよろこんでくれた。

せっかく夏野菜が豊富なのに料理のレパートリーは少なく、仕事よりも頭を悩ませる。瑠璃さんがよくつくるメニューも聞いてみればよかった。そしたらもっと私は彼女に近づけるのかもしれない。パートナーの好物を眺めながら、散り散りの焦燥。瑠璃さんが持っていたときは随分おおきく感じたけれど、今、私の手のなかにあるトマトは、ちいさい。

「すっげー仲よくなったじゃん」

ふいに背後から抱きしめられた。掴まれる手首。流れるように彼はトマトに齧りついた。付き合いはじめのころは、この強引さにときめいていたのだ。うま。つぶやいた彼の頭を撫でながら思いだす。今は、手首にしたたっていくジュレがこのうえなく不快だ。

「おかえり、」

彼は答えず私にキスをする。

「今日なに?」

くちびるを触れあわせたまま尋ねられる。なに、って、なに。飯。もう。まだあかるい空のした、夜の気配。夏は体内時計が狂うから困る。

「……悩んでる」

「パスタでいいよ。別に凝ったもの求めてないから。お前も仕事してるんだから、大変だろ?」

私の返事は呑み込まれる。今日も彼のキスが曖昧にさせる。でも、といいたかった。私はごまかしのきかない胸のもやもやを、彼に話すべきだった。

「なんかおまえ、綺麗になった」

「ほんと?」

「おれは前のほうがよかったなぁ」

こころが冷えていく。彼が悪意なくなにかをくちにするたび。腰より低いシンクに追い込まれ、対面。顎を掴まれる。右の目尻にキス。傷ついたこの顔がわからないのか。私は。昔よりも今が。未来が。私は。

「もっと綺麗になりたい。あのひとみたいに」

「張りあってどうするんだ。あんな女じゃ勃たない。お前だから勃つんだ。わかるだろ?」

「そういうことじゃないんだよ」

声を荒げても彼には伝わらない。どうした、と甘い声で。機嫌なおせよ、とめんどうなのを抑えた表情で。彼は抱きしめればなにもかもが解決すると思っている。

「疑わないの? おれが奥さんと仲よくしてても」

「はは、」

いやな笑いかただ。吐き気がするほどの。

「おまえが女を抱けるわけがないだろ」

 

あいつは、おれのこころが絶対に変わらないと思っているんです。絶対なんてないのに。けど、どうしたっておれは男が好きで、あなたは魅力的だけどあなたよりもあなたの旦那のほうを目で追ってしまうのは否めないし、

ふふ。彼女の笑みは私が懺悔してもやさしかった。

「みる目がないのね」

「それは、お互いさまです」

あなたはトップとボトム、どちらなのかしら。めずらしい聞きかたをするひとだ。瑠璃さんは日本にきてそれなりになるというが、友だちがいない。原因は想像できてしまった。

「戦略を立てましょう」

「おおげさだな」

「おおげさじゃないわ。これくらいなら許されるだろうって今まで流されてきたのよ。私あなたと出会って麻痺していた感情が戻ったの。あのひとたちには支配されることの恐怖がわからない。気持ちがわるいわ。薔薇の棘を少しずつからだに刺されるように傷つけられているのに、向こうが正しいなんて顔をされ続けるのよ。冗談じゃない。私たちはデモを起こすべきなのよ」

「たったふたりで?」

「ふたりだからよ」

いい? 彼女はいう。悪戯好きの少女のようだ。私たち、夜明け前にこの街からエスケープするの。

「私きっと、ずっとあなたを待っていたんだわ」

 

 

 

2021年8月3日公開 (初出 note

© 2021 常世田美穂

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