新橋ナイトレース

合評会2021年03月応募作品

波野發作

小説

4,784文字

サラリーマンの聖地として知られる新橋。しかしそこには知られざるもうひとつの顔があった。合評会3月場所「モータースポーツ」参加作品。

サラリーマンの聖地たるJR新橋駅からSL公園を抜けて少し南に歩くと、模型者の殿堂TAMIYA本店がある。1階はスケールモデルの新作旧作がずらりと並び、地下はラジコン本体機材オプションパーツが所狭しと並び、そして品揃えでは全国随一のミニ四駆のコーナーがある。それは運営メーカーの本店なのだから当然のことだし、ここの2階には常設のミニ四駆サーキットがあり、月イチでナイトレースが開催され、少年のハートを忘れない成人男性(たまに女性)が熱いバトルを繰り広げているのである。

俺の名前は三西さんにし九郎くろう。アラサーのミニヨンドライバーだ。普段は飲料関係の商社で営業マンをしている。月に一度だけ、この街に来てミニヨンドライバーになるのが俺のルーティーンだ。俺は買い物かごに新品のライトダッシュモーターとカーボン強化ギヤ(公式ショップ限定SPモデル)とサイドマスダンパー(レッドメタリックモデル)を放り込み、レジに突き出した。

店員は、お前、これから上で走るんだろ? みたいな顔をしている。まあそうだろう。そう思うだろう。俺の前の客もそうだったし、次の客もそうだ。だが俺は違う。ここ・・では走らない。

そして、俺の次の次の客もたぶん違う。俺は代金をペイペイでペイペイしてレジ袋(自然分解するタイプ)を受け取ると、店を出た。2階には用はない。店を出てそのまままっすぐ道路をわたり、薄汚い雑居ビルの扉を開いた。瞬きを繰り返す古びた蛍光灯に照らされる廊下を奥まで進むと、見覚えのないメーカーのエレベーターがある。下向きのボタンを押す。だいぶ待たされて上階からようやくカゴが降りて扉が開いた。地下階のボタンを押し、閉じるボタンを押したところでバタバタと足音がして中年男が飛び込んできた。

「すいません」

「いえ」

TAMIYAで俺の次の次に並んでいた男だ。手には俺のものと同じレジ袋がある。そして小脇にはジュラルミンのアタッシュケースを抱えているのが見えた。やはり。やはりこの男はここに来た。TAMIYAの2階の住人などではなかったのだ。男がちらりと俺のツールケースを見たのがわかった。勘付いた、というより、このエレベーターに乗り合わせる時点で大方の予想はついているだろう。いや、もしかしたらTAMIYAの列ですでに読まれていたということも考えられる。俺からも彼のような匂いが漂っているのかもしれない。生肉を好む、野獣の匂いが。

 

エレベーターはB1を越えて、表示のないフロアへ降りていく。どこかの監視カメラで俺たちを見た管理者がコントロールして、俺たちを地下闘技場へ運んでいくのだ。じわじわとカゴの中の気圧が上がっていくのがわかる。神経が研ぎ澄まされていく。野生の血が湧き出す。手には汗をかいている。これは緊張だろうか。いや、これは紅潮だ。アドレナリンの解放で全身のホルモンがフル活動しているのに違いない。同乗の男の体温も伝わってくる。俺たちに言葉はいらない。波動が共鳴し、振幅は増幅していく。ゴウゴウッゴウとエレベーターの中は想念が渦を巻いていた。それは空気そのものを動かし、こころなしか風が吹いているようにすら感じた。

ふいに。不意に、ふいっと扉が開いた。正面には薄暗い通路が、俺たちを飲み込もうと大きく口を開けて待ち構えていた。俺はエレベーターの開ボタンを押し、同乗の男を先にでるようにジェスチャーで促した。男は軽く会釈をすると、すっと俺の前を歩みだした。カツコツと小気味の良い音を立てる。硬い底の高い靴を履いているようだ。俺の安物のウォーキングビジネスシューズはジュムジュムと地味な音を立てるが、この靴は天下のダンロップ製だ。名より実を取る俺の性癖にはこのシューズのほうが合う。レーサーならかくあるべきだ。俺はワンポイントの精神的なリードを確信した。

