はぜる

諏訪靖彦

小説

5,699文字

いつか改稿してなにかの文学賞に出そうと思っていた作品ですが、一年経ってもうまいこと改稿できないので応募当時のママ掲載することにしました。

親父が倒れた。昼食後、一人喫煙所でタバコを吸っているときにお袋から電話が掛かってきた。食品工場の駐輪場脇にあるブロック塀で囲まれた喫煙所で、左手の親指と中指でタバコを挟み、落とす灰がないタバコの先を、火種を落とす勢いで何度も何度も人差し指でタバコの背を叩きながら、親父が単身赴任先でクモ膜下出血を起こして倒れたこと、運良く同僚と喫煙所にいるときに倒れたこと、直ぐに病院へ搬送されたが意識がないことを聞いた。右手に持った携帯電話から聞こえるお袋の声は僅かに震え、幾分早口で、その口調からはっきりとした動揺を感じた。俺はすぐに帰ると言って電話を切ると、社員食堂で昼食をとっていたライン班長に事情を説明して家に帰った。

俺は自立していなかった。生活費という名の申し訳程度の家賃を払い、実家で暮らしていた。工場でアルバイトをしながら音楽活動をしていた。音楽で世界を救うなんて野望はこれっぽっちも持っていなかったけれど、音楽で飯を食っていければいいと思っていた。ライブにかかる費用は殆どバンドメンバーの持ち出しでまかなっていたし、仕事終わりに毎日スタジオで練習していたから、音楽以外に金を使いたくなかった。

家に帰るとお袋は病院には向かわずに俺の帰りを待っていた。一人で病院に行くのが不安だったのだろう。親父は大手製薬メーカーに勤めていた。仕事だけが生きがいの古い人間で、小さい頃に遊んでもらった記憶は殆どない。俺が寝ているときに帰ってきて、休日は寝てばかりいた。起きている時は酒ばかり飲んでいた。そんな親父だったが、俺が親父の道徳観に反することをしでかしたときは、力いっぱい俺を殴った。顔がはれる程殴られた。痣ができるほど蹴り飛ばされた。俺が中学生になる頃には力で歯向かうこともできたが、それをしなかったのは、親子という関係性が崩れるのが嫌だったのか、腕力というものは大した力を持っていないと思ったのか、別の理由なのかわからない。

親父は転勤族だった。俺が小学生の頃までは親父の転勤先に付いて行ったが、中学に進んでから親父は単身赴任するようになった。中学で転校すれば俺の進学に影響すると考えるのは当然だ。殆どの親が同じ選択をするだろう。しかし俺の場合は転校しようがしまいが関係なかった。俺はどうしようもなく頭が悪かったんだ。クラスの中で殆ど全ての教科でビリを争うほどの頭が悪かった。だから試験で名前を書けば入れるような私立の工業高校に入った。金持ちではなかったが、貧乏でもないからそんな高校に入ることができた。その程度の学力だから転校しようがしまいが、俺の人生は変わらなかっただろう。

倒れたとき親父は徳島の工場で経理の仕事をしていた。大阪に住んでいた俺とお袋は車で親父が運ばれた徳島の市民病院へ向かった。車の中でお袋は終始うつむき加減で、神戸淡路鳴門自動車道を南下して大鳴門橋に差し掛かる頃、俺に向かって手を伸ばしてきた。俺はハンドルから左手を離してお袋の手を握り返したが、言葉を掛けることはしなかった。「大丈夫だから」とか、「心配ないから」とか、適当な言葉を探して声を掛けることもできたが、そうである保証はない。

夕方、病院に着くと俺たちは救急病棟へ通され、医者から親父の病状について説明があった。出血はあまり広がってない。出血を引き起こした動脈瘤のクリッピングを行うことで、後遺症の心配は少ないと言われ安堵したものの、現在、脳外科手術を行える医師がいないため、今日は降圧剤で血圧を落とし麻酔で眠らせ、明日の朝、手術を行うと説明を受けた。他の病院へ移送して手術を受けることも可能だが、移動中の衝撃による再出血の恐れがあるため、それは勧められないとのことだった。直ぐに手術を行えない状況に納得できなかったが、それが医者の言う最善策なのなら従うしかない。俺とお袋は医者の提案に了承し、手術承諾書に名前を書き込んだあと、病院で一夜を明かした。

翌朝、看護師に呼ばれ医者のもとに行くと、夜中に二度目の出血があったと説明を受けた。シャーカステンに掛けられたCT画像を見ると素人でもわかる白い影が脳一杯に広がっている。これから手術をするが手術に成功しても広範囲に後遺症が出る可能性が高いと説明された。そこでお袋は泣き出した。俺はここでもお袋に声を掛けることはしなかった。掛ける言葉が見つからなかったのだ。

