禊 2/7 

千本松由季

小説

3,822文字

少しエロティックな内容。夏の夜に、七回に分けてお届けいたします。去年の丁度今頃書いて、なんかの公募に出して、未発表で埋もれていたものです。一年前より進歩が見えて嬉しい。ほとんど手直しはしていません。あの頃のままです。

      二 ダリア

 

 四十二階。エレベーターが止まる。この瞬間が好きだ。脳が動いたショックでリセットされるような気がする。

 頭にあの雑誌記者のことが浮かぶ。私はさっき見た、ビルに映る雲のことを思い出そうとしていた。もう、あの女のことを考えるのはよそう。どうせ別れるんだから。あの男とは。でも、考えるのが止まらない。惨めな気持ちになる。

 私はやっと靴を脱ぐ。カーペットの上を裸足で歩く。大きなオフィスにはもう人がいない。窓に近づく。さっきの雲が見える。気持ちが落ち着いてくる。窓のすぐ下を見る。ここから落ちたらどうなるだろう? 人も車もあんなに小さい。空気は澄んでいて、遠くまでよく見える。

 小さな部屋がある。前はこんなのなかった。ドアが少し開いている。そっと覗く。男がいる。大きなデスクに座っている。清一郎。前は大部屋にいたのに、こんな部屋をもらうほど出世したのかな? どうでもいいけど。

「清一郎」
彼は顔を上げる。座ったままで私を見て、少し微笑む。
「咲岐(さき)。なにしに来た?」
「道に迷ってたらここに出た」
彼は口の中でそれを繰り返す。

「……道に迷ってたらここに出た?
「ほんとだって」
「ふーん」

彼は上から下まで私を見る。

「足どうした?」

「靴が痛くて」

彼はバンドエイドを持って来て、私の足の赤くなってる所に貼ってくれる。

「ソックスは履いてないのか?」

「考えたことなかった」

「相変わらずだな。下のコンビニで買えるだろう」

 清一郎は私をエスコートして、エレベーターに乗る。

 コンビニの店員が私の素足を怪訝そうな顔で見る。ソックスを買って、靴を履いてみる。

「まだ痛いのか?」

彼は私をお姫様抱っこして、ビルの前でタクシーを拾う。こんなに優しい人だったかな? 啓二のあとでは、誰でも優しいんだ、と気づく。

 

 二人でよく行ったバー。いつものカウンター席に座る。バーテンダーが六人もいるような大きな店。クラフトビールが充実してる。

「もう一年半だぞ。俺達別れてから」

別れたどころか、付き合ってたつもりもない。
「君の誕生日のすぐ前に出会って、俺は誕生日とクリスマスの貢ぎ物をして、バレンタインになにかもらう前に別れた」
それを仕組んだつもりもない。

 それより清一郎にはもっと大事な物をもらった。手のひらより大きなダリア。ロシアの赤の。ショスタコーヴィチの命日に。一昨年のこと。

「ダリアをもらった」

「そうだった」

「なかなかあんなに大きいの手に入らないのに」

「知り合いの花屋に頼んだ。仕入れるの苦労したって言ってたぞ」

「ありがとう」

素直にお礼が言えた。私にしては。

「なんでダリアだったんだ?」

知らない。なんとなくダリアがしっくりくる。燃えるような、あの赤。

「あのパンクロッカーはどうした? 君が俺を捨てて付き合ってた」
捨てたつもりもない。パンクじゃなくてメタルだけど。

 いいことを思い出す。
「そんなことより、相談があって」
「なに?」
「どうしても落ちないバカがいて」
「へー、君の手管でね」
「どうしてだろう? って」

 若いバーテンダー。私のファンでいつも寄って来る。久し振りだの、スタイルがモダンだの、前よりもっと若く見えるだの。

「僕、咲岐さんが来てくれなくなっちゃって、事務所まで調べたんですよ。ファンクラブがないかなって」

面白い冗談に笑う。

「ほんとですよ。あれから事務所の人が今度いつなにに出るか教えてくれます」

それは親切だな。

「こないだのドラマ、死人の役、よかったですよ」

あれは最初から死んでる役だった。清一郎が笑う。

「死人の役?」

嬉しそうなバーテンダー。

「セクシーな死人でしたよ」

私は爆笑する。

 清一郎は渋いバーボンを飲んでいる。前はウォッカだった。
君の手管で落ちないって、きっとそいつ、君と本気で付き合いたいんじゃない?」
話題が元に戻った。本気で付き合いたい? それは困るんだな。身体が目当てだから

「誰? なんでそいつのことそんなに好きなの?」
「好きじゃない。別に」
 酒はいつもストレートなのに、私はジントニックを飲んでいる。泡が私の不安を減らしてくれるような気がして。でも、それを大して信じてるわけでもない。

好きじゃない奴と、どうして寝たいの?」
グラスを持ったら、私の右手の指輪がぶつかって、小さな音がする。クリスマスに清一郎にもらった。小さいダイヤが三つ埋まってる。気に入って今でも使ってる。
「あのロックシンガーと別れたくて」
「なんで?」
「気持ち悪い女がゴロゴロ周りにいて」
私はコッソリ指輪を外そうとする。
「だから好きでもない奴と寝るの?」
あいつの周りの男全員と寝たら、別れられるような気がして。バンドの奴とか、スタッフとか」
指輪が取れない。焦るともっと引っ掛かる。

