メッセンジャー

堀井たくぞう

小説

19,660文字

メッセンジャーの話をしよう。メッセンジャーとは何か。そもそもメッセージとは何か。そして、私の身に起こったことを語ることで、なにがしかのメッセージを届けられたらと思う。

変な話だが、こうして新しいスマホに機種変更するために携帯電話ショップで手続きに長々と時間を取られているとき、最も私はこの時代の空気というようなものを実感として捉えることができる。一過性にすぎないプロトコルを通過する儀式のようなもの、か……。

神が私を地上に遣わしてから久しい。

私は目撃者、証人である。メッセンジャーと呼ばれることもある。この世界で普通に人間として暮らしている。

携帯電話ショップでは、店員すらもまだきちんと理解していない新しいサービスの仕組みの説明を聞きながら、ここで私が突っ込んだ質問をしたらこの店員は一体どんな反応をするのかなと思いつつも適当に相槌を打つ。正確に言えば、どんな反応をするのかなと思った時点で店員がどんな反応をするのかはもう分かっている。だからそれをいちいち確かめるようなことはしない。その必要がないからだ。ここで「必要」と言っているのは、相手にとってそれが必要かどうかという意味だ。相手にとって必要であれば、私は必要なことをする。それが私の役割だからだ。

新しいスマホを手にショップを出た。それをいじりながら、最新のスマホとされているこの製品でさえ何もかも便宜的な仕組みのまま、いやむしろ便宜性に拍車がかかっている代物であることを確認して、満足する。便宜的なものというのは、一過性のもの、一時的なものだ。建設現場で使う足場みたいなものだ。いずれ本質的なものが組み上がれば足場は不要になり撤去されることとなる。足場が巨大になり複雑性が増すほど、それが取り壊されて本質的なものが姿を顕すときの爽快感に期待ができようというものだ。

便宜的という言い方があまりに非本質的に響くので好ましくないというのであれば、「なにがしかの過程にあるもの」と言い換えてもいい。あるいは「途上にある状態」か。現代の変化の急速さは、この「途上にある」という性質に基づくのだ。どこかに向かって、どんどんと変化していく。スピードは衰えるどころか、加速する一方だ。――ちなみにだが、この国の人間が、この急激な発展のまさに途上にある自分らを差し置いて、あまり発展のない国々のことを発展途上国と呼ぶあたり、この国の人間の屈折した精神が感じられる。いや、奥深さというべきか。

ま、途上国のことはさておき、現代の凄まじいほどの変化を身を以て体験することが、私がいま此処に存在する理由なのであろう。そう私は考えている。

 

メッセンジャーの話をしよう。メッセンジャーとは何か。そもそもメッセージとは何か。そして、私の身に起こったことを語ることで、なにがしかのメッセージを届けられたらと思う。

 

まずはだいぶ以前の話ではあるが、わかりやすい例として、私がとあるメッセージを受け取ったときの話をしよう。

私はバス停でバスを待っていた。私の前には小さな子供と母親が同じくバスを待っている。休日の昼下がりのことだ。そこにひとりの老人がやってきた。この爺さんは、バスに乗りに来たのではなく、散歩かなんかの途中に通りがかった、という風情である。

老人は気さくな感じで私の前の親子に話しかけた。
「お嬢ちゃん、いくつかね?」
「よっつー」と子供は元気に答えた。
「おお、よっつか、いい子だな」

そして老人は次に私を見た。その顔、その目つきが、私の昔のある友人を思い起こさせた。彼は私に向かって言った。「して、君はいくつだね?」

私の歳を聞いてどうする、気の利いた冗談のつもりなのか? とは思ったが、「私は二十五です」と、人当たり良く微笑を浮かべながら答えた。
「おおお、二十五か」

さすがに「いい子だな」とは言わなかった。しかし老人の様子はどこかおかしい。彼は再び子供に歳を訊いた。子供は内心〈さっき答えたのに〉と思ったのだろう、返事をしなかったので、母親の方が「よっつです」と答えた。この老人はどうやら痴呆かなにかなのだろう。さっき子供に年を訊いたことをもう忘れてしまっているようだ。だが痴呆にしてはやけに顔つきがしっかりしている。歳の割に目が濁っていない。「で、君はいくつだ」再度、訊かれた。

私はバスが来るまでに自分の年齢を三回も答えることになった。その程度でバスが来てくれてよかった。

親子に続いて私はバスに乗り込んだ。

で、座席についた後、窓越しに路上に残された老人を見たとき、私は鳥肌がたった。彼はまったく別人の顔つきになっていたのだ。

後になって私は、ああ、あの老人はメッセンジャーだったんだ、と気付いた。この場合の彼のメッセージは、『自分の年齢を意識せよ』ということだったのだろう。このケースはわかりやすい。

ただ、このときに私が自分の年齢を意識することにどういう意味があったのかはわからなかった気がする。だが、なんらかの意味はあったはずだ。もうだいぶ前のことなので忘れてしまった。

 

冒頭にて私はメッセンジャーと呼ばれることもあると述べたが、実際には誰でもメッセンジャーになることがある。どこかの宗教の宗派によっては悪魔のことをメッセンジャーと呼ぶこともあるらしい。たぶん天使のことをメッセンジャーと呼ぶ宗派もあるだろう。悪魔も天使も同じだ。それは人間の主観的な区別にすぎない。私は天使も悪魔も区別せずにメッセンジャーと呼ぶのが好きだ。

我々は、メッセージを必要としている人間と対峙するとき、メッセンジャーとなって相手にそれを伝える。そこには特に技能的な何かは求められない。ただ自然に振る舞えばいいだけだ。だが、メッセンジャーになりやすいタイプとそうでないタイプというのは存在するようにも思える。