通路の奥にはジュラルミンの扉があった。前の男がノブをひねって開けると、人の気配がした。ここは控室の受付だ。黒服の男が2名待ち構えていた。お名前を。そう問われて前の男は、

「前田です」

と答えた。前田だと? 前を行く男、前田。あの前田か。くそ。俺はすでに前田の後塵を拝していたというのか。恐るべし前田。只者ではないと思っていたが、そんな大物レーサーだったとは。そんな男に先を歩かせるだなんて、うかつだった。まったく迂闊太郎だ。左の黒服が、右の黒服と同じように俺に名前を聞いた。

「うかつたろうだ」

「は?」

間違えた。

「あ、いや三西九郎だ」

前田がぎょっとした顔で振り返った。あの三西が? とでも思ったか? そうだ。俺がその三西だ。名前ぐらいは知っていてくれたようで光栄だ。
「お荷物を拝見します」

「ああ」

黒服は俺のツールケースを取り上げると長机の上に置いて、中身を改めた。隣では前田のケースも同じ様に中身を暴かれていた。俺の位置からはよく見えない。今日はどんなマシンを携えてきたというのか。まあいい。数分後にはわかることだ。前田の愛車といえば、そこいらの小学生でも知っている「ゴッドファーザーMK4」だ。黒いセイバーを独自にチューンした最新シャーシに更新したモデル。先シーズンは惜しくもあのチャンプに僅差で破れて総合2位に甘んじたが、あのチャンプさえいなければこいつの天下だったのだから、相当な実力者だと言えよう。

「問題ありません、お進みください」

「ありがとう」

俺は黒服2に促されて奥の部屋へ向かった。俺に続いて前田も同じ部屋に入ってきた。

部屋にはすでに2名の裏ミニヨンドライバーがいた。ソファに深々と腰掛けてふんぞり返っているのがマグナム。本名は非公開だ。そして、その横の1人用ソファに深々と腰掛けてふんぞり返っている方が、ソニック。マグナムの兄で、本名は非公開だ。以前は兄だけ公開されていたが、弟が怒って取り下げさせたと聞く。そしえ2人ともカテゴリ2での年間優勝経験者だ。そしてこのカテゴリ1でもかなりの上位にいる。2人とも結構なメタボ体型で、じつに暑苦しい。たぶんアラフォーぐらいだが、50歳近くにも見える。肌年齢はだいぶ高い。あと割と早口。

これであと1人揃ったら、いよいよ出走ということだが、5人目は誰だろう。俺たちは運営からレースの日時を指定されるだけで、実際にこうして集まるまでは、誰と戦うのか全く知らされない。そういうシステムなのだ。老害とメタボ2人。そしてヒョロメガネの俺となるとビジュアル的にだいぶよくない。観客ウケしない。おそらくJKティックトッカードライバーのユキックスKKか、コスプレチューバードライバーのメイルレインらの若手ガールズレーサーが花を添えに呼ばれているだろう。そうなると俺にもチャンスはある。コースは5本。出走位置はここに来た順と逆になっているわけだから、そのあまり速くない遅れてくる女子は1コース確定だ。そして前田よりあとに入った俺は2コース確定。3コースに前田。4コースと5コースはマグナムかソニックのどちらかわからないがそこはどうでもいい。レースはコースを5周するが、1週ごとに1つ大きな数字のコースへと順番にズレていく。5周したらレース終了。チェッカーが振られるわけだ。つまり、遅い1コースのレーサーにどんどん追いついていき、詰まっていった挙げ句ぶつかってコースアウトするか、詰まって減速するか、俺より先に走る3台は不利な状況に追い込まれることがこの時点で確定していると言っても過言ではないのだ。もっともこのような状況を作り上げられたのは、この俺の戦略眼あってのことではあるが、とにかく今日のレースはもらった。賞金とポイントはいただきだ。

「やあみんな」

ドアを開けて入ってきた声に、俺達のたるんだ空気は一気に凍りついた。くそ、大誤算だ。終わったわ。

「お疲れさまです」

前田がうやうやしく、急に現れた目の上のたんこぶに頭を下げる。俺も内心の動揺を隠して軽く頭を下げる。メタボ兄弟はこころなしかふんぞり角を浅めに修正して、チワっすチワっすなどとおべんちゃらを立てている。ベンチャー企業かお前ら。なんてな。チャンプ日野丸夫は馴れ馴れしく俺に近寄ってきた。息が臭いが我慢ガマン。

