花弁は赤

麦倉尚

小説

2,293文字

誰が読んでも嫌な気持ちにならない小説だと思います。読んでみください。

花弁は赤

 

 寒くなると私の住む辺りには雪が降り積もる。そうすれば人々の生活が不便になる。自転車をこぐときは滑らないように注意しなければならないし、歩くだけでも一苦労だ。

 朝積もった雪が昼間、陽の光に照らされて溶け出し、夕方に気温が下がり地表を凍らせ人々の歩みを遅くしている、とわたしは父親に聞かされたことがあった。目の前を歩いている男女二人が足元を眺めてゆっくり進んでいるので、わたしはそれを追い越そうと回り込み、二人の前に出て進む。自宅まですぐだとわたしは歩みを早めると、靴が氷に滑りわたしの身体は一瞬宙を舞い、そのまま背中側から地面に倒れた。リュックサックが氷とわたしの隙間に入り、痛みは和らいだが後ろを歩く二人の視線を感じ、わたしは顔を赤くして、地面に手をつき起き上がろうとすると、「大丈夫ですか」とかかる声がある。二人連れのうちの女の子はわたしを笑っておらず心配していた。その隣に立っている男の子も笑っておらず真顔だ。わたしはふたりの気遣いからさっき感じ取っていたのと別の恥ずかしさで顔が赤くなり、その伸ばされた手を握り返さずに「大丈夫です」と立ち上がり、細心の注意を足元に向けて家路を進んだ。

 恥ずかしいとは自分の中から生まれる。さっきみたいに転んでも、好奇の視線を向けずに心配する人もいる中、わたしは二人の視線に勝手に悪意があると決めつけていた。電柱の広告が目に入りそれに近寄ると、先の道を上がったところにあるA美術館に特別展示があるらしく、興味を惹かれたので帰路を外れ、美術館へ向かい進み始めた。

 道は雪で真っ白。積もった雪がわたしの腰よりも高く盛り上がっている。空は青く雲がほとんどない。白い山の向こうまで続いている。わたしは景色に集中しながら歩き進んでいる。

 脚が疲れてきた。この道を進んでいると思い出すのは、子供の頃の不思議な記憶だ。

 小学生低学年の頃、わたしは両親と連れ立ってA美術館に向かった。目的地へ辿り着き、エントランスから入ると受付カウンターがある。なぜかそこには子供がいて私たち家族の対応をした。職場体験だったのだろうか、働いしている人の子供がお手伝いをしていたのだろうか。白い顔に肉がたっぷりついている女の子だった。カウンター脇の階段を登ると大きいドアがあり、それを開くと正面に水晶がある。上下に長く透き通った水色をしている。両親が顔を見合わせながらそれを嬉しそうに眺めるので、わたしはその水晶を何か特別なものだと思い見ていると、幻想的なこの美術館に合っているなと切なくなったのを覚えている。自分の顔が水晶に反射していた。

「こんなの、ただのかざりよ」

 母親がそう言った。このセリフはよく覚えている。

 進んで音楽堂に出た。併設されている売店があり、わたしはそこでペンダントを見ていたが、両親はわたしのいる売り場から、遠くにあるピアノの前で交互に鍵盤に触れて戯れている。

 わたしはふたりに入り込めず売店辺りをうろうろし、ふたりがピアノに飽きるのを待っていた。

「ねえ、いつまでお土産みてるの」

 母親はわたしを見下ろしている。

「あなたが選んでたからずっと暇つぶししてたのよ」

 その後、わたしは二人に連れ立って建物を出た。寒い空気が斜面の道を占めている。前を歩く両親はどんどん進みわたしから離れていく。そしてついに見えなくなった。

 どうしようかとあたふたしていたが、車が行き来する様子を見て、いくらでも人はいるんだなぁと私は妙な安心を覚えてしまった。

 両親に追いつかなくてもいい、そう考えると気持ちが軽くなり、脇の小道に逸れ、一人歩き回り新しい雪の上に足跡をつけた。しばらくそうして遊んでいると雪が降り始めた。靴の跡が見えなくなると帰れないかもしれない、わたしは自分がつけた跡を辿った。すると見えたのは建物だ。さっき両親と入ったA美術館より一回り小さい、灰色をした建物。わたしはそれに近寄った。入ると中は植物園らしく気温が高い。わたしは上着を脱いで中を見回った。花弁の中央から飛び出るように、めしべが生えている大きい花々が展覧されている。わたしは赤色の花の前に立った。植物に詳しくなかったが、暑い地域に生えるものだろう、とそれを観察していると、「ねえ」と声がかかる。

「その花しってるの?」

 子供だった。あのA美術館の受付カウンターに居た子供に似ているが、同じ子かはわからない。

「知らない」

「わたしも知らない」

 その子は花びらに手を触れて、花びらを一つちぎって口に入れた。

「美味しくないよ」

 わたしは何も言えなかった。またその子が花びらをちぎって食べた。

「君も食べなよ」

 その子は花弁をちぎりわたしに差し出している。わたしは怖くなって建物から走り出た。どこを進んだのか覚えていないが街に出て、家に帰れた。そこには両親がいて、「警察に電話するか迷ってたのよ」とわたしを責めた後、抱きしめた。あの子は今どこにいるのだろう。

 

 A美術館は昔の記憶通りに存在感がある。大きい扉を開けて中に入り、受付で入場料を払った。受付の人は若い女性だった。花弁を食べそうにない、きれいな人だった。この人と抱き合うと暖かいのだろうなと想像した。カウンター脇の階段を上り、水晶を通り過ぎて特別展示を見た。土器をはじめとして、近隣地域出身の芸術家が作成した美術品の展示だった。退屈だった。

 眠気を感じたわたしは休憩エリアで缶コーヒーを買って飲んだ。苦い。缶半分で十分に思えてしまい、残りをお手洗いの洗面台に流した。中身を出してわたしは鏡で自分の顔を見ると、肉が顔に付いていて、頬が赤いな、と思った。

 

2021年3月25日公開

© 2021 麦倉尚

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