もちろん、逆に、自分がメッセンジャーからメッセージをもらうこともある。相手がメッセンジャーかどうかを見わけるのは簡単だ。まず、メッセンジャーは通常、自分とは面識のない人物である。にもかかわらず、その人物を目にするとき、以前にどこかで会ったことがあるかのような親しみのようなものが感じられるはずだ。そして、彼または彼女は、自分にとって重要なメッセージを伝えてくる。それだけだ。もうひとつだけ付け加えるとすれば、メッセージを伝え終えた彼らからは最初に感じられていた親しみのようなものがすぐに消えてしまう、という特徴がある。時にはメッセージの伝授が終わった後の彼らがほとんど別人に見えるほど変わってしまうこともある。

メッセンジャーを見わけることは簡単だが、彼らが伝えてくるメッセージの意味を理解するのは簡単とは限らない。経験的に言えば、むしろかなり難しいことのほうが多い。それゆえに世のほとんどの人はメッセージの意味を理解しようともせずに結果として道を踏み外しそうになったりするわけだ。いや、そもそもメッセージの本当の意味というものは人には決してわからないものなのかもしれない。にもかかわらず、メッセージはやってくる。そこが奥深いところである。まあ、ただ受け止めさえすればいい、と私は考える。必ずしも頭で理解する必要があるわけではない。

 

メッセージはもちろん、言葉の形でもたらされるとは限らない。

一年ほど前に出会ったメッセンジャーの話だ――。ある日、私は職場で仕事中にひどく頭が痛くなったので、めずらしく早退することにした。ちょうど急ぎの仕事も抱えてなかった。

いつもの駅から帰宅の電車に乗る。まだ通勤時間帯ではないとはいえ夕刻にさしかかろうという時刻なので学生とか買い物帰りの主婦で電車は結構混んでいた。座席に座っている乗客より立っている乗客のほうがやや少ないかという程度の混雑である。

私は電車に乗り込むと、入ってきた側のドアとは反対側のドアの横の手すりのすぐ近くに立った。すると、ひとりの華奢な少年が私の背後から無理矢理に私の前に回り込み、私の前のドア横の手すりに掴まった。おそらくは中学生と思われる。半袖のワイシャツに灰色のズボンという制服姿(夏服だから、このときの季節は夏だ)。彼の立ち振る舞いは明らかに普通の人のものではなく、特殊学級の生徒なのだろうと思われた。私は半歩下がって彼のためにスペースを空けた。
彼は電車がひと駅運行する間、熱心にドアの窓から外を眺めていた。ドアの付近には数人の乗客が立っているので、積極的に動き回りたくなるスペースの空き具合ではない。だが、次に電車が動き出すと、彼は何を思ったのか、私の目の前のポジションからスッと移動した。そして、同じドアの私のいる側とは反対側の手すりのところに立っていた若い女性につかつかと近寄り、いきなりその女性の腕を掴んだ。女性のほうは当然びっくりしてそれを振り払おうとするが、相手がそういう少年であるのを見て思い切り突き飛ばすようなことはできなかったのだろう、少年に向かって一音ずつ区切るように「やめて」と言った。しかし少年は女性の腕を離すことなく、さらには首に手をかけてキスをしようとしだした。周囲の乗客たちは、いきなりの出来事に唖然とするばかりである。私はチラッとまわりを見たが、すぐそばにいるのは女性ばかりで、一番近くにいる男性は私のようだった。ここは私が少年を制止すべきだろうなと判断した。

私は少年のすぐ背後に近寄り、その二の腕あたりをそっと押さえ、なるべく刺激しないようなソフトな口調で「そんなことしちゃダメだって」と言った。彼は大人の男性には歯向かわないように躾けられているからだろうか、私を認めるとあっけなく手を引っ込めた。女性はすぐにその場から逃れた。

少年は振り返って、私をまっすぐに見た。澄んだ瞳だった。その瞳は私に向けられてはいたが、まるで何も見ていないかのようだった。その表情は無表情で、なんの感情すらも読み取ることはできなかった。

私は彼がさらに何かをしだす恐れもあるかと思い、その場を離れず、彼のすぐそばに立ったままでいた。正確には、彼が何かをするかもというよりはむしろ他の乗客が余計な心配をしないようにという配慮から、そうした。彼は再び私に背を向け、静かに窓の外をじっと見始めた。私はこの少年が性欲を抑えられずにあのような行動に及んだのだろうと考え、男性として少々同情の念を覚えた。向こうを向いたままの少年の肩に手をやり、「大丈夫か?」と声をかけた。少年は答えず、向こうを向いたまま肩だけを大きく回して私の手を振り払った。

次の駅に着き、目の前のドアが開いた。ここは乗り換え駅なので多くの乗客が降りる。少年も私もここで降りたが、少年はすぐに人混みの中に消えていった。

私は乗り換え先のホームで電車を待ちながら、今の出来事について考えた。あの少年の瞳を思い出しながら。

あの瞳は私に向けて、こう言っていた。
「これはあなたの性欲なのに、あなたはそれを止めるのか?」

……そういうことだったのか。言語的に説明するのは難しいのだが、あえてそれをすると、つまり彼は私のすぐ前に立ったとき私の波動に同調してしまったのだろう。そういう同調というのはよくあることだ、人は気付いていないだけで。さっきの場合、たまたまそれが性欲だったのか、それとも彼の中にある何かがそうさせたのかわからないが、彼は私の性欲に感化されてしまい、それをストレートに行動として表現したのが先程の行為だった、ということらしい。

ああ。

私は肉体的にはごく普通の健康的な成人男性であるので、むろん性欲がある。だが、もちろん、誰かれかまわず若い娘に抱きついてキスしたいと思っているわけではない。そういう単純な話ではない。このメッセージが意味するところはなんなのか……。

しかしあの少年には悪いことをしてしまったな、いや、別に私が悪いわけではないのだが。ああいう子供らは他人の波動の影響をストレートに受けやすいのだろう。今後は少し注意すべきかもしれない。