医者の説明を受け診察室を出ると親戚が集まっていた。お袋は精神的にまいっていて、俺が親父の状況を皆に向けて説明したが、途中で声が震える。その声が情けなくてさらに震える。きちんと説明ができたか怪しいが、親父の病状を話し終えると、俺は一人にさせてくれと言って駐車場裏の雑木林に向かった。そこで泣いた。一時間近く泣いた。親父と酒を飲むことができなくなったとか、付き合っていた彼女の良いところを伝えていなかったとか、そんなことで泣いた。十年ぶりに泣いた。俺は中学生の頃から泣くこと忘れていた。感情が希薄なわけではない。むしろ小さなことで一晩中悩んでしまうようなナイーブな人間だが、感情を揺さぶられることがあっても、それが涙となって流れることがなくなっていた。大人になるとはそういうことだと思っていた。それが、親父が倒れたくらいで涙が溢れてくる。俺は今までの分を取り返すかのように泣いた。今まで溜めた涙を雑草林で吐き出して病院に戻ると、親戚の視線が冷たかった。目を腫らして戻ってきた俺を、お袋を残し一人泣きに行ったダメな男だと思ったのだろう。

俺が泣きに行っている間に手術が始まり、泣きはらして数時間たって手術が終わった。手術室の前で待っていると扉が開いて医者が現れるなどということはなく、患者家族待合室のドアが「コツンコツン」と静かに鳴った。俺はドアを開け医者を中に迎え入れた。入ってきた医者はまず手術が成功したと言い、次に施術内容や今後の治療方針を話し始めた。一時的に頭蓋の一部を腹の中に埋め込んでいること、水頭症が予想されるため、脳から食道へ水分を排出する管を通したこと、ICUで過ごす期間のこと、予想される後遺症を聞きながらお袋を見ると、真剣に医者の話を聞いている。これからしなくてはいけないことを頭に叩き込んでいるんだ。俺の頭には医者の話が半分も入ってこなかったが、お袋の横顔は強烈に印象に残った。

手術から二日経って面会可能になると、俺はお袋と一緒にICUに入った。ゴテゴテした機械に囲まれたベッドが幾つも並んでいる。手や足に管を繋げた患者を横目に前に進んで行くと、一番奥のベッドに親父が寝ていた。いや、縛られていた。親父は両手足を紐でベッドの柵に縛り付けられていた。看護師に理由を聞くと、ICUに入った患者は自分の置かれた状況を理解することができず、せん妄状態になることがあるそうだ。親父は暴れて手が付けられなかったため、拘束具でベッドに縛り付けたらしい。拘束具に縛られた親父は俺たちに気が付くと、ジロリと俺を睨んだ。そして俺の名前を呼んだ。てっきり親父は俺のことを忘れてしまっていると思っていたので驚いた。しかし看護師がお袋を指さし、「この人は誰ですか?」と質問されても親父は答えることができなかった。口は開くが言葉が出てこない。そんな親父を見てお袋は笑っていた。

最初の面会が終わり、俺とお袋は病院を出て大阪に戻る。親父の着替えや入院に必要な生活用品を取りに行くためだ。徳島市内にある親父の部屋に行くことも考えたが、プライベートをのぞき見するようで気が引けた。

徳島市内から下道を使い大毛島の海岸線を北上していると、助手席に座るお袋が「鳴門公園に行ってみない?」と言ってきた。鳴門北インターから高速を使うつもりだったが、別に急ぐ用ではない。俺はお袋に「いいよ」と言って鳴門公園へ向かった。

思えば俺は鳴門の渦潮を見たことがなかった。公園の駐車場に車を停めスマホで渦潮景観ポイントを調べる。そしてお袋に「橋の上からも見られるし、遊覧船でも見られるようだけど、どっちがいい?」と聞いてみたが、お袋は「あそこからでいいよ」と言って駐車場近くにある小高い丘の展望台を指さした。俺は「近くで見た方が、迫力があるんじゃないかな?」と聞き返したが、お袋は首を横に振る。鳴門公園へ行きたいと言い出したのはお袋だ。お袋の見たい場所で見ることにしよう。俺たちは車を出るとお袋の指さした先、鳴門山展望台に向けて緩やかな坂道を歩いて行った。

展望台からの景色は絶景だった。時間的な問題なのだろうか、渦潮を見ることは叶わなかったが、南は徳島市が一望でき、北は細い糸のような橋で繋がった淡路島がどんと腰を下ろしている。俺はお袋に「渦潮が見られなくて残念だね」と声を掛けたが、お袋は俺に言葉を返すことなく、渦潮の見えない鳴門海峡を眺めていた。ずっと眺めていた。お袋の横顔は西日に照らされ、幾つもの小さいしわが細かな影を作っている。それはまるで、お袋が見つめる先でキラキラと輝く海面のようだった。

