考える海

応募作品

千本松由季

小説

4,852文字

残酷表現あり。合評会2021年7月参加作品。
ヤクザの組長の娘として生まれた美帆。彼女には必ず護衛が一緒だった。やがてその意味が分かり始める。美帆の姉は殺されていた。狂気の中で美帆は姉のように殺されたい、という衝動に駆られる。

 

      一 摩天楼

 

 物心が付いた時、美帆の周りには必ず「護衛」がいるのに気付いた。だから、他の子供には「護衛」がいないのにも気付いた。

 

 美帆は九才になった。父に外で会う約束をした。父の仕事が延びて、美帆は護衛達と時間潰しに映画館へ入った。身体の中に残る、外の狂ったような熱気がなかなか引かなかった。額の汗が無かったら、誰にでも美帆はお人形に見えた。彼女の左右に男が座り、あと二人は左右の出入り口に立っていた。

 その時上演していたのが、ソビエトの映画監督タルコフスキーの『惑星ソラリス』だった。子供の観る映画はもうとっくに始まっていて、護衛達はその映画を選んだ。一九七二年制作のSF映画など観る者も少なく、観客達はドアの側に立っている屈強な護衛達の方を時々不思議そうに振り返った。

 学校へ行かない美帆には家庭教師がいて、彼女の能力は水準より上回っていた。アメリカ人の英語教師もいたから、彼女のその映画への理解度は完璧だった。

「ソラリス」という惑星を覆う「海」。知能を持った「考える海」。美帆はその泡立ち渦巻くピンクの海を、ストロベリーシェイクみたいだと思った。イチゴ色の海の、思考する海の困惑に、彼女は共鳴した。海は待っている。自分が誰なのか教えてくれる者を。

 

 美帆の右側に正樹が座っていた。正樹は児童養護施設で育った。成績のいい彼を、美帆の父が引き取った。来年大学へ送ることに決まった。将来、父の事業を手伝わせるために。

「美帆」

正樹が美帆の腕を突っついた。美帆のことはみんな「お嬢さん」か、「美帆さん」と呼ぶのに、正樹だけは「美帆」だった。他の男達は長袖で黒ずくめなのに、正樹だけチェックの半袖に短いジーンズだった。

「美帆、こんなの何が面白いの?」

正樹は大きく伸びをした。

「うるさい」

美帆は銀幕から目が離せなかった。迷子になった巨大な「海」。その焦燥感。

 

 美帆達は父のオフィスを尋ねた。知らない人達が美帆に会釈した。エントランスやエレベーターの中で。

 摩天楼の最上階。父はスタッフ達と大きな机いっぱいの設計図に見入っていた。美帆達は誰もいない隣のオフィスで待った。東京中を見渡せる。夕方になっても活動が止まらない。この都会も「海」みたいに考えているのだろうか?

 正樹が窓にへばりついた。

「美帆、俺は天下を取る! 組長みたいに!」

正樹は大きく腕を広げ、そして景色を抱き締めた。

 

      二 背中の絵

 

 美帆の人生最初の記憶。……湯船の中、美帆はお臍を下に浮いていた。元気に足で湯を蹴った。伸びた髪がお湯の中で、背中をくすぐった。彼女の笑い声がこだました。

 天窓に逃げる湯気のトンネルの向こうに、美帆の父親の背中が隠れたり現れたりした。風景の全部がモノクロームなのに、父の背中に描いてある絵だけに色が付いていた。いつも彼女は、まだおぼつかない手で父親の背中をタオルで擦ってあげた。擦っても落ちない絵。美帆は不思議に思った。

 

 その絵は今でも変わらない。……滝に逆らって登る鯉。蒼く光る鱗。滝壺に散る桜。鯉に追いすがる花弁。

 幼稚園にも小学校にも行かず、美帆は家にいた。

 美帆の頭が少しずつ壊れて、見えてはいけない物が見えたり、聞こえてはいけない物が聞こえたりした。美帆の母と同じ病気。父は美帆を同じ布団に包み、抱いてやった。美帆の幼い女の部分に触った。父は母にもそうして騒ぐ頭を沈めた。

 病院の帰り、美帆は行ったことのない小学校を見たくなった。運転手に頼んで遠回りした。車が止まる。護衛の男に外に出ないように言われる。プールに子供がたくさんいる。男の子も女の子もいる。大人の男性が何人かいて、きっとその人達は先生で、でも、ずっと見ていても、どっちから見ても、誰の身体にも絵なんて描いてなかった。

