ディンゴ・ブルー 6

ディンゴ・ブルー(第6話)

鈴木沢雉

小説

3,554文字

カリフォルニア州ロンポック連邦拘置所における北見誠司の接見メモ その6

連休明けの初日はカラッとした文句なしの快晴でした。でもご機嫌な空模様とは裏腹に、僕の気持ちは沈んでいました。図書館で借りた『こゝろ』はまだ半分も読めてなかったからです。

折角の雄ちゃんを出し抜くチャンスを僕は自分の怠惰で台無しにしてしまったのです。話が長いからとか、読みにくかったとか言い訳をするつもりはありません。きっと、雄ちゃんならこんな本一日か二日で難なく読破してしまうんだろうな。そう思うと僕と雄ちゃんの生まれもった能力の違いを痛感します。

雄ちゃんはアメリカから帰ってきました。

二軒隣に住んでいるというのに、帰国した雄ちゃんに会うのは学校が初めてでした。陽に焼けた雄ちゃんは、スターバックスのサンフランシスコ限定マグカップをお土産に買ってきてくれました。あれだけしつこく薦めていた巨大IT企業創業者の伝記本をもう読んだかと聞いてくることありませんでした。なので僕は記憶が新鮮なうちに感想を雄ちゃんに伝えることができませんでした。

逆に、僕も雄ちゃんにアメリカ旅行の感想を聞きませんでした。旅行話をするようなタイミングもなかったし、なんとなく雄ちゃんにも話す気がなさそうに見えたんです。

アメリカから帰ってきたあとの雄ちゃんは心ここにあらずといった感じで、ぼんやりして窓の外を眺めたり、話しかけても風船からゆっくりと空気が抜けていくときのような声で返事をしたりとか、なんだか向こうで魂を抜かれてきたみたいでした。

ひょっとしたらアメリカで何か嫌な目に遭ったのかもしれないし、カルチャーショックっていうんでしょうか、あまりの驚きで本当に放心状態になってるのかもしれない、と思いました。

僕にとって外国というのはあまりに遠すぎて、どうしても現実の存在として想像するのが難しかったんです。おそらく雄ちゃんも同じだったんじゃないでしょうか、いくら東大出身のお父さんがいて、お父さんにはアメリカに住んでいる友達がいるといっても、雄ちゃんにとっては初めてのアメリカ、初めて外国に行く体験だったんですから。

有り体に言えば、知識として知っているのと、実際に体験するのはまったく違います。当時の僕には知識も体験もありませんでしたが、今ならわかります。初めて行く外国ってのは「思ってたんと違う」という驚きと落胆の連続なんです。僕と雄ちゃんとの違いは、小学生当時に体験のチャンスがあったかなかったか、それだけでした。

 

実は、雄ちゃんの留守中になんとなくアメリカ旅行ってどのくらいお金がかかるのか調べてみたんです。一家四人がカリフォルニアに行って帰ってくるだけでたぶん僕のお父さんの月給二三か月分が吹っ飛ぶくらいでした。滞在中は雄ちゃんのお父さんの大