禊 7/7

千本松由季

小説

4,249文字

『禊』最終回。誰かがこの作品のことを「湿ったエロス」だと言った。

      七 走馬灯

 

 気がついたら、真っ赤な走馬灯のようなものが回っているのが見えた。救急車だった。またすぐに意識を失った。救急車の中の人が、私の耳元で、なにをどのくらい飲んだのか、聞いている。頭が重くてなにも答えられない。誰かが私の手を握っている。病院に着いた時、もう一度、赤い走馬灯を見た。

 緊急病棟で、またなにを飲んだのか聞かれた。私は救われようとは思っていなかったので、なにも言わなかった。気持ちの悪い液体をたくさん飲まされた。意識が少し戻ってきた。まだ私の手を握っている人がいる。

「咲岐」

清一郎の声。

「君が電話に出ないから、家に行ってみた。電気が点いているのに返事がないから、管理人を探した」

私は彼から顔をそむける。この人にはもう会えない。頭の中でまだ赤い走馬灯が回っている。

 私はそのまま入院した。朝方、清一郎は帰って行ったが、私は最後まで彼と話をしなかった。精神科の鍵のかかる病棟。自殺願望がある患者の入れられる。私は助かろうとは思ってなかったので、点滴を外して、そっとベッドを降りた。足がもつれて床に手をついた。それでもゆっくり立ち上がって、壁につたって廊下に出た。中庭があって、レンガの壁が雨に濡れている。昨日のことを思い出した。私は汚い自分を罰しようとしていた。

 疲れて、廊下に座り込んだ。看護師さんが私を見つけて話し掛ける。

「食べられるようなら、朝ご飯食べませんか?」

私は首を振って、頑固に床に座っていた。

 昼近くになって、精神科医に呼ばれた。四十代くらいの男性だった。私は黙っていた。

「自殺なんてダメですよ! 貴女みたいなお嬢さんが!」

どういう意味か興味はあったが、どうでもいいので聞かなかった。

「夕べ、彼氏さんが一緒だったでしょう? 電話して事情を説明してもらったんですが、彼も貴女が精神科医に通ってたのは知ってるけど、症状については知らないって」

私は口を閉ざす。彼はため息をつく。

「通ってた病院を教えてくれませんか?」

私はどこまでも沈黙していた。

「そしたらね、自殺願望があるということで、少し抗うつ剤出しときますから」

 世の中はうつ病の人で溢れている。私は自分がそうだとは思わないが、いい先生そうだったので、三ミリくらい口角を上げて微笑んだ。

 知らない人達と同じ部屋で寝ているのが嫌だったから、私は中庭のベンチに座っていた。もう雨は降っていない。背の低い、赤い花が植えてある。夕方までそこにいたら、清一郎が来た。

「どこにいるのかと思った」

彼は私の隣に座った。私はなんにも考えられないから、なんにも考えてなかった。

「しばらくここにいた方が安全だよ。あんな週刊誌が出たら、ひと騒ぎだ」

私は彼を見た。その通りだと思った。彼は私の肩を抱く。私は腕から抜け出して立ち上がる。

「ここにいれば、変な取材も来ないし、君の事務所は困るだろうが。行方不明っていいじゃない。君の存在に神秘性が加わる」

 

 遂にあの週刊誌発売の日になった。私の携帯は家に置いてきたし、静かなものだった。病院のスタッフも今までと同じように私に接していた。しかし、発売後三日にして、変なことになってきた。スタッフか、見舞いに来た人か、誰かが私に気づいたようだった。プロ用のカメラを持った人が病棟に入ってきた。マスコミ関係者独特の匂いのする連中。私はナースステーションに隠れた。ここでは撮影は禁止だからと、看護師達が追い払ってくれた。

 私は個室に移って、ドクターに頼んで面会謝絶にしてもらった。でも個室に払うお金は一週間分くらいしか持ってない。それに、お金はみんな家に置いて来た。週刊誌のギャラが入ればなんとかなるが、いつ支払われるのか分からない。社長は私がいなくなって、怒っているに違いない。入院している、という言い訳が通じる相手じゃない。たくさん仕事が入るチャンスのある今、私がいないので、捜し回っているだろう。

 お金のことは清一郎に頼むしかない。自分の非力さに涙が出る。できれば彼に頼みたくない。でも他にあてもない。ナースステーションで入院費のことを聞いた。それは来週の分まで既に払われている。聞いてみたら、やっぱり清一郎だった。嬉しかった。涙が出て来た。彼のためになにかしてあげたいと思った。なにをすればいいのか考えた。彼は三日に一度くらい来てくれる。忙しい人なのに。中庭のベンチで考えた。彼のために私にできること。

 その時、私に声を掛けてきた男がいる。

「インタビューいいですか?」

マイクを向けられた。私は警備員にその男のことを報告して、自分の独房に戻った。カーテンを全部引いた。今度、清一郎が来たら、なにかしてあげたい。微笑んで、朗らかに話をしてあげる。良くなるように努力する。私にできるのは、きっとそのくらい。