 

      三 姉

 

 母のいとこという男が父を訪ねて来た。美帆はお盆でお茶を運んだ。

「お母さんとそっくりになって」

写真を見たことすらない。父はきっと思い出したくない。母は美帆にとってただの亡霊だった。

「どこが似てるんですか?」

「全部かなあ。違うのはね、貴女のお母さんの髪はそんな風に巻いてなかったですよ」

 これは夕べ、美容師さんになりたいというお手伝いさんが、遊びでカーラーを巻いてくれたから。そんなに似てるんだ。知らない、死んだ人に。

「貴女のお姉さんは、お父様に似ていましたね。あんな事件に巻き込まれなかったら、今……そうですね、大学生ですよ」

「私に、姉がいたの? 事件って?」

 彼は沈黙した。そして父が応接室に入って来た。美帆はぐずぐず部屋を出て、また戻って、父にお茶を運んだ。それ以上のことは聞けなかった。

 

 そのお客が帰ってから考えた。「事件」というからには、その記録がどこかにあるに違いない。美帆はその時、学校に行っていれば中学二年生だった。

 父の背中に絵が描いてある理由も、家に険しい目の男達が出入りしてる理由も分かっていた。父には表の顔と裏の顔があることも。表の商売と裏の商売があることも。

 家庭教師が帰ったあと、待ち切れないように、美帆はパソコンの前に座った。「藤原組」、それは父の組の名前。そして「少女」という言葉も入れてみた。『藤原組長女惨殺』というタイトルの記事を見付けた。どうやって殺されたのかは書いてない。惨殺というくらいだから、きっとマスコミの取り決めで書かないことにした。

 動機は書いてある。勢力争いに負けた組がその腹いせにやったと。「余りに残虐な殺人であり、他に前科もあったことから、主犯の死刑が確定し、もう執行されている」美帆は自分にいつも護衛がいることが理解できた。

 その日から美帆は部屋に籠って、ネットで世界中の残酷な殺人事件について調べた。凶悪であればあるほど、彼女の気持ちが高揚した。もし自分が被害者だったら、どんな気持ちがしただろう? 何度も何度も想像した。

 美帆の頭はこの頃から錯乱し始めた。

 

 医者に入院するか? と聞かれた。

「幻視、幻聴はまだあるの?」

殺人事件を追い過ぎて、美帆は憔悴していた。入院はしたくないです、と彼女は言ったが、父に諭されて入院することになった。

 入院中は必ず組から来た警備の者がいて、食堂にまで付いて来た。

 美帆の妄想は酷くなって、自分が殺される場面が鮮明に浮かぶようになった。色んな方法で。最も苦しい死は、生きたまま焼かれることだ、と書いてある。そうなったらどんな気持ちだろう? 

 

 美帆は十八になった。世界中の殺人事件を集めたデータはかなりの量になっていた。

 その頃になっても、美帆は父親と同じ布団に寝ていた。彼等が普通の関係でないことは周りの誰もが知っていた。

 父親は死んだ妻とそっくりで同じ病気を持つ美帆を、妻と同じように愛していた。美帆はそんな年になっても、父親と関係するのが異常だと知らなかった。ある程度、誰にでも、そういうことはあるんだと信じていた。

 凶悪殺人のことを考えている時と、父の大きくて硬い物が美帆の中で動いている時だけ、錯乱した頭が静まった。

 

      四 失うもの

 

 最高裁の記録を見るのは手続きが複雑で、彼女の手には負えない。それまで籠の鳥で満足していた美帆は、初めて護衛なしで出掛けた。

 駅に行く途中で、正樹に会った。彼は大学院生で建築の勉強をしていた。

「美帆、こら、一人でどこへ行く?」

「私は行きたい所へ行って、やりたい事をやる!」

「心掛けはいいけど。俺が一緒に行ってやる」

 ネットに姉の事件を一番詳しく書いていた、下衆な雑誌社に行った。細長いビルは、かびの臭いがした。風に窓がばたばた鳴った。美帆は自分の名前と要件を言った。

「……十年以上前の話ですからね」

当時姉の事件に関わったという人に会えた。その人は私の名前を聞くと、すぐ素性が分かった。貴女のお父様に連絡して承諾を受けてもいいか? と聞かれた。美帆は、父には関係ないと言った。

