禊 1/7

千本松由季

小説

3,277文字

少しエロティックな内容。夏の夜に、七回に分けてお届けいたします。去年の丁度今頃書いて、なんかの公募に出して、未発表で埋もれていたものです。一年前より進歩が見えて嬉しい。ほとんど手直しはしていません。あの頃のままです。

あらすじ

売れない女優の咲岐(さき)は、好きだったロックバンドのボーカルと別れよううとするが、離れられない。彼女の狂った頭に「禊(みそぎ)」というアイディアが浮かぶ。彼の周りにいる男、全員と寝れば、それが禊となって彼を忘れられると信じるようになる。
 咲岐には崇拝するクラシックの作曲家がいる。彼女はロシア人だった作曲家の命日に、凍ったウォッカを捧げる。

 

 

     

       一 命日

 

 いつものように、道に迷う。ビルの谷間。携帯の地図なんて、なんの役にも立たない。鬱陶しい、湿気った夏の始め。

 新しい靴が痛い。黒のブーツ。買わなければよかった、こんなの。立ち止まると、背中に誰かがぶつかる。私は転んで歩道に手をつく。男が、チィッと言う。私は振り返る。図体のでかい、サラリーマン風の男。目と口の大きい、気味の悪い昆虫系の顔。私はゴメンなさい、と下手に出て謝ってやる。男は黙って通り過ぎる。手についた埃を払う。女に優しくない奴はクズだ。

「女に優しくない奴はクズだ」。最近、頭の中で、毎日その言葉が何度も何度も繰り返される。なぜかは知らない。止められない。おかしなことに、私はフェミニストですらない。こんなことは今までなかった。怖くて、苦しくて、病気だという自覚はあって、昨日、精神科医に会った。抗精神病薬を処方された。強迫思考というのだそうだ。考えが止められない。……薬はまだ効いてこない。寝る前に飲む。ベッドに入ると、もう身体が動かせない。強い薬。

 啓二と寝るようになってから、着る物を全部新しくしなければならなかった。それまでは、私のは、単純に言えば、男うけのいいファッションだった。メタルロックなんて縁がなかった。啓二はバンドのボーカルだ。メジャーデビューはしてる。さほど売れているわけじゃない。人のことは言えない。私だって売れない女優。

 バレエをやっていたから、私の興味は自然とクラシックに向いた。それが今では、いかにもバンドの追っかけしてます、という頭の悪そうなカッコをしてる。黒ばかりだ。黒い服なんてほとんど持ってなかった。高い服はないけど、金を使って、その途端、別れることに決めた。

 啓二に会うまで、「獣欲」という言葉を知らなかった。身体つきから獣のようだ。ミュージシャンの割には体格がいい。私好みの厚い胸をしている、腰も尻もガッチリして、私はそれがそそると思った。奴は一人では満足できず、女を次々に征服する。私は一度それを受け入れた。女がたくさんいても仕方がないと思った。

 理由もなく暴力を振るう。セックスの時、わざと痛くしたり、頭を殴ったり。私が女優だと知って、顔には手を出さなくなった。よく知ってる。奴も私の様にナルシシストだ。

 別れたいと思った時、簡単ではないことに気がついた。まだ身体が繋がってる。しかし、もう方法は思い付いた。というより、私の身体がそうすることを欲していた。

 いつか上手くいくんじゃないかと、幸福になれるんじゃないかと、思ってた時もあった。ベッドで凌辱されるたびに、奴に新しい女ができるたびに、絶望した。どの女と寝てるかも、大体分かってきた。破滅させられた。頭の中が。……「女に優しくない奴はクズだ」。まだ一日中考えてる。

 啓二は私に向かって、今年何人の女と寝たかを話す。今まで何人の女と寝たかを自慢する。お前だけが特別な女じゃないからな、誤解すんな、と人を傷つけるようなことを言う。彼にはトラウマがあって、幼い頃に父親が家族を捨てて行方不明になった。人を信用してないところがある。私は幸福な家庭に育ったから、基本的に人を信じているところがある。この人を変えられる、と思っていたこともあった。もうたくさんだ。

 携帯が鳴る。啓二だ。今夜の女が見つからないんだな。無視する。別れるんだから、ブロックしてもいいんだけど、それができない。まだ離れられない。でも、どうしたらいいか、やっとそれが分かったから。