などと考えているうちに電車がやってきた。私はその電車に乗り込んだ。

 

それから間もなく、私は恋に落ちた。

 

その朝、私はいつもの通勤途中だった。電車を乗り継ぎ、一昨日にあの少年と乗り合わせた路線に乗り込んだ。もちろん、その時とは逆の上り電車である。通勤時間なので電車はかなり混んでいるのだが、都心からはやや外れているので殺人的ラッシュというほどではない。しかもそのときは、その時間にしてはむしろ空いている方ではなかったかと思う。乗客が乗り込んで、電車のドアが閉まった時、周囲に立っている人とは触れるか触れないかぐらいで立っていられるくらいだった。私は電車の両側の向かい合うドアとドアのちょうど中間あたりに立っていた。三駅しか乗らないので、座席のある奥のほうにまで入ることはしない。

電車が走り始めた。ふと気付くと、私の右腕に隣に立っている女性の左腕が私の腕に触れていた。私はその若い女性を知っているような気がした。だが実際には知らない人であることは見て確認するまでもなくわかったので、実際に彼女の方を振り向いて見るようなことはしなかった。

我々はそのままの状態で電車に揺られていた。二人ともドアの方を向いているので、お互いのことは視界の片隅にしか映っていない。同じ景色を眺めて電車に揺られている我々の間に、次第にある種の親密さが生まれていた。これはリアルな感覚だ。だが、この感覚はリアルであると同時に、錯覚にすぎないという疑いを少しでも持ってしまえば儚く消えてしまう類のものでもある。実際のところ、ほとんどの人はこの感覚を意識下に押し込めてしまい、無いものとしてしまう。無意識的に感じているだけである。そうでないごく一部の感性の鋭い人たちも、こういう感覚を単なる錯覚として切り捨ててしまっているのだ。まあ、そうでないと現代は生きられないのかもな、とは思うけど。だから彼女が同じようにこの感覚を意識していることは期待しない。ただ、間違いなく心のどこかでは感じてはいるはずなのだ、この、親密さと緊張感が入り混じったような感覚、我に返れば何もかも幻のように消えてしまう感覚を……。

今でも私の心はその電車で彼女と隣り合わせに立っていたその数分に戻ることができる。あのときの感覚を思い出すことができる。あそこが(早くも)この恋愛の頂点だったと言えるかもしれない。まだ私は彼女の顔すら見ていなかったのに。

だが、話を先に進めよう。まもなく電車は私の降りる駅に到着した。私はいつもこの降車駅の階段に最も近くに止まるドアに乗るので、このドア付近の乗客は皆だいたい同じ駅で降車する。案の定、彼女も私と同じ駅で降りるようだ。ドアが開き、周囲の人たちは一斉にぞろぞろと降り始める。私は彼女のすぐ後ろを歩く形となった。降りるとすぐ階段があるのだが、この駅の階段は狭いのでここで必ず渋滞となる。当然、歩く人同士の間隔も狭くなる。階段の手前で私の足先が彼女のサンダルのヒールに軽くぶつかってしまった。ほんとに軽くぶつかっただけだし、この混雑の中なので、無視するだろうと思ったのに彼女は振り返った。振り返ってヒールのほうを気にする素振りをした。「あ、」混雑の中で私は謝るタイミングを逸した。彼女はもう一度振り返ってヒールを確認しようとした。私はどう反応して良いのかわからなかった。

そのまま人の流れに乗って改札を出るしかなかった。彼女は改札を抜けると早足で私の職場とは反対方向に行ってしまった。私の脳裏に、振り向いた彼女の顔が焼きついたままだ。身長差があった上に彼女は自分のヒールのほうを見ていたから、私からは俯いた角度の顔を見ることになったのでその瞳を見ることはできなかったけども、それでも私の脈拍が上昇するには十分だった。整った顔立ちに、白い肌、柔らかそうな唇。ものすごい美人ではないかもしれないが、素敵な人であることは間違いなかった。だが、軽く爪先がヒールにぶつかっただけにしては過剰な反応をされたことで、私は複雑な気分にもなっていた。その反応を非難めいたものと感じてしまったのだ。しかし改めて考えてみれば、彼女はなんとかとっかかりを掴もうとしていたのに違いない。だから二回、振り返った。一回目は足を蹴った人物がさきほど隣にいた男性(つまり私)であることを確認するため、二回目は(無意識的にではあろうけど)なにか私に声をかけられることを期待してのことだろう。声をかけるべきだったかもしれない。だが何と言えばよかったのか。改まった謝罪が必要なほど強く足が当たったわけではない。昨今は思いっきり足を踏んづけても知らんぷりの人が多いのだ……。ああ、そういう問題ではない。なんでもよかったのだ、話す内容は。普段、滅多に後悔することのない私が、この時ばかりは珍しく悔やんだ。

 

神よ、あなたが私をこの世に遣わしたのは、人間の目からこの世を観察するため、私を通じてあなたが人間としての様々な感情を味わうため。神は、善も悪も、愛も憎しみも、喜びも恐怖も、人間的なものであればなんでも等しく好まれる。なぜか人間たちは、神は悪や恐怖よりも善や愛を好むものと誤解しているようだが、そういう誤解もまた人間的であるので神の好まれるところだ。

そして私には神の目配せに従う以外の選択肢はない。私は恋に落ちたのだ。

 

翌朝、私はいつものように、あの駅で乗り換えの電車を待つために列に並んだ。さほど期待してのことではなかったが、彼女がいないかとさりげなく周囲を見ると、ひとつ向こうの待機列の先頭に彼女の姿があった。私はさりげない風を装ったまま、彼女の横顔を眺めた。彼女の唇に見入ってしまう。間近で見ることができたならどんなに幸せだろうか。

電車が到着し、我々は別々のドアから乗り込んだ。昨日はたまたまいつもより少し空いていた車内だが、今日はいつもの通勤電車の混雑だ。乗り込んでしまえば流れを乱すのは難しい。彼女がいるとおぼしきほうに目を向けるが、もちろん他の乗客に紛れて見えるわけはない。

