裏路地ラビリンス

此岸からの祈り(第5話)

谷田七重

小説

3,379文字

合評会2021年1月・テーマ「初〇〇」「〇〇初め」「〇〇始め」ということで、私は「初〇〇」で書きました。きゅんっ♡としてもらえたらうれしいです。

彼女が歩き疲れているのはあきらかだったから、それを汲んで素直に、「歩き疲れちゃったね」と言えばよかったのだ、「僕も、脚が棒になっちゃったな」、とかなんとか。それなのに。

「脚がナイススティックになっちゃったね」と言ってしまったのは間違いだった、彼女は一瞬、尋ねるような目を上げた、かと思うとその眼差しはすぐさま平べったくなり、僕の視線から逃れるようにすうっとすべっていって、横顔の鼻がつんと冷たく、僕を非難しているように見えた。僕はなんとか取り繕おうとして、またヘマを重ねてしまった。

「ほら、僕のナイススティックから白いクリームがはみ出しちゃってる」

横顔の彼女はもちろん一瞥もくれず、くすりともしなかった。北海道チーズ蒸しケーキとかのほうが好きなんだろうか? うん、あれはしっとりふわふわで、いかにも女の子が好きそうな菓子パンだ。でも棒状じゃない、脚を連想させるには無理がある。

空はずしりと曇っていた。僕らは潰れた商店わきの、古い自販機がずらっと並んだ道に立ち尽くしているのだった。自販機のあいだに窮屈そうに収まっている化石みたいなベンチがあるのを幸い、僕は彼女にとりあえず座るよううながしてから、自販機たちの前をうろうろして、とにかく彼女がほっと一息つけるような飲み物を探した。

コーンポタージュの缶を差し出すと、彼女は小さく、ありがと、と言って、そのあたたかい缶を両手でやわらかく包み、暖をとっているようだった。

――ここは旧玉ノ井の裏路地だった、つまり東向島である。そもそも初デートにこんな赤線地帯、私娼窟跡を選んだのは、他ならぬ彼女だった。

「ラビラントにね、私も迷い込んでみたいな」

永井荷風の『濹東綺譚』を読んだばかりだという彼女は、得意げにわざわざ〈ラビラント〉、と言ったものだ。

「なんてことない裏路地をさまよってみるの、楽しそうじゃない?」

濁りも屈託もない幼げな表情でそんなことを言う彼女がおかしくていとおしくて、僕は快諾したのだった。

東向島の駅で降りて歩いていると、彼女は野良猫を見つけるごとにはしゃいで駆け寄ったりしたものの、ふてぶてしく動じない猫には、かえって後ずさりした。

2021年1月6日公開

作品集『此岸からの祈り』最終話 (全5話)

此岸からの祈り

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© 2021 谷田七重

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"裏路地ラビリンス"へのコメント 9

  • ゲスト | 2021-01-20 20:17

    退会したユーザーのコメントは表示されません。
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  • 投稿者 | 2021-01-20 23:42

    文学作品にも出てきた風情のある裏路地も現代では地図アプリで表示できてしまう、しかしそれも文章にすると新たな風情を帯びる、と言うようなアンビバレントな作風を楽しみました。
    男の私からはどうしても目がいきがちな無意識の偽善的な彼女の姿態がうまく出ていると思います。

  • 投稿者 | 2021-01-21 06:22

    パンの話で始まった時、うひょーってなってうれしくなりました。で、最後またパンの話に戻ったのが最高でした。パンの話がなんとなく何か包装の際に入れる緩和剤の様になってるように思いました。

  • 投稿者 | 2021-01-22 23:02

    付き合い始めたばかりの二人の初々しさ。
    気持ちだけが空回りして焦る彼氏。近いのか遠いのか分からない彼女の心。街歩きに疲れた二人が寄り添うラストシーンがとても良いですね。
    ふわふわした感じの彼女と、近づけそうで近づけなくて、距離感の心もとなさがそのまま恋の始まりのもどかしさで。
    東向島の悲しい歴史背景が街歩きに深みを持たせています。

  • 投稿者 | 2021-01-23 21:42

    青春を美化しすぎることなく、中学時代の等身大のさまがもの凄く出ているなあと思いました。登下校中に軍手をはめるのがカッコイイという風潮が私の中学校にもあった事をしみじみと思い出しました。

  • 投稿者 | 2021-01-23 21:45

    ↑すみません。上のコメント投稿する作品を間違えてしまいました。

  • 投稿者 | 2021-01-23 21:45

    胸キュン純度の高い物語だなあと思いました。彼が失言したと感じていた「ナイススティック」を彼女が時間をおいて言うところは、彼にとってはとてもうれしいことだろうなあと思い、ますます彼女のことが好きになっただろうなあと思いました。

  • 投稿者 | 2021-01-24 12:40

    はいはい、ごちそうさま。かわいいね。変な気負いがなく、力を抜いて書いているようでいて、ちゃんと小説として読ませるのがすごい。渋い大人のデートスポット、私も歩いてみたくなった。

  • 投稿者 | 2021-01-24 18:05

    初デートでによによ感ありますね。
    渋い町並みの感じとか、良いですなあ。

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