ほどなくして親父はICUから一般病棟に移った。幸運なことに医者から説明された最悪の状態にはならなかった。運動機能は順調に回復し、手すりを掴めば歩けるまでになった。しかし言語機能に障害が残った。例えば缶コーヒーを手に持ったとき、「夏、じゃなくて何と言ったか……」と言いながら缶から手を離す。「熱い」が出てこないのだ。「熱い」が「夏」に置き換わってしまう。もともと無口なオヤジは言葉が出てこないもどかしさからか、余計しゃべらなくなったが、お袋は必死に話しかけた。俺は殆ど会話しなかった。お袋のように何気ない出来事を面白く話せる話術を持っていないし、親父と会話することで、俺の言葉が親父を構成する何かを削り取ってしまいそうで嫌だった。そして何より俺は親父に似て無口なんだ。

お袋と親父のやり取りを見ているうちに親父の後遺症を理解していった。親父は物事を理解できなくなったわけではなく、理解できていてもそれを表現する言葉を失ったのだ。それを知って俺は少し気が楽になる。そしてICUでの出来事を思い出した。親父がお袋の名前を言えなかったのは、目の前にいる女が自分の妻であることは理解しつつも、妻を表す言葉や名前が出てこなかっただけなんだ。俺の名前はたまたま出てきただけで、そこに深い意味なんてものはない。見舞いに行っても、俺が病室をあとにするまで親父の口から俺の名前が出てこないことが何度もあった。そんな様子だから、俺は病室に入るとまず、自分の名前を名乗るようになった。親父が俺のことを忘れてしまっているんじゃないかと不安になったわけではない。失語症という親父の置かれた状況は理解していたし、親父が俺を認識していることはわかっていたが、それでも親父に俺の名前を認識させようとしたのは、見舞いに来た息子の名前ぐらい覚えていて欲しいと願う俺のエゴだ。見舞いに行っても殆ど言葉を交わすことはなかったが、俺の名前だけは伝えておきたかった。

長かったのか短かったのか、そのうち親父は退院した。退院しても失語症が回復することはなかった。退院して半年ほどたった頃、お袋から親父が会社に復帰すると聞いた。お袋は親父が満足に言葉を話せない状態で仕事をこなすことができるとは思っていなかったはずだが、了承したと言う。親父が仕事に復帰しても会社に迷惑を掛けるだけだろうし、奇異の目で見られ、同情され、はれ物に触るように扱われるだろう。俺やお袋が親父の同僚と接することはないだろうが、親父を通して俺たちまで同情されるかもしれないと思った。そう思いはしたが、俺には笑顔でそのことを伝えるお袋にそんなことを言う資格はなかった。親父の状態を一番理解しているのはお袋だし、俺は親父とほとんど話をしていない。俺はどこかで親父のことを一人の人間として捉えられなくなっていたのかもしれない。お袋は「お父さんは仕事だけが楽しみの人だから」と親父が仕事に行きたいと言い出したことに喜んでいた。喜んでいる自分を演出していたのかもしれない。いや、それは穿った見方だろうか。

翌月から親父は会社に行き始めた。徳島の工場ではなく、大阪支社だ。親父の状況を鑑みた会社は親父を大阪支社に異動させた。まずは午前中だけ一週間勤務することになった。仕事から帰ってきた親父に、「久しぶりの仕事はどうだった?」とは聞かない。仕事から戻った親父の目が険しかったからだ。

土曜日の昼過ぎ、俺が部屋でギターを弾いていると、居間から親父の怒鳴り声が聞こえてきた。その声は次第に泣き声に変わった。それは獣のような泣き声だった。初めて聞いた親父の泣き声だった。お袋も泣きながら必死に何か親父に語り掛けているが、俺の部屋からでは何を言っているか聞き取れなかった。いや聞こうとしなかった。親父の泣き声もお袋の声も聞きたくないから、アンプのボリュームを目一杯上げ、ギターをかき鳴らした。部屋から出て二人のもとに向かうのが正しい選択だったのかも知れないが、親父の泣き顔なんて見たことなかったし、見たくもなかった。家の中で距離をおいて三人の人間が、それぞれの思いで泣いていた。そしてギターの歪みに呼応するかのように、俺の心がはぜた。どこか遠くに逃げてしまいたくなった。家族、親戚、友人、恋人、全てをなかったことにしたくなった。親父が倒れたときにお袋を置いて、駐車場裏に泣きに行った俺を、親戚はダメな息子だと思っただろう。その印象は正しい。全く持って正しかった。俺はあれから何も変わってないのだ。親父の面倒を見なくてはいけないという義務感は持っていたが、昔の親父がいなくなってしまった現実に耐えられなくなり放棄してしまったのだ。お袋に申し訳ないと思う気持ちも当然あったが、無口なことを理由に義務と責任と、そこから派生するあらゆるものに蓋をしてしまった。

親父は翌週から仕事に行かなくなった。

俺は言い訳ばかり考えるのが嫌になり、アルバイトを辞めて家を出た。

 

(了)

2021年6月13日公開

© 2021 諏訪靖彦

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