 清一郎が来てくれた。ナースステーションで看護師と話をしている。

「ここももう安全じゃないな。様子見て他の病院に移ろう」

私は近づいて、精一杯の笑顔を向けた。いつも無表情でなにも言わない私。

「どうした? 気分が良くなったのか?」

彼にお礼を言った。入院費のこと。

「働いて返すから。今日、社長に電話した」

「大丈夫なのか?」

「仕事しなくちゃ。良くなったらすぐ連絡するって言った」

「無理すんな」

そうだ、私は無理してる。彼はそれを見抜いてる。笑顔がわざとらしかった? ついこないだ死にたいと思ったのに。まだ働くのは無理だ。

 彼と一緒に中庭に出た。ベンチに座って花を見た。

「早くここから出たい」

涙が出る。

「じゃあ、君がどんな薬を飲んでたのか言って」

「……抗精神病薬。強迫思考というのがあって。何度も同じことを考えて止まらなかった。でも、それはもう大丈夫」

「それをドクターにちゃんと言うんだ」

 嫌なことを思い出した。私は社長に、柴田の貢ぎ物にされた。それは許せない。あの事務所とはまだ契約が二年もある。他へ移るのはまず無理だ。これからもあんなことがあるのだろうか? 気分が暗くなる。だが、二年いい仕事をしていれば、そのうち道も開ける。

「私は強くなりたい」

「なれるさ」

清一郎は私の背中を撫でてくれた。子供にするように。

 私はもう逃げない。病院の電話からまた事務所に掛けた。映画の話があるという。こないだみたいなインディーズじゃなくて、メジャーな映画。プロデューサーが私の写真を観て気に入ってくれた。撮影は三週間後。私はぜひやりたいと言った。原作を読んでおくように、と言われた。それまでに元気にならなければ。どうせ死体の役か、ヌードだろうと思ったら、そうではないらしい。あの週刊誌の、私のカメラに挑戦するような目が気に入ったそうだ。

 監督はそんなに有名ではないけど、早く原作を読んでみたい。

 清一郎は喜んで、本を買って来てくれた。その日くらいから、彼がここにいると、無意識に目で追うようになった。彼が気づいて笑う。私はなぜ笑われているのか分からない。

「君に見られてる」

無意識だから。

「私のドクターが、この調子ならもうすぐ退院できそうだって」

「そうか、だったらしばらく家に来い。まだマスコミがうろついてるかもしれない」

なんだか胸が熱くなる。ドキドキしてきた。病気かな?

「清一郎は週刊誌観たの?」

「もちろん買ったさ」

「私まだ観てない」

また撮影のあと、柴田に辱められたのを思い出す。

「観てないのか?」

「どうだった? やっぱり品がない?」

「誰がそんなこと言った?」

「自分がそう思うから」

今なら観てもいいかも知れない。撮影のあとは絶対そうは思わなかった。

「観たい」

「君の身体は綺麗だ。誇るべきだ」

胸が苦しい。私はわざと嫌いな相手と寝て、それを禊だなんて言って、頭のおかしな女だった。でも、あの時は、それが必要だった。

 

 退院の日、清一郎が来てくれた。ドクターに挨拶した。

「君にはこんないい彼氏さんがいらっしゃるんだから、しっかり治してもう戻ってこないように」

「私達、付き合ってるわけじゃないです」

ドクターと清一郎は顔を見合わせる。ドクターがいい直す。

「まあ、君にはこんなにいいお友達がいらっしゃるんだから」

 清一郎は私の荷物を持って、彼の車に乗った。丁度、抗うつ剤が効いてきた頃だった。もう死ぬことは考えていない。映画の撮影は一週間後に始まる予定だ。台本も送られて来た。

 私は彼の車に乗るのを躊躇った。

「どうした?」

いいのかな? このまま彼の所に行って。私にはそんな資格がないような気がする。あのことは、啓二と別れるために必要だった……。柴田のことも私には選択の余地がなかった……。私がずっと考えていると、彼が車を降りて来る。

「俺がハッキリしないから、いけないんだよな」

彼は病院の入り口の、人がたくさんいる所で跪いて、私に手を差し伸べた。

「咲岐、俺と付き合ってくれ」

私はこの人を幸せにすることができない。入院している間中、私はそのことを考えていた。

「私のどこがいいの?」

意地悪に言った。

「君は純粋なんだ。作曲家の命日に毎年ダリアを供えたり、男と別れるためにあんなバカみたいなことをしたり、人の言うことは全然聞かないし」

「あんまりいいところがない」

「車に乗ってくれ」

 私はわざと後ろの席に座った。

「私の家へ行って」

「まだ君の所へは行かない方がいい」

「お金を返したい」

「まだいい」

 

 彼のマンションで、私は初めて週刊誌を観た。恥ずかしくなるような、エロティックなポーズもあったが、赤い花の着物を羽織って、レトロで綺麗なのもあった。少し安心した。思ったより汚くない。インタビューはまるで私が言ったこととは違うことが書かれていた。さすが週刊誌だ。バレエをやってたからクラシックが好き。それはいいけど、音楽を大きくかけながらセックスをするのが好き、って書いてある。男は持続力のあるのが好み。そんなこと言ってない。私は優しい男性が好きだと言った。絵画教室でヌードモデルをやっててスカウトされた。それはほんと。

 清一郎が私を後ろから抱く。

「いい写真だろ?」

「思ったより酷くなかった」

カメラを挑戦的に見ている、この写真。これが映画プロデューサーの目に留まった。

「君は成長したよ。パンクの追っかけをやってた頃と比べて」

私は清一郎の腕から逃れた。いつもこうしてしまう。どうしても。自分の身体が汚いと思ってしまう。彼にはふさわしくない。

「まあ、俺は心配してない。きっと君に惚れさせてみせるさ!」

私はクスって笑う。知ってる。この人が私の優しい人だって。

 

(了)

 

2021年7月5日公開

© 2021 千本松由季

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