 自分を徹底的に破壊する。「禊」という言葉の中にそれを発見した。

 啓二の周りにいる男、全員と寝る。これで私の身体を清める。あいつと別れられる。狂った頭から出た、アイディア。好きでもない男。嫌いな奴の方が多い。啓二のバンドのメンバーとか、スタッフとか。

 寝るとあからさまに態度の変わる男がいる。私を軽蔑する。私は気にしない。そいつを利用したのは私。禊として。ギターとドラムが友達で、どちらとも寝たことを知っている。二人は露骨に私を上から目線で見る。誰とでも寝る女。気にしない。アレが必要だっただけ。

 スタッフを飲みに誘う。なんで俺なんだ、と聞く奴もいる。私は酔って、迷いはない。男の家に行く。着痩せする方だから、すっかり脱ぐまで、私の身体がどれだけエロティックか相手は知らない。ライブの打ち上げのあと、男を誘う。他の奴等が口笛を吹く。大嫌いなプロデューサー。男のことが嫌いなほど、私の身体は清められる。男達を誘うのは簡単だった。……最後の一人になるまで。

 

 ……道に迷ってから大分経つ。奇跡的に見覚えのある場所に出た。でもそこは、さっき通った場所じゃなくて、ずっと前に来た場所だった。高層ビルに囲まれた広場。低く浮かぶ真っ白な雲がビル群全体に映って、異世界にいる気分になる。こんなこともあるんだな……。

 辺りを見回す。分かった。このビルを知ってるんだ。目の前にある、黒い鉄骨を組んだデザインの特徴あるビル。足が痛くて私は階段に座って靴を脱ごうとする。その時、ビルから人々がたくさん流れ出る。携帯を見る。五時過ぎ。靴を脱ぐのは諦めて、私は人の流れに逆らって、ビルに入って行く。

 エレベーターに乗る。記憶にある番号を押す。四十二階。高速で引き上げられる感覚が好きだ。

 そうしたら、こないだ会った女のことを思い出した。私を追って、私の乗ったエレベーターに駆け乗って、中は私達二人だけで、その女が、なんだっけ? 啓二と貴女が付き合うのは仕方ないけど、私が彼といる時間もください。とかなんとか。馬鹿じゃないの? 意味が分からない。結局、私に彼と別れて欲しいんでしょう? ハッキリ言えばいいのに、腹が立つ。

 いつか啓二のことをインタビューしてた、なんかの雑誌記者。奴が新しく手を出した女。ダメだ。あの女のことは思い出しちゃダメだ。インテリ臭い、眼鏡を掛けた、醜い女。啓二と付き合う強さなんかない。奴に利用されて終わりだ。なぜ私はあの女のことを考え続けてる? これも病気の一つ? 考えが止まらない。

 

 ……あの女に会ったあと、全部忘れたくて、電車の中で音楽を聴こうとした。弦楽四重奏曲第八番。一九六0年。ショスタコーヴィチ。ロシアの作曲家。電車は混んでいた。バッグに入ってるはずのイヤフォンを捜す。どうしても見付からない。気が焦る。早く忘れてしまいたい。バッグの中をかき回す。

 一番下にあった。こんな時、手元に酒がない時は、この曲で頭を正常に保つ。いいイヤフォンを買ってよかった。目黒の駅を過ぎる。電車が揺れる。変なオバサンが私の髪を邪魔そうにどける。曲に集中する。ビオラが唸っている。

 駅を出る。暗い道。一九六0年のロシアでは、どんな人達がどんな活動をしていたのだろう? 二つのヴァイオリンが、それぞれ別のメロディーを奏でる。

 家の近くのコンビニ。ドア混乱した自分の姿が映る。私の好きなビールがあった。それと、ウォッカの小瓶を買う。チェロの低音がセクシーに心臓に響く。飲み始めたら、この曲は要らなくなる。

 どれだけ頭を純粋にしたら、こんな曲が創れるのだろう?

 家に帰る。ウォッカをフリーザーに入れる。私はショスタコーヴィチの祭壇を作った。難しい顔をした彼の写真。

 ……二つのショットグラスに凍ったウォッカを注いで、彼の前に一つ置く。乾杯する。

 酒がちゃんと効いてこない。いつもならすぐ脳がアルコールに浮いてるような、いい気持がする。

 彼の命日には黒い服を着て、花を供えた。去年。暑い夏の日。私は何軒も花屋をハシゴして、あのダリアを見付けた。炎のような、ロシアの、赤の……。

2021年6月2日公開

© 2021 千本松由季

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