「三西ちゃん久しぶりじゃん。マシン治った?」

なおる、の漢字がそっちってことは実はマシンのことじゃなくて、俺のケガの話だろう。

「おかげさまでもう痛みはないです」

「あ、そうなんだ。よかったねえ」

白々しい。あんたのマシンに弾き飛ばされた俺のマシンが俺の顔面に突き刺さってひどいことになったんだろうが。レース中の事故は責任を問われないので、俺は責任を問えないが、それとなく復讐しても神が許すだろう。

そうだ。この口臭中年はチャンピオンである。この闇のミニ四駆レースで最多勝、賞金王、最高完走率の三冠を欲しいままにしている歴代最高最強のチャンピオンだ。彼の愛車アルティメットミラクルエンペラー号は、一度ドライバーが手を放したらコース床面に張り付き、まるでゴールまでまっすぐ落ちていくように走り切る、という名車である。あんな古いシャーシに旧式のモーター、二流のアルカリ電池でどうしてそんなことができるのか。まったくもって謎であるが、実際に強い。表で行われているすべてのミニ四駆レースで殿堂入りして、どの競技会からもご遠慮願われる存在。もうこの闇レースにしか彼の居場所はないのだ。くそ。顔の傷が疼く。俺だってここにしか居場所はない。それはこの老害もメタボ兄弟も同じだ。あまりに速すぎる、強すぎるガチプロドライバーの俺たちを受け入れられるのは、実力がすべての闇レースだけなのだ。

「お時間です」

別の黒服が奥の扉を開いて、俺たちを地下コースへ連れ出した。手渡されたゼッケンを胸につける。マシンには丸いゼッケンシールを貼る。俺の愛車はMSシャーシのサバンナネオクロームメッキ仕様をロープロファイルカットし、カーボンシートで補強したものだ。トルクチューンモーター2を100個して、最も良いものを5つピックアップしたうちの最高の超抜モーターを載せた。ギヤセッティングはハイスピード。バッテリーはネオチャンプを加熱しておいたコンディションがベストなものを今投入。マスダン、ブレーキともに高精度に仕上げた完璧なマシーンだ。

俺たちはゼッケンの順にコースの前に並んだ。上の方に客席があるのがわかる。今日も大勢のセレブたちが大金を張って俺たちの戦いを見物しているのだ。さあ俺に張るがいい。今日こそチャンプに引導を渡すぜ。そのAMエンペラーにな!

「は?」

「ん?」

「ぞうさん……?」

「そうそう、さっきそこで買ったんだけどかわいいでしょ」

「は? え、いや、なんで?」

「ほしかったんだよね」

チャンプの手にはいつもの最強マシンではなく、向かいのTAMIYAで今買ったという強くてかしこいぞうさんがやる気まんまんでレースに参戦しようとしていた。ホワイト&ゴールドのVMシャーシがプレミアム感を醸し出しているが、ノーチューンのノーマルモーター(無印)でしかもマンガン電池でどうするつもりなんだ。まあ、いい勝つ気がないなら、勝たせてもらう。前の3人も吹っ飛ばす。俺は気合マックスでクルマの電源を入れた。一瞬のギュリを掌で押さえて黙らせる。どうどうどう。今すぐ解き放つから少しだけ待つんだ獅子王。さあ来い。

『レディ!』

緊張が会場に満ちる。

『ゴー!』

5人のレーサーは一斉にマシンをリリースした。ギュルルと激しいモーター音が鳴り響き、115mmのコースの中を、5台の駿馬が走り抜けていく。最初のカーブに差し掛かったところで、俺と老害とメタボ兄弟のマシンは宙を舞ってそのまま闇に消えた。ぞうさんだけがゆっくりと5周して、チャンプにさらなるポイントと賞金を与えた。あの野郎コース知ってやがったなくそったれ。

END

 

2021年3月12日公開

© 2021 波野發作

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

この作品のタグ

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


3.3 (9件の評価)

