Cというこどもたち

蟻塚ノゾム

小説

4,628文字

わたしたちはずっといっしょにいられるとおもってた。

⚫ああわたし、いつのまにか、いたの。あなたの、そばに。

 

 ⚫廊下の真ん中で。ふざけて入った空っぽの浴槽の中で。シャワーを浴びる音が聞こえる浴室で。洗面器の中で。まだ目が開かなくて、なぜだか、首が、とても苦しい。誰かの啜り泣く声。嬰児の泣き声が、そこらじゅうに、響いている。飛散していく。

 

 ⚫私たちは、共通の目的があって、生きている。共通の目的のために、死んでいく。

 

 ⚫「どうしてここには花がひとつも咲かないのかな」アビーがつぶやく。「きっと、血を流しすぎたせいだよ」私が返事をする。

 

 ⚫アビーの横顔を、そっと見つめる。伏し目がちのせいか、儚げに見えるアビーは、私とよく似た顔をしているのに、私よりもずっときれいに見える。どうしてだろうか。同じ顔のはずなのに。「あなたたちは、本当にそっくりね」私たちを見た人もみんな、口を揃えてそう言うのに。

 

 ⚫アビーは眠っている。いつ起きるかな、なんて思いながら、私はアビーの寝顔を見つめている。

 

 ⚫ベビーベットの中を覗くと、何もなかった。この中にいた子たちは、どこに行ったのだろう。

 

 ⚫ライカが泣いていた。泣けるはずがないのに、涙を流していた。あれはきっと、オイルだ。そうでなかったら、なんらかの不具合だ。ライカは、あの人が、新品の状態で買ったアンドロイドだ。私は、あの人の言うことを聞くライカが、好きではない。だからといって嫌いというわけでもないけど、決して好きにはなれない。だからなるべく、ライカのことは考えない。視野に入れない。これ以上、だれかを憎みたくなかった。

 

 ⚫アビーの白くて細い指。微かに血管の透けた肌。丸い瞳。私も同じようなものをもっているはずなのに、アビーのそれらとは全く違う気がする。私たちは、小指の爪だけに、薄いピンク色のネイルを塗っている。

 

 ⚫「草や木が、血を養分にしたら、きっと育たないと思う」「そうだね。血のついた植物なんて、想像しただけで、気分が悪くなる」

 

 ⚫アビーがうつらうつらと眠たそうにしている。少し眠ったらいいよ。この季節によく合うとされる、タオルケットをひき寄せながら、私が言うと、アビーは目を瞑り、ことんと眠りに落ちた。最近、特に眠いのだと言っていた。伏せられた長い睫毛が目立つ、柔らかなアビーの寝顔を見ていると、いくらか気分が落ち着いた。私は何回も、アビーにたすけられている。

 

 ⚫小指の爪に塗られた薄いピンク色。それは私たちが私たちである証だった。ネイルは永遠ではなく、剥げたり取れたりする。今がそう。おそらく汗でふやけてしまったのだろう。だから一旦、除光液で拭き取ってから塗り直そうと思う。

 

 ⚫アビーは、まだおきない。

 

 ⚫アビーの膝の上には、スケッチブックがのせられていて、描きかけの少女の絵が、無表情にこちらを見ていた。少女のすぐそばに、アマノ、と鉛筆で薄く文字が書かれている。それはきっと、このスケッチブックの一ページのなかの主人公である、彼女の名前だろう。アビーが、人物を描く時はいつも、髪を最後に黒く塗る。まっすぐに伸ばした下描きのそれを、ゆるい筆圧で、何度もペンを往復されながら、描き込んでいく。黒い髪は今にも、絵の中の風に吹かれて、さらさらと動き出しそうだ。

「この子は、アビーの知ってる人?」いつか聞いたことがある。アビーは困ったように笑って、違うよと首を横に振った。わからない、と言って、それ以上は、おしえてくれなかったけれど、私にとっては、その答えだけで充分だった。

 

 ⚫「なんて可愛らしい子たちなの。何歳かしら?」わたしたちはこたえない。ただしくは、こたえることができない。アビーはねむっているし、わたしはまだことばをつかえないから。かわりに、あのひとがこたえる。きんきんしたいやなこえで。

