秒針

谷田七重

小説

677文字

30秒で読める掌編です、トイレのお供にいかがですか

 トイレから出てすぐに、彼女は「あなたは用を足してる時ですら時間を気にしてるのね」と言った。何のことかと考えを巡らせる前に「傾いたラックに腕時計が引っかけてあったから」と言われて、ああそれはバンドがこわれてしまったからなんとなく置いてるだけなんだよ、と返すと、彼女は「そう、なんとなく引っかけてるだけなのね」と応えた。
 はじめて部屋に来た彼女にトイレの細部まで見られたことが恥ずかしく、言葉を継ぐこともできないまま、そのままなんとか事を運ぼうとしたものの、今度は壁時計の秒針がうるさい。互いの唇のいちばんやわらかいところがなかなか重なり合わない。無理に舌をねじ込むのは野暮で早計だとわかっているからこそ、焦りに身体が汗ばんでくる。腕を回した彼女の体は、なされるがまま、しんと平熱を保ったまま、開け広げだった。
 ──うるさい感情の波、そのリフレインのリズムに合わせてへこへこ腰を振っているような気がして、嫌になってしまう。
「幻滅とあきらめの連続なんだろうけど、それをさっ引いてでもほんのすこしのしあわせが残るなら、それで幸福ってことになるんじゃないのかな」
 事後の彼女は訳知り顔に、意味深なことを横顔でつぶやく。その髪は乱れていない、この部屋に入ってきた時と変わらない。
 訳もわからずうなずきながら、この髪をどうにかしてめちゃくちゃにかき回したい、と思った次の瞬間には、彼女に求婚していた。
 彼女は左手の人差し指を唇に当てて目を瞑った、キスの催促ではなさそうで、思わず気が抜けてふっと泳がせた視線の先に壁時計があった。長針と短針が消えていて、秒針だけが時を刻んでいた。

2021年6月28日公開

© 2021 谷田七重

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