ユートピア

帯に短し(第3話)

松本惜露

小説

2,731文字

みんなしあわせな理想郷の話です。みんなしあわせです

今日もまた一人、住人が増える。後ろでカタカタと震え、猫背気味についてくる男は、覚束無い足取りだった。足音は不規則で、強くなったり弱くなったりしている。時折、呪詛を唱えるように、恨み言を呟いている。不気味な様子だった。案内した扉の向こうへ行ったとき、耐えきれぬと云うように声を荒らげた。「何故俺だけが悪い?あの男にも原因があったろう」何故此処に入れられるのか分からぬようでは、遅かれ早かれ此処の住人になっていたろう。憐れみを込めた眼差しに、男はとうとう口を閉ざした。それでいい。
所々錆びて鉄臭い扉の向こうで、ある者は膝に肘をついてただただ沈黙し、ある者は室内の便器に縋り付き、ある者は埃まみれの隅で丸く縮こまっている。オ、古参の一人が埃を摘んで口に入れている。その向かいの奴は壁に一定の音価リズムで頭突きをしている。壁が傷つき、汚れても困るので、扉の隙から警棒を差し入れ、電気を通し、失神させた。弛緩した奴の股座からアンモニア臭が漂う。結果として施設を汚してしまったことに舌打ちをした。室内の掃除をするかは住人の勝手なので、次からマスクを持参することを胸に留めた。こんな処にいるようなものに、部屋を掃除する知性はない。
看守は第一級監視収容所を担当していた。耳元で髪を整え、下方を刈り上げた看守は、ハン、と鼻を鳴らした。さっさと異動したいと思った。腐った人間と共に在ると、自分も腐ってしまいそうな気になる。自分の矜持が一瞬ひとときでも揺らぐのが許せなくて、カツカツとヒールを鳴らしながら、自ら頬を打った。
この看守が担当している区域には、第一級の罪を犯した人間が収容されていた。つまり、性犯罪である。男性体であれ女性体であれ、相手の人間がもつ尊厳を著しく損なうこの罪は、殺人より重い罪とされていた。これと殺人罪に関しては、遡及処罰が認められている。性犯罪が第一級、殺人罪が第二級の罪と定められた後、都市部の収容所はすぐに満員となった。それから各地に点在するように設立された施設には、併設されている施設がある。去勢施設である。地方にある施設は専ら、終身刑の者が多かった。都市にいるのは、そう、死刑が決まったもの達である。死刑は斬首のち見せしめとして数日晒され、その身体には、誰が何をしようと黙認されている。被害者がもう見たくもないと云えば、斬首のち喰刑──都市部の施設に併設されている、飼育園で育てられた猛獣、怪魚によるもの──となる。処刑は、一種のエンターテインメントであった。
看守は日中の業務を終えた。住人たちの恨み言が耳の奥で反響しているような気がする。鬱陶しかった。
看守の部屋は室内こそ殺風景であれど、壁一面の窓によって暖かな光に包まれる。窓の外には高層の建物などなく、緑で溢れ、鳥たちの飛び交う、素敵な祖国が見える。そう、己は、この国を守るために生きている。なんと有意義な人生なのだろう。そうであると同時に、此処の住人たちは、何故こんなにも愚かなのかと──。
「お疲れ様です、先輩」
「お疲れ様です」
反射で口を突いて出た。後輩がジッと自分を見ている。ジッと見詰め返した。男性体の後輩は、腰まで届く艶やかな髪を簪で纏めていた。髪を解きながら七インチの端末を差し出してきた。「有難う御座います」受け取った。新しい住人の情報だった。業務が始まってから確認しようと、デスクに戻った。
「今日は早く上がります」
髪を梳いて云われた。いいですよ、と返した。
「今日、親友が死ぬんです」
「あら」
「人生が詰まらないので、死んでみるそうです。今日は送別会が」
「良いわね」
十四年二ヶ月十四日前、全国民に、人生をリセットする権利が付与された。死にたい奴は死ねばいい。わざわざ生きながら苦しむだなんて不幸は──それを望んでいない限り──誰にも許されない。生まれたのは個人の自由ではなく、他人の勝手である。誰かに生を押し付け、強要することは、第三級の罪だった。新たな命を勝手に生み出すことは、非倫理的だった。生は尊ばれるものであるが、果たしてその生は本人の望むものであるのか。一定年齢に達した人間はそれを考える権利が有った。
「次は鳥がいいなんて云ってますがね、こればかりは運ですからね」
そうですね、頷いた。
「私も今日は早く上がります」
「珍しいですね」
「ええ」
看守には悩みがあった。それは年老いた両親をどこに捨てるかであった。これは殺人とは区別された。監視収容所と共にできたものがある。終末収容所──通称「姥捨山」──であった。五十年近く前までは、子が親を介護する、所謂、悪しき風習が残っていた。子は親の勝手で生まれる。生を受けてよりの被害者であるので、子が望めば、親を姥捨山に捨てることができる。収容所によって処分方法が違うので、看守はそれを悩んでいたのだった。
「先輩の親、第四級でしたっけ」
「いいえ、第四級はクリアしていますよ」
看守は人生が素晴らしいと感じていたので、看守の年老いた両親は罪人ではなかった。そして、第四級もクリアした一般人であるので、やはり安楽死を専門とする施設がいいかしら、と頬に手を当てた。
第一、第二級の罪が人を殺すものであれば、第三、第四級の罪は、人を苦痛に溺れさせたか否かに重きが置かれていた。どちらも、生きていく中で感じる苦痛である。例えば、無能で、学のない親から生まれれば、正しい教育は受けられない。例えば、十分な稼ぎが無ければ、子を養ってはいけない。国は、一定の所得のある人間に、望む場合に限り、測定テストを行った。全てに秀でていなくて構わない。子を育てるのに十分なスキルを有しているかが分かれば良いのだった。
そう云えば、と看守は思い出した。第四級をクリアしていない愚図が、国に隠れて子を産み落とした旨が報じられていた。見つかった子は設備の整った施設で健全に養育され、自ら生死を選ぶまで生きる。両親は処刑されたと聞いた。一瞬いっときの快楽によりできた、不慮の子であるなどと宣ったからであった。何も考えられずに産み落とされ、何も考えられずに育てられた子が、どう成長してしまうのか、考えるだに恐ろしかった。そんな人間の元に生まれなくて幸福だと思うし、そんな人間のように成長しなくて幸福だと思った。そして、そんな愚か者を監視し、処分できる自分は、なんて素晴らしい人間なのだろう。
大した援助もできぬくせに、戦争を始めるわけでもないのに、産めよ増やせよと唱えた愚か者は、とうの昔に処刑されたと云う。今やこの惑星に住むのは、当時の三分の一程度の人口であろうが、しかし皆幸せだった。何故なら人を不幸にする愚か者は、我々が監視し、時に処分しているので!なんて誇らしい。自分はこの人生を大切に愛そうと思った。

2021年2月8日公開 (初出 自作コピー本『ユートピア/さよならのキス』)

作品集『帯に短し』最新話 (全3話)

© 2021 松本惜露

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