 

 ⚫私は、アビーの絵が好きだ。素直で繊細で、なにより自分に正直な気がするから。その言葉は、何度もアビーに伝えている。その度に彼女は、くすぐったそうに笑う。わたしたちはずっとこのままだとおもっていた。

 

 ⚫インターネットを開いて、動画を見ていた。見た目では、性別のわからない、ひとりのこどもについてのドキュメンタリーだった。とても楽しそうに、わらっている様子が、映し出されていた。「この子には眼球がないけれど、きっと何でも見えるし、全てを知っていると思う」「なんだか、かみさまみたいだね」私たちは、自分のことを障害者とは思っていない。不便だと、感じたこともない。わたしたちは、わたしたちだ。

 

 ⚫アビーの描く少女は、いつも憂鬱そうに佇んでいる。上半身には何も着けていない。黒く長い髪が、両方の乳房を隠している。暗い色の無地のスカート。大きな瞳。この子は一体だれだろう。モデルがいるのかもしれない。だれをモデルにしたのだろう。テレビで見た人だろうか。でも、アビーはテレビがあまり好きではない。

 

 ⚫アビー、おきて。

 

 ⚫時計の針が午後三時を告げると、ぎこちない動きの、限りなく人間の女の人に近い姿をしたライカが部屋に入ってきた。「エリナ、アビー、お薬の時間ですよ」ライカが運んできたトレーの上には、水の入ったコップと、白い錠剤がひとつ、のせられている。いつもと同じ時間に、いつもと同じ、私たちの体を助ける薬と、透明な水。アビーはまだ起きない。ライカが戸惑ったような顔をしているような気がした。「ありがとう。私たちは大丈夫だから、早くあの人のところに行ってちょうだい」ライカは何か言いたそうにしていたけど、「わかりました」と頭を下げて、部屋から出ていった。私はため息をひとつ吐くと、薬を口の中に入れて、水で流し込む。なんだか、いつもより苦い気がする。そう思った途端、視界がぐらりと揺れた。

 

 ⚫アビー、まだ、おきないの?

 

 ⚫少女が、こちらを見て、笑っている。アビーが、よく描いている少女だ。名前はたしか、アマノ、だったような気がする。いつもは、暗い色の瞳をこちらに向けているだけなのに、今は不自然な笑顔で、手には包丁が握られている。「えらんで」少女は、あどけない口調で喋る。開いた時に見える口内は黒く、目はもう笑っていない。茶色い瞳は、まっすぐに私を見ていた。「選ぶって、何を?」「しぬか、ころすか、いきるか、えらんで」私は何も言えなかった。

 

 ⚫私は、母親のことを、「あの人」と呼ぶ。私たちを疎ましく思う人間なんて、母親ではないから。人間でもないかもしれない。きっと、体内に、血が流れていないんだ。それか、私たちとは血が繋がっていないんだ。私たちはどこかに捨てられていて、気まぐれに拾われたんだ。そういったことを想像していると、私は自分のことをとても人間らしいと感じる。

 

 ⚫目が覚めると、白い天井が見えた。消毒液の、匂いがする。腰のあたりに、違和感があったから、隣を見ると、アビーが、いなかった。どこ? アビーは、どこ? 上半身を起こして、周りを見回す。アビーの名前を呼びたくても、言葉を発したくても、声にならない。私の口からは、叫び声しか出てこない。ばたばたばた、と廊下を走る音がした。白衣を着た人たちが、部屋の中に入ってくる。消毒液のきつい匂いのする女が、私の両手を握る。

 

 ⚫虫だ。虫が飛んでいる。たくさんの。不快な音。私は母親のことを、あの人、と呼んでいた。それがどうしていけないのだろう。あの人だって、アビーのことを、愛してはくれなかったのに。アビーをいない子にしたのは、あの人だ。

 

 ⚫アビーはねむっている。

 