やがて電車は降車駅に到着し、私は流れに合わせて電車を降りる。彼女の乗ったドアだと階段の横に出てしまうが、前方に彼女が階段脇から階段へと折れていくのが見えた。混雑しているので人の流れに合わせての移動しかできない。私が階段を下り始めたとき彼女はすでに数メートル先を下っているのが見えた。その後ろ姿を目で追った。そして人いきれの中から、昨日と同じように改札を抜けると早足で向こうに行ってしまう彼女をずっと見続けた。

今日も彼女と同じ電車になったことで私は喜びを感じた。同じ電車に乗り合わせていれば、二人の間に関係を築ける可能性も生まれてくるかもしれない。

その日はずっと、仕事をしている間も彼女のことばかり考えていた。帰りの電車でも、彼女がいやしないかと、あたりを気にしてばかりいた。もちろん、いるわけがない。

それからほぼ毎朝、彼女を見かける日々が続いた。私は職場に行くために三つの路線を利用する。だいぶ後になってわかったことだが、彼女もまた、この三つの路線で通勤しているようだ。それがわかったのは、ひとつ目の路線で彼女のすぐそばに乗り合わせたことが一、二度、あったからだ(そのときは電車のダイヤが乱れていて、だいぶ遅延が発生していた)。ふたつ目の路線に乗り換えるのはその路線の始発駅である。この路線は都心には直接行かないのでさほど混雑しない。彼女はこの路線で座っていくために、一本か二本、電車を見送って後発の電車を待つ列に並んでいるようだ。そのためにひとつ目の路線を私よりも早めの電車に乗っているわけだ。なので普段は彼女が先に乗車して座っている電車に後から着いた私が乗り込むという図式になる。さほど混雑しないとはいえ、みっつ目の路線に乗り換える際には、そこそこ乗客も増えている。その駅での混雑状況からすれば、ふたつ目の電車で一緒でなければ、みっつ目の路線への乗り換え時に続けて同じ位置になることもタイミング的には考え難い、と言えるだろう。だから、ふたつ目の路線でも彼女を見かけたとき、特に驚きはなかった。むしろ、そうだろうなと思った。それに我々はふたりとも降車時に一番階段に近くなる場所に乗るタイプのようで、必然的に同じあたりに乗車することになる。

ふたつ目の路線の電車では、彼女はいつも七人掛けの椅子の端に座っていて、俯いた姿勢で寝ている、ように見える。電車内での私の立ち位置はその都度の混雑の状況次第なので、彼女のすぐ前に立つこともあるけど、大抵は少し離れたところから彼女を見ることになる。たまにだが、彼女の座っている座席の向かい側に途中から座れることもあるので、彼女の寝顔(ほんとうに寝ているのかは定かでないが)を眺めることもできた。彼女が寝ているおかげで、私は彼女の唇をじっくりと見ることができる。彼女のなにもかもが素敵に見えたけども、特に唇に見入ってしまうのだ。

ずっと観察していると、彼女は常に寝ているわけではなく、スマホをいじったりすることもあった。彼女はスマホをいじるとき、よく普通の人がやるように俯いて背中を丸めた姿勢で操作するのでなく、スマホを片手で持って目の高さ近くまであげて、顔を上げたまま、もう片方の手で、その美しい指先で、操作するのだ。実に愛らしい。ちょっとスマホに慣れていない人に見えるけども。

彼女が俯かずにスマホを操作するおかげで、ようやく私は彼女の瞳をちゃんと見ることができた。なんだが懐かしさを感じさせる瞳だ。誰かを思い起こさせる。けど、誰だかわからない。そういう瞳。

不思議なことに、私はこうして彼女のすぐそばで同じ電車に乗っているだけで充分に幸せだったし、その幸せのあまり、それ以上のなんらかの関係を構築したいとすら感じずにいた。いや、機会があればデートに誘おうかぐらいの気持ちがまったくなかったかと言えばそれは嘘になるが、逆にもし本気でそれを願っていたのであれば私の性格からして何も行動を起こさないはずはないとも思えるので、本当の私の気持ちは私自身にもわからない。ただ、彼女をそばで眺めていられるときが一日のなかで最も幸せな時間であったことだけは間違いない。

そんな日々が数ヶ月続いた。季節は秋を通り越して冬になり、年を越そうという時期になっていた。その頃、彼女を見かけない日が数日、続いていた。朝の電車はダイヤが乱れやすい。タイミングが悪ければ一緒の電車に乗れないことも珍しくない。とくにひとつ目の路線はすぐに遅延する。私の一日でもっとも幸せな時間がそこにかかっているのだ。ほんとに心臓に悪い。けれども私は、確実に彼女と同じ電車に乗るためにいつもより早い時間に家を出たりなどは決してしなかった。それは、なんというか、私の生き方におけるひとつのルールなのだ。普段通り自然にすごしていて彼女に会えないのであれば、それはもうそういう流れであると受け止める、というのがルールなのだ。そうしていなければ、サインを見落としてしまうかもしれない。サインを見落せば、道を誤る。そのことは後で触れよう。

電車の遅延といえば、毎朝の彼女の改札を出てからの急ぎっぷりを見るに、いつもの電車の到着時刻は彼女の勤務先の始業ギリギリな時間なのでは、と推察したりもする。あるとき電車が遅延して彼女が改札横の窓口で遅延証明書をもらうために並んでいるのを見かけたこともあるので、きっとそういうのが必要なきっちりとした職場で働いているに違いない(ちなみに私は結構いろんな職場で働いたことがあるが遅延証明書を求められたことは一度もない)。いったいどんな仕事をしているのだろう。いつもカジュアルな服装をしているので、おそらくはどこかのオフィスでの内勤といったところだろうか。