破滅チャートとは

"新橋ナイトレース"へのコメント 9

  • 投稿者 | 2021-03-25 21:51

    なんと、そんな手もあったかというまさかのミニ四駆ネタ! 懐かしすぎます。私の最盛期は小学校時代、レースなどには出たことがありませんが、家の中や外の広い場所で走らせてました。愛車は確かハリケーンソニック。シャーシは穴だらけ、タイヤはスポンジにしてひたすら軽量化した挙句、後部にポールとちょっと重りをつけてバランスをとったりしてました。
    中年の男たちの熱き戦いと思いきや、高めた緊張をサラッと崩す展開に妙味を感じます。

  • 投稿者 | 2021-03-27 20:15

    四駆のことを知っていたらもっと面白く読めたのでしょう。でも知らなくても十分楽しく読みました。
    サイドマスダンパーとかゴッドファーザーMK4とかぞうさんって本当にあるんですね。前提知識がないのでぞうさんが出てきてもその意外性は分かりませんでしたが、他の車の自滅を誘うあざとい作戦だったことはよく分かりました。
    いつもながら「ペイペイでペイペイして」とか「うかつたろうだ」とかの細部で笑わされます。

  • 投稿者 | 2021-03-28 13:26

    合評会は提出順に読ませていただいてて、二作目がこれでよかったなと思いました。一作目のわくさんのが堪えるタイプの奴だったんで。はい。波野さんの話の軽妙さに救われた感じでした。ミニ四駆懐かしい(今もあるんだろうけど)。アルカリ電池だマンガン電池って言うのがツボでした。んで、自分の幼少時代なんかも思い出しました。当時はまだダイソーとかもなかったから、電池の確保に難儀したんですよねえ。懐かしい。ほんと。

  • 投稿者 | 2021-03-28 23:03

    『新橋ナイトレース』というタイトルから波野さんお得意の風俗ネタか? と身構えましたがミニ四駆のナイトレースでしたね。地下で行われている闇のミニ四駆レースのアイデアが秀逸で私も参加してみたくなりました。ミニ四駆は飛び出さないギリギリで調整するのが面白いらしいので首領様に事前にコースを教えもらおう。

  • 投稿者 | 2021-03-29 01:05

    そうだ。この口臭中年はチャンピオンである。この闇のミニ四駆レースで最多勝、賞金王、最高完走率の三冠を欲しいままにしている歴代最高最強のチャンピオンだ。彼の愛車アルティメットミラクルエンペラー号は、一度ドライバーが手を放したらコース床面に張り付き、まるでゴールまでまっすぐ落ちていくように走り切る、という名車である。あんな古いシャーシに旧式のモーター、二流のアルカリ電池でどうしてそんなことができるのか。まったくもって謎であるが、実際に強い。

    いいですねえ。口臭中年、たぶん、職場では、半ば疎まれてる冴えない人扱いだったりするのかもしれませんね。人は多面体であればあるほど輝きます。マイナンバーで一括りに紐づけ出来る人生は味気ないものです。レッツ&ゴー世代でもあるので、ミニ四駆の世界は懐かしく感じました。ミニ四駆とかハイパーヨーヨーとかビーダマンとかに出て来るアツいおっさん。あの人たちの日常を掘り下げたら、なかなかまた渋みのあるお話が出来そうだなあなんて

  • 投稿者 | 2021-03-29 12:02

    モータースポーツにまとわりつく男性的なイメージを逆手に取り、諧謔たっぷりに男らしさをこき下ろしている。くたびれたおじさんたちの地下ミニヨンレースでは大金が動くようだから、おそらく八百長(あるいは情報のリーク)があったのだろう。言葉遊びに年齢を感じる。

  • 編集者 | 2021-03-29 14:19

    TAMIYA、いいですね。今ミニ四駆はどうなっているのでしょうか。哀愁漂う物語も微笑ましく書けるのは流石だと思います。

  • 編集者 | 2021-03-29 18:56

    破滅派の読者として波野氏+「新橋ナイトレース」にミスリードしつつ、そっちか!と楽しく読めた。ミニ四駆の世代には間に合わなかったが、見たことはある。これもモータースポーツだ。

  • 投稿者 | 2021-03-30 15:11

    ミニ四駆ガチかと思いきやミニ四駆知らなくても楽しめました。
    ペイペイでペイペイとか不意にふいっととか適度な遊びもあって軽妙なリズムで読めますね。ラストがあっけなさすぎてズッこけましたが実際のレースもこんなもんでしょう。チャンプの醸し出す一般おじさん雰囲気もよかとです。
    あと中身を改める、は検めるですね。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る