「そんなに別れられないの?」
「心身ともに破滅させられたから。今、精神科の薬飲んでる
「もう何人くらいと寝たの?」
私は右手の親指から数え始めて、左手に行こうとした途端、彼に両手を掴まれる。
「咲岐! なんでそんなこと?」
「禊になる」
彼はため息をつく。
「君がクレイジーなのは知ってたけど、これほどとは思わなかった」

 バーの音楽が変わる。それが頭に響く。昔聴いたドビュッシー。
「そんなこと、もう止めろ」
私は苦笑する。

「それはないから。あと一人で終わりだから。落ちなくて困ってるけど」
「何回デートしたの?」
二人で出掛けたのは一回」
ロマンチストなんだなその男。小説家志望だって。キスもしない。バカみたい。
「俺の時もそうだったな。一回目で」
そいつ啓二の親友。高校の同級生。私があいつと寝てるのは知らない。じゃあ俺に迫ったのも、誰か他の奴と別れたかったから?」
「これは、つい最近の発明だから」
禊というアイディア。どっから来たか、私にも分からない。忘れてしまった。私の身体が求めていただけ。
「よくそんなこと思い付くな」
余計なお世話なんだよ。でもその小説家志望の男。全然好みじゃない。どんだけ金積まれても寝たくないようなタイプ。気持ち悪い。でも、最後の一人だから。
「今のところ、効き目はあるから。もうすぐ別れられる
そうでもないか? 先週ライブの後、みんなで飲んで雑魚寝して、あいつに汚いトイレでバックで突かれた。

 清一郎は私を正面に向かせる。私の髪を直して、襟を直して。子供にするみたいに。そして子供を叱るみたいに、私を叱る。
「もう止めろ、そんなこと」
襟に触れた時、彼の手が少し私の肌に触った。清一郎。私はカウンターに突っ伏す。
「泣くな」
泣いてねえよ。あと一人なんとかすれば、救われるんだから。
「ちょっと酔った」
私らしくない言い訳をする。

 

「出るか」
清一郎は、私のバンドの追っかけしてます、みたいなジャケットを、プリンセスに着せるみたいに着せてくれる。彼のはロングコート。グレーのチェック。小雨が降り出す。なにかが間違ってるんだ、という考えが浮かぶ。なんでだろう? 自分でやってることは分かってるつもり。残響。さっきのドビュッシーの。頭はとっくに壊れてる。

 タクシーの窓が濡れてる。この車の外にいる人達から、私はどんな風に見えているのだろう? ほとんどが、当たり障りのない服装をした、この街の人達。私はぶつかりそうなほど、窓に顔を近付ける。
「最後の一人のことは、俺が忘れさせてやるから」
気取った言い草に、私はクスっとなる。
「だから、それはないから。あと一人で終わりだから」
大きな交差点を曲がる。行き先が違っている。引っ越した? 知らない道。
「あのパンクと別れられればいいんだろう?」
分かってない。あれは私が決めたこと。自分を救うために。

 タクシーの運転手が困った声を出す。
「お客さん、この先事故ですね」
私達は、渋滞する道路の真ん中で降りる。私は知らない道を彼と歩く。風が出てくる。雨が強くなる。傘もないのに。

 前より新しくて広いマンション。廊下の真ん中で、抱きすくめられる。冷えた身体同士。すぐ裸にされてベッドに寝かされる。彼は服を着たままで、私を見下ろす。思い出した。彼はいつもこうしてた。
「お前、一体なに考えてる?」
清一郎は、私の身体が好きだって言ってた。彼の冷たい手が私を愛撫する。私の身体が震えている。寒いからか、彼が触れているからか、分からない。

 彼が私の長い髪を掴む。
「言えよ。俺と、お前のパンクとどっちがいい?」
彼は私に乱暴なキスをする。最初は抵抗したけど、次第に私はそれに溺れていく。
「自分でしてみろ」
私は彼の目をしっかり見据えながら、右手を下の方へ這わせる。彼は服を脱ぎながら、私がしているところを眺めている。

 彼は私の中に入っていた濡れた指を抜くと、いきなり私の内部に突き刺してくる。彼は、私の中が、熱い、とても熱い、と言って声を上げる。中に入れたまま私をきつく抱き締める。私は早く彼に腰を動かして欲しいのに。
「俺の欲しい物で手に入らないのはお前だけだ」
私は彼の腕から逃れて、自分で上に乗って腰を動かす。一番深くまで沈む。私を救うためには、どうしてもこれが必要だから。……彼は前みたいに、私の口の中で果ててくれる。いつもより冷たいモノ。それを全部吸い取る。

 知らないマンションで、私はいつまでも寝付けない。自分の目だけが暗闇に光っているような気がする。夜行性動物の目みたいに。私はここでなにをしているんだろう? いつものように道に迷っただけ?

 

禊 1/7

千本松由季 千本松由季

少しエロティックな内容。夏の夜に、七回に分けてお届けいたします。去年の丁度今頃書いて、なんかの公募に出して、未発表で埋もれていたものです。一年前より進歩が見えて嬉しい。ほとんど手直しはしていません。あの頃のままです。

2021年6月7日公開

© 2021 千本松由季

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