彼女を見ることのできなかった日は辛い。一日でも辛いのに、この数日はそれが連続しているのだ。私は昼休みに職場の近辺を歩きながら、ランチに出てきた彼女とすれ違ったりしないかな、と目を配ったりもするが、これまでにだって昼に彼女を見かけたことはない。おそらく彼女は弁当派なのだ。彼女のいつも持っている手提げにはいかにも小さな弁当箱が入っていそうだもの――そんな具合に彼女のことばかりを考えて歩いていた。私は自分の身の欠落を感じた。冬の曇り空の下を歩きながら、私はいったい何をやっているのかと自問せざるをえなかった。彼女と一緒にいたい。デートしたい。いや、いっそ一緒に暮したい。毎日を彼女の笑顔とともに過ごすことができたのなら、他に何も求めるものはない。

彼女に告白して関係を構築するか、あるいはフラれてなにもかも諦めるか(ただしフラれるというイメージは私にはまったくなかったが)を選ぶときがきているのかもしれない。ただ、私がそうすべきなのであれば、なにがしかのサインがあるはずだった。この数ヶ月、私は注意深く、神からのサインがあるかどうかを見ていた。サイン、つまりこの場合はゴーサインだ。それがあれば私はすぐに行動に移しただろう。

私は普段、迷うということがめったにない。このことは私が神からの指示を読み取ることができるという能力に基づく。人間は自分で考え、自分で判断する、ということをするらしいが、いったい彼らは的確な判断をするための何を知っているというのだろう。正直私は、まだ感情で物事を判断する人物の方が信頼できる。そして次に信頼できるのは歴史で物事を判断する人だ。そういう人は少なくとも過去のことは知っているからだ。でも人間は未来を知らない。未来も知らず、ごくごく限定された知識のみに基づいて判断するのが人間なのだ。私からすれば、彼らは目隠しをして料理をしているようなものだ。目隠のまま包丁を扱ったりガスコンロをいじったりしているのだ。よくそんな危ないことができるものだ。そのうえ食材がなんなのかすらわかっていなかったりする。

神の指示に従っていれば、迷うことはないし、間違った方向に行ってしまうこともない。それでも迷うようなことがあれば、こちらからお伺いをたてることもできる。

――そうだ、その手があった。

歩きながら、私は曇り空を仰いだ。そして神に問うた、この恋愛は成就するのか、と。

神に対する問いへの答えは、私の頭に直接に言葉や想念として浮かぶ。このときの神からの返答は、私にとっては実に意外なものだった。

 

「お前が本来の自分に戻ったならば、この恋愛は成就する」

 

私が、本来の、自分に戻る。それはどういうことなのだろう。恋をしていない状態に戻るということだろうか。だとしたらこの恋が成就するという言葉と矛盾する。わからない。だが、わからない、ということは、課題として与えられた、ということだ。その課題を解決すればよいのだ。私はとりあえず、この恋愛が成就するという部分だけを希望として受け止めた。

私は彼女との暮らしを夢想した。テーブルを挟んで一緒に朝食を摂ったり、ソファーに並んで座ってレンタルしてきたDVDを観たりとかいった、たわいない生活。そんななにげない日常を彼女と共に過ごすためなら、何もかも投げ出してもいいとさえ思った。

 

本来の自分。本当の自分。そういう言葉に惹かれる人間がいるのは知っている。現代の社会においては自分を見失ったような生き方をしている人が大勢いる、みたいな言い方を耳にすることもある。まあ言いたいことはわかる。でも私は思う。今、此処にこうして存在している自分だけが本当の自分であって、それ以外に別の自分が存在するなどという考え方は幻想に過ぎない。あるいは単なる言葉遊びみたいなもの。今の自分が嫌い、周囲からの評価に納得できない、今の生活は間違っている、そういう思いを「本当の自分」「本来の自分」という言葉に置き換えているだけなのだ。

だから、まさか自分に対して「本来の自分」などという言葉が降ってくるとは考えもしなかった。私の今の生き方が間違っている、とでもいうのだろうか。市井の会社員としてごく普通の生活を送っているだけの生き方。ここには虚栄も虚飾もない。これ以外のどこに本来の自分があるというのだろう。それとも、あるいはそれは死後の話のことをいっているのだろうか。確かに我々は、死ねば人間としての肉体を離れ、本来の自己に立ち返ることになる。だが、そこでいう「自己」というのは人間が考えているような自己ではない。そこでは、私は私であると同時に全体でもある。私は同時にあなたでもある。そこには欠落というものがないから、恋愛というものも成立しない。大いなるひとつの愛のようなものがあるだけなのだ。……ああ、私もいつか迎えが来て「そこ」へ還っていくのだ、と思うと、胸が震えた。だが、まだその時ではない。まだ私には人間として果たす役割があるのだろう。

役割。そうだ。それは、かつて老齢の父が亡くなる際に私が果たしたようなことを指すこともあれば、もっと日常的なことであったりもする。たとえば、街中で行き先がわからなくて困っている人に道を教えたりとか。私はよく人に道を訊かれることがあるのだが、それは神が私を正しい場所に運んでくれるからだ。私は必要な時に必要な場所に居合わせることができるのだ。ただし迷っている人に私が教える道が正しいとは限らない。私は必要なことを伝えるだけだから。

自分の役割を果たすということ以上の喜びはない。どんな役割が自分に用意されているのかはわからないけども。

むろん、そういったことにまったく無自覚な人間にも役割というものがある。いや人間だけでなくこの世のあらゆるものに役割はある。この世もまた、全体として成り立っているのだ。だが生き物の意識に「個」という概念が生まれ、全体と切り離されるようになってしまった。そこが悲劇の始まりだ。楽園からの追放だ。……私は自分の役割を果たすとき、その一瞬だけ、全体に立ち返れた気がする。だからそこに喜びがあるのだろう。