 その記者は、もし美帆がこちらの欲しいものをくれれば、事件の記録を公表しようと言った。欲しいものって? お嬢さん、俺達は週刊誌だよ。組が怖くては商売にならない。その服脱いで、刺青のボディペインティングをしよう。藤原組の残った方の娘……。

 美帆は数分、最悪の事態を考えた。彼女になにかあれば、父が容赦しない。記者は美帆の心を見透かしたように言う。君に同意書を書かせる。それに次の週刊誌が出る頃、俺達はもうここにいない。美帆は正樹の方を見た。

「欲しければ取れ。俺は何も言わない。俺は親に捨てられて怖いものがなくなった。君だって同じだろう? 失って怖いものはないだろう?」

父を失ったら? そんなことして父を失ったら? ……それでも構わない。美帆は自分の中の狂気に従うことに決めた。

 

      五 考える海

 

犯罪記録

 

 犯行に関わったのは、主犯のAと、共犯のBCの三人。Aの死刑は確定されている。Bは無期懲役。Cは犯行をビデオで撮影する役目だった。Cは懲役十年。

 Aの供述より。当時、小学校五年生だった被害者の女児を、誘拐し、車の通らない廃動で、ロープを身体に巻き付けて、車の後ろに縛り、約三キロに渡って引き摺り回した。スピードは約五十キロは出ていた。その後、瀕死の被害者を三人で暴行した。被害者の性器には深い損傷があった。命乞いをする女児の手と足をチェーンソーで切り離した。被害者を手足と共にビニールシートで包んだ。崖の上から海へ投げ込む前にビニールシートを開けると、被害者にはまだ意識があった。成り行きを記録したビデオは後日、藤原組の組長に届けられている。

 

 記事のデータにそのビデオも入っていた。男達の顔だけは上手く隠してあった。美帆はそれを何度も何度も観た。

 ……これが私のお姉さん。もし私が先に生まれていたら、あれは私だった。手足がチェーンソーで切られた後も、まだ意識はあった。自分がこうなっていたら。考えると興奮した。その後、海で姉は発見されたのだろうか? 性器に損傷があったんなら、発見されたんだろう。人間って面白いな。私は声を立てて笑う。手足を切られても意識はあるんだ。血は? 血はどのくらい出たんだろう? ビデオは暗くてあまりよく見えない。手を切った時は、血が噴き出しているのが少し見えた。でも足を切った時は暗くてよく見えない。もう出所しているC会ってみたいと思った……。

 

 毎日一日中、何をしていても、あのビデオが何度も何度も、美帆の頭に浮かぶ。車で引き摺られている時の恐怖の叫び。チェーンソーが近付いて来た時の叫び。あの声が頭に一日中響く。

 いつもの病院に行った。美帆は鮮やかに頭に浮かぶ、彼女の好きなそのところを思い出していた。ABが二人でビニールシートの端を持って、勢いよく海に投げ込む。その前に一度シートを開けて、まだ生きてる恐怖の目がビデオでアップになる。

 ……もし自分が姉だったら……。

 美帆はあの映画を思い出した。ピンクの泡立つ海。自分が誰だか分からない。泣いている、思考する海。血を海に投げたら泡立ってピンクになるのかな?

 

 最初に美帆の異変に気付いたのは父だった。美帆と同じ病気だった母をよく知っていたから。病院に連れて行かれ、全部白状させられた

 ……姉のことを知った。週刊誌に写真を撮られた。ビデオを何十回も観た。気分が高揚した。あれが私だったらいいと思った……。

 

 その直ぐ後に週刊誌が出た。『藤原組の残った方の娘』。刺青のボディペインティングは本物の彫り師が担当した。美帆は彼に「海」を入れてくれと頼んだ。正樹がずっと一緒にいて、手を握ってくれた。彫り師は美帆の若い背中に、海から立ち昇る竜を描いた。写真を観た。逃げて行く竜が白い息を吐いていた。

 湯気から見え隠れした、父の背中。美帆の人生最初の記憶。

 ……私は自分の狂気に従っただけ。救いのない私と「ソラリス」の考える海の……。

2021年6月12日公開

© 2021 千本松由季

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