 ⚫私は女の手を振り払った。また、叫び声が聞こえた。とても大きな声。あんなものを聞いていたら、気が狂いそう。いや、もう狂っている。だってあれは、私の声だから。腕にちくりとした微かな痛みが走る。そうだった。アビーは注射を怖がっていたから、通院日に、それを引き受けるのはいつも私だった。でも、アビーはもういないのに、どうして私は今、注射を打たれているのだろう。アビーがいないから、私の隣にいないから、こんなもの、無意味じゃないか。強烈な眠気がやってくる。私たちは、あと何回何十回何百回、人権を踏みにじられないといけないのか。

 

 ⚫私は母親のことを陰で、「あの人」と呼ぶ。優しいアビーは母親のことを、「お母さん」と呼ぼうとする。その度にあの人は、嫌悪感を顔いっぱいに、あらわにする。私たちはきっと、どこかに捨てられていて、あの人に拾われたんだ。あの人は何故か、私のことばかり愛した。愛、とは違うかもしれない。私だけを見て、私だけを心配し、私だけに笑いかける。そんなものは、愛ではない。

 

 ⚫あと、なんびゃっかい、なんぜんかい、なんまんかい、わらったら、ないたら、きりきざんだら、あなたにあえるの。

 

 ⚫アビーの泣き声が聞こえる。もう彼女はこの世界にいないのに。彼女を、私から離したために、死んでしまった。

 

 ⚫後から聞いた話だが、あの人は、ずっと病室にいたらしい。手術が終わってから、私が麻酔で眠っている間もずっと。心配そうに見ていたと、看護師から聞いた。息が詰まりそうな、消毒液のきつい匂い。

 

 ⚫私は今、死ぬか殺すか生きるか、どれかを選ばなければならなかった。

 

 ⚫ライカは処分されることになった。もう必要ないのだろう。元々は、私たちを監視させるために、どこかから買い取ったのだろう。私にとっては、ライカが処分されようが燃やされようが、どうでもよかった。どうせ痛みなんて感じないのだから。感情なんてインストールされていない機械なのだから。本当は、役立たず! と罵りながら、ライカを壊したかった。思い切り、殴りたかった。あの人の考えていることも、これからしようとしていたことも、ライカは何もかも知っていた。その上で、あの人を止めなかった。ライカは最後まであの人の言いなりだった。

 

 ⚫私は、しきりに小指の爪を引っ掻いている。このままネイルと一緒に剥がれてしまえばいいと思った。アビーはもういないから、私たちが私たちである証なんて、必要ない。意味がない。私は早く、アビーに会いに行かなければならない。

 

 ⚫私たちは、共通のもくてきがあって、きょうつうのもくてきがあって、わたしたちは、きょうつうのもくてきがあって。きょうつうのもくてきのために、ずっといっしょにいたのに。

 

 ⚫嬰児の泣き声が聞こえる。なんだかとても、懐かしい。アビーはずっと眠っている。私はアビーの髪を撫でようとした。だけど、手が動かない。視界がぼやけている。ねえ、アビー。わたしたちは、ここにそんざいしているだけで、いきていることになるけれど、それをゆるさないひとがいるから、そのひとたちのために、ころされてしまうから、だからはやく、にげよう?

 

 ⚫体につながれた、鬱陶しい点滴のチューブを引き抜いて、隣にある机の引き出しを開けると、当たり前のように、包丁が入っていた。「えらんで」アマノの声がする。うん、わかった。私は小さな声で返事をした。

 

(20200805)

2021年7月30日公開

© 2021 蟻塚ノゾム

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.0 (1件の評価)

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

実験的 少女 憂鬱 純文学

"Cというこどもたち"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2021-08-03 09:29

    はじめまして。全作読ませていただきました。
    詩的で、世界観が確立されており、ストーリー性よりも構成力に惹かれました。このふたりは一体どんな関係なのだろうと気になってさいごまで読んでしまいました。
    萩尾望都の半神のようなふたりを想像しました。

    • 投稿者 | 2021-08-03 16:00

      常世田美穂 様

      はじめまして、こんにちは。

      すべて読んでくださり、本当にありがとうございます。
      お褒めのお言葉、大変うれしく思います。

      『半神』は大好きな作品です。
      その中のふたりを想像してくださって、なんだかとても不思議な気持ちです。

      フォローもありがとうございます。
      またなにか書けたら良いなと思っています。
      その時は、読んでもらえるとうれしいです。

      著者
コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る