私と彼女との関わりにおいても、私にはなんらかの役割があるのだろう。いや、そうであってほしい。お互いがお互いの人生においての大きな役割を果たすような関係であってほしい。……だが、ふと、私と彼女の関係はそこまでのものではないような予感が心をよぎった。ふたりでの生活を夢見ることはできても、そこから先、将来のイメージが浮かんでこないのだ。私は小さく首を振った。いやいや、未来はわからない。希望を捨てるわけにはいかない。

 

年を越したが、その後も朝の電車で彼女を見かけることができない日が続いた。私はひょっとして彼女はもっと早い電車に乗るようにしたのではないかと考えた。いつも出勤がギリギリなことを上司に注意されたのではないだろうか。そこで私はついに、いつもより五分はやく家を出て、いつもより一本はやい電車に乗ってみることにした。すると案の定彼女はその電車に乗っていた。私は安心するとともに、いっそのこと、今、彼女に告白してしまおうと思った。告白するならば乗り換えのタイミングだろう。私は乗り換えの駅まで到着するのを待とうと考えた。

彼女はいつものように座って寝ていた。私は少し離れた横のほうから彼女を見ていた。彼女は俯いているので髪の毛がその顔を隠している。私は緊張した。やがて乗り換えの駅に到着すると、彼女は目を覚まし、顔を上げた。多くの乗客が一斉に電車を降り始めた。それらの人々にまぎれて電車を降りていく彼女を見て、私は、なにかが違うと思った。なんだろう、どこがというわけではないのだが、この人は私が共に暮らすことを夢見たあの人ではないと感じてしまったのだ。困惑しながら私は彼女の後ろ姿を見送って、後から電車を降りた。もちろんそんな気持ちでは告白するどころではない。

そのまま電車を乗り換え、いつものように改札から早足で去っていく彼女を見ていた。私は反対の方向へ歩き始めたが、彼女と離れると、再び彼女への想いで心がいっぱいになるのだった。

その次の日も一本はやい電車に乗った。そして、彼女を見た。彼女を好きだという気持ちは微塵も変わらないにもかかわらず、彼女を目の前にすると、やはりなにかが違う、という想いにとらわれてしまった。私の中で彼女が理想化されすぎてしまったのかもしれない。いったいどうすればいいのだろうか。なすすべもなく彼女を眺めていた。

そのまた次の日は、いつもの電車に戻った。そこにはもちろん彼女はいない。

味気ない日々が過ぎていった。それでも彼女への気持ちは衰えることなく心の中にあるのだ。それで時折、彼女に想いを伝えようと一本はやい電車に乗ってはみるが、いざ彼女を目の前にすると、この人は私が想い続けた人とは違う、という気がしてきてしまうのだった。そういうことを幾度も繰り返した。

そんな状態のまま、春になった。

ある日のこと、電車のダイヤが大幅に乱れた。電車は遅延し、ふたつ目の路線への乗り換えの時、いつもの電車の出発時刻はとっくに過ぎていた。私は出発待ちで停車していた電車に飛び乗った。車内に入ると、座席前のつり革のスペースがひとり分、かろうじて空いていた。それはホームに面した側だった。私は乗客の間をすり抜けてその場所に行き、つり革につかまった。そして、なにげなく窓の外を見た。ホーム上では後発の列車で座っていこうという人たちの列がすでに長くなりつつあった。

その先頭に彼女がいた。

私のすぐ目の前だ。窓を挟んで向かい合う形となった。私はまっすぐに彼女を見た。目は合わなかった。その人が彼女であることは間違いない。だけども、なんだか、まったくの別の人のように見えた。私がかつて何度も見入ったあの唇、それがもはやまったく魅力的に見えなかった。

 

そこに立っているのは、ただの人だった。

 

発車のベルが鳴り終わるとともにドアが閉まり、まもなく電車は発車した。私はつり革を握りしめたまま固まっていた。ホーム上の彼女はあっという間に見えなくなった。

 

「神よ。今回の出来事において、私の役割がなんであったのかは今でもわかりません。それでも私は役割を果たし終え、この出来事は決着を見たのだと思います。あるいは私はメッセージを与えられたのかもしれません。メッセージは受け止めました。人のする恋というものがどれほどのものであるか、というメッセージです。そして今、私の心には大きな穴が空いています。これが世に言う失恋というものなのでしょう。なにもフラれるばかりが失恋ではない、ということですね。――私は神に問います。この心にぽっかりと空いた穴をどう処理すればいいのでしょう。私は心にこの穴を抱えたまま、この先を生きていくべきなのでしょうか。それともいつか誰かがこの穴を埋めてくれるものでしょうか。いや、たとえそうであったとしても、もう私は元の自分には戻れない気がするのです。一度、欠落してしまったという事実はもはや変えようがないからです。

私が本来の自分に戻ることによってこの恋が成就するとあなたは言われましたが、もう私は本来の自分には戻れない。いや、もしかしたら、今の私の状態こそが『本来の自分』なのでしょうか。人間は欠落を抱えたまま生き続けるのが本来的な姿である、ということがメッセージの意味するところだったのでしょうか。であれば、まさに私は今、本来の姿になりました。どうか私の恋を成就させてください」

 

神に私の願いが届いたろうか。だが、神というのはべつに人の願いを聞いてくれる存在ではないのだ。神が願いを聞いてくれるなんて、人間の勝手な思い込みでしかない。今回ばかりは、神のあまりの仕打ちに私も人間の真似をしてみただけだ。

 

「神よ、私は叫んでいるのです。心の中で、力の限り。私の叫びは大地を揺るがし、近隣のオフィスビルの窓ガラスは悉くこなごなになり、街路樹はすべての葉を散らすでしょう、この喪失のために。私の魂は、失われた心の一部を取り戻そうと、夜の街を夢遊病者のように彷徨うでしょう。そして道端で泥にまみれた、懐かしいなにかを見つけるでしょう。それはかつて私の心の一部だったものです。私はそれを抱いて、漸く、眠りにつけるでしょう。誰も知らないところで、眠りにつきます。すべての人が起きて活動している街で、ひとり眠りにつくのです」

