カナコは、人づきあいができなかった。
話せばそれは長くなるのだが、これまでの人生で彼女をとりかこむ毎日のあれとかこれとか、といったものが、いつしか、彼女の目にうつる道ゆく人たちの目線をするどくするどく研いでいったのだった。
そうやって育った彼女だったが、大人になった今では、彼女は彼女自身を受け入れてもいた。
人と関わるのをやめれば、流れ出ることのない自分は内面にたまってゆく。
それは完結した世界をつくり、またそれに気づいた時、彼女は ああ、と声をもらした。
誰も知らなくていい。これはわたしのアイデンティティ。
彼女はいよいよをもって人と関わらなくなっていった。
ある夜、カウンターの隅っこに収まって、カナコは静かに酔っていた。
狭い店だった。彼がふらりと座ったのはひとつあけた隣の席だった。なんとはなしに目をやると、彼もこちらをちらと見ている。
彼の目は大きかった。
人の目というものを久しぶりに見た。不思議に時間が流れ、カナコは目をしばたいた。
不思議な時間というのは、ときに不思議な力をもつものである。
カナコは人に惹かれる気持ちなどとうに失くしたと思っていたが、かといって、酒の気まぐれだとはなぜか、思いたくなかった。そんな自分がおかしかった。
彼も、人との関わりを諦めてしまった人だった。
訥々ともれる彼の世界は、カナコのそれによく似ていた。好きなものや感性、ものの考え方などといったもので作られたそれらは、他人にはわかってもらえない何かを共有しているという意識、言葉にできぬ距離の近さを2人の間にもたらした。
相手は世界を分かち合える存在だ、という信頼感が、二人を少し饒舌にした。
カナコは彼にもっと知ってほしいと思った。彼女の感じるところを、彼と分かり合いたかった。
たいがいは、うまくいった。
ある日、いつものカウンターでぽつぽつとカナコが語っていたとき、彼が一度だけ、かすかに、眉をひそめた。
気づかないふりをしたかった。内面を分かち合う者同士、そのようなことはあってはならなかった。
数日後、ぼくたちにドンピシャな詩人を見つけたんだ、新人でね、と言って、彼が一冊の詩集を取り出した。
その詩人は、カナコも最近知って読んではみたものの、一応好みではあるが何かが違う、と思っていた人だった。
別に嫌いというわけではないのだ。でもドンピシャ、では決してなかった。 嫌なずれ方だった。
彼女の様子に気づいたからか気づいていないからか、彼はわずかに饒舌さをまして語り続けている。
カナコは湧き上る感情を喉の中に隠しながら、静かにそれを聞いているしかなかった。
「越えてひとつになることは」
島津 耕造 投稿者 | 2020-12-19 06:18
シリーズものでしょうか。いささか尻切れトンボの様な気がします。