 

私の抱いているこの喪失感は、生き物が「全体」から離れ「個」となった時点から運命付けられているものなのだろう。この喪失感を埋めるために人は他者を追い求めるのかもしれない。いつか人はこの喪失感を埋めることができるものなのだろうか。わからない。だが、たとえ錯覚でしかないとしても、この喪失感を感じずにすむのであれば、その人は幸せだろう。そして、もし私が誰かの喪失感を埋めることができるのであれば、私はその役割を忠実に果たしたい。そう、錯覚しか与えられないのだとしても。

 

***

 

わたしはその人のことを天使さんと呼んでました。とは言っても心の中でだけの話です。実際に天使に会ったことがあるわけではないけれど、どことなく天使的な雰囲気がある人でした。あ、でも、彼はたぶん、そう聞いて人が想像するようなイメージとはかけ離れていると思います。あくまでわたしの独断と偏見です。わたしの天使に対するイメージって、やさしいときもあるんだけど、基本的にはひどく残忍っていうか、冷酷な面があるんじゃないかと思うのです。うーん、だからもしかしたら一般的にいえば悪魔のイメージに近いのかな。

天使さんは朝いつも、わたしと同じ電車に乗り合わせてた人です。はじめて天使さんのことに気付いたのは、彼が車内で発した「どうぞ、座ってください」という声でした。今でもその声が聞こえてくる気がします。そのとき、わたしは座ってて寝てるフリをしていましたが、その声を耳にして薄目を開けました。向かい側の席でひとりの男性が女性に席を譲っていたのでした。なんで若い女性に席なんて譲るんだろうと思ってよく見たら、どうやらその女性は妊婦のようでした。妊婦に席を譲る人なんているんですね。少なくともわたしは初めて見ました。もっともわたしは車内ではいつも目を閉じているので、単に気付いていなかっただけかもしれません。

わたしはいつも始発駅で座れる電車を待つことにしています。それは立っていくのが嫌というよりかは、できるだけ人と触れたくないからです。だからなるべく端っこの席を確保するため、先頭に並べるまで待つようにしています。でもこの電車はそんなに混まないので、たいていは一本見送るだけで先頭に並ぶことができます。そして座ったら、乗り換えの駅に着くまでずっと寝たフリをしてます。実際に寝てしまうこともあります。が、たいていはウトウトするかしないかぐらいです。

天使さんもわたしと同じ駅で乗り換えます。そして同じ駅で降ります。改札を出ると、わたしとは逆の方向に行ってしまいます。

天使さんに気付いて以来、わたしは彼に注目するようになりました。一見、ごく普通のやさしそうな人ですが、目を見るとその深さに吸い込まれそうになります。慈悲と冷酷さを同時に湛えた眼差しです。もっと近くで見てみたいという気もしますが、怖くもあります。そして、なにを期待してのことではないのですが、そのころからわたしは念入りに化粧をするようになりました。

ある日のこと、いつもの乗り換え駅で人の流れに合わせて動いていたらたまたま天使さんがちょっと前のほうを歩いているのが見えました。わたしはなぜかふらふらと彼のほうに近づいていきました。引き寄せられるようにです。そしてそのまま電車に乗りました。乗り込むと彼の右側のスペースが空いていたので必然的にそこに立ちました。なんだかいい匂いがしました。そのとき電車はすごく混んでいたわけではないのですけど、混雑のせいを装ってわたしは彼の右腕にさりげなく寄り添いました。彼の体温が伝わってきます。わたしはすごく癒されると同時にドキドキもするという矛盾した体験をしました。いつまでもこの瞬間が続いたらいいのに願わずにはいられませんでした。

でも、電車はあっという間に駅についてしまいました。わたしは我にかえると少し恥ずかしくなって、天使さんよりも先に電車を降りました。ほんとは駆け出したかったんですけど、人混みがすごいのでそうもいきません。彼はわたしのすぐ後ろを歩いているようです。そして後ろの人はわたしのサンダルのヒールを軽く蹴りました。わたしは振り返りました。怖くて顔を見ることはできませんでしたが、それはやはり彼でした。まるで、すべてわかってるんだぞ、という合図のように思えました。わたしは、振り返ったのはあくまでヒールが気になるからです、という素振りのため、も一度、振り返ってヒールを見ました。うまくごまかせたでしょうか。そして改札を出ると一目散に職場に向かいました。天使さんがおいかけて来はしないかと途中で振り返りましたが、さすがにそんなことはありませんでした。

翌日の乗り換え駅では、天使さんと一緒にならないように、まっさきに降りました。そしていつもよりひとつ先の列に並びました。でも天使さんが後からいつもの列に並んだのがわかりました。なんだかこっちを見ているような気がします。わたしはひたすら素知らぬ風を決め込みました。で、電車が到着すると一番降りやすい場所を確保し、降りる駅に着いたらまっさきに降りて、改札を出ると早足で職場に向かいました。考えてみれば、なんでそんなことしたんでしょう。ちょっと自意識過剰だったのかもしれません。

それからも天使さんとはいつも同じ電車になりました。わたしはいつも寝たふりをするのをやめて、なるべく顔を上げてスマホをいじったりするようになりました。天使さんのことを観察しているのはバレないように細心の注意を払いました。そこはちょっと自信があります。

不思議なことに、わたしと天使さんには、なんていうか、そう、シンクロするところがあったように思います。ある日のことです。わたしは普段コンタクトをしてるのですが、その日は調子が悪いのでメガネをかけて行きました。なんと、天使さんもその日はメガネをかけていたのです。

それ以来なんとなく気にしていたのですが、着ているものとかもどことなくシンクロしてる気がします。わたしはファッションには無頓着なところがあって、よく「統一感がない」と言われます。自分的には、気に入ったものを着ているだけなのですが。わたしがGジャンを着ていくと彼はデニムのジャケットを着てたりだとか、白いチェックのブラウスを着た時には彼も同じく白のチェックのYシャツだとか、そういうことがよくありました。そういうシンクロを見つけると、なんだが嬉しくなりました。

天使さんも、もしかしたら、わたしに好意を持ってくれてたのでしょうか。そう思えるようになった出来事があります。わたしがいつも座っていく電車は途中で急行に追い抜かれるのですけども(だから座席を確保しやすいのですね)、後からの急行に乗れば先に乗り換え駅まで到着します。その日、電車には天使さんはいませんでした。始発駅まで来る電車のダイヤが乱れてたので、きっと乗り遅れたのでしょう。そう思ってフテ寝してました。ところが、急行に追い抜かれた後の急行停車駅に着いて、わたしがふと顔を上げると、向かいの座席に彼が座っていたのです。わたしは驚きと喜びが顔に出ないようにするのに必死でした。彼は電車に乗り遅れて後から来る急行に乗ったのでしょう。そのまま急行に乗っていれば乗り換え駅まではやく着くのに、わざわざ途中で降りてわたしと同じ電車に乗り換えてくれたのです。それがわたしと一緒にいるためだということが直感的にわかりました。心の中では彼に抱きつきたい気持ちでした。でも心の中だけに収めておきました。どれだけ確信があったところで、実際のところはわたしのまったくの思い込みである可能性も残っているのです。

でも、わたしは彼が近くにいてくれるだけで幸せでした。それ以上はなにも必要ではないほど、この気持ちは、そこで完結していました。そんな日々がどれだけ続いたでしょうか。

十二月になりました。いわずもがなですが、この月にはクリスマスがあります。わたしにはもちろん、なんの予定も入っていません。天使さんが誘ってくれたら嬉しいと思いますが、まだ知り合いにすらなれていないふたりの関係が急速に発展するはずもないし、今年もひとりの聖夜を過ごすことになるだろうなあと思ってました。ところがです。クリスマスの数日前になって、職場の先輩にあたる男性から食事に誘われました。ちょっと体型が太めであることを除けば、ごく普通の特になんという特徴もない人です。わたしは、まあ、食事くらいならいいか、と思って承諾しました。やはり聖夜をひとりで過ごすのは残念すぎると思ったのもあります。そしてクリスマスの日、ふたりでの食事の後、夜の公園を通りかかりました。当然、カップルだらけです。お酒が入っていたせいもあり、雰囲気に押されてしまったところもあると思いますが、そこでわたしはその人にせがまれるがままにキスを許してしまいました。でもキスだけです。それ以上はなにもありません。

その翌日、またダイヤが乱れたせいか、天使さんとは一緒になりませんでした。わたしは、天使さんがいないことについて自分が安堵しているのを発見しました。彼のあの瞳で見つめられたら、昨日のことをなにもかも見透かされそうな気がしたのです。

次の日から、わたしは一本はやい電車に乗ることにしました。いちども口をきいたことさえない人に対してなんでそこまでするのかと訊かれたら言い返しようもありません。でもそれがそのときのわたしにとっての現実だったのです。自分でもバカみたいだとは思いますが、とにかく彼に会わす顔がないような気がしてました。

それからは化粧もだんだんと手を抜くようになりました。電車ではずっと寝たフリをするのが復活しました。化粧の手を抜くのにはわけがあって、例の先輩がほとんどわたしを彼女のように扱うようになってきていて、わたしも今のところ邪険な対応をしないようにはしているのですが、どこまで本気なのかちょっと試してやろうという思いがあります。つまり、わたしがきちんと化粧をしてかわいらしくしてたからちょっかいを出されているだけなのではないかと疑っているわけです。それに、あの程度の人のために手間暇をかけて化粧しているわけではない、という思いもあったのかもしれません。

それ以来わたしは一本はやい電車に乗り続けているのですが、たまに天使さんを見かけます。わたしをおいかけてきてくれてるのでしょうか。それともたまたまなのでしょうか。いずれにしても、そんなとき、わたしは緊張します。もちろん顔には出せません。とにかくなにげない、ちょっとダルそうな顔をして、あなたなんてまったく意識してませんよ、という体でやり過ごします。

一番の最悪なシーンは、ある日の、電車のダイヤが大幅に乱れたときのことです。こんなときほんとならできるだけ早く職場に着くようにすべきなのでしょうけど、どのみちもう始業時間には間に合いっこないほど遅れていましたので、いつものように座っていこうと後発の電車を待つ列の先頭に並びました。目の前にはまだ先発の電車が発車待ちをしています。急ぎ足で先発の電車に乗り込んでいく乗客たちのなかに彼、天使さんがいるのがわかりました。そして彼はわたしが並んている列の真ん前の電車の窓の向こうのつり革につかまったのです。わたしのすぐ目の前でした。あちゃあ、と思いました。わたしはその日、ちょっと寝坊したせいで、ほとんど化粧らしい化粧をしていなかったのです。かといって顔を隠すのも変だし、わたしは例のごとく、あなたなんてまったく意識してませんよ、という顔をしているしかありませんでした。そこで彼と目を合わせたら、わたしは石になっていたかもしれません。まっすぐには見ることはできませんでしたが、彼の眼差しが冷酷な光を放っているのがわかりました。ああ、なんかすべて終わった、という気がしました。

それ以来、天使さんのことは見かけていないと思います。結局のところ、わたしには例の先輩のような、ごく平凡な人がお似合いなのかもしれません。それが今回、わたしの得た教訓かな。これまでなんだかんだ理由をつけて先輩からのデートの誘いは断ってきたけど、今度また誘われたら応じてみようかと思います。

 

2021年6月9日公開

© 2021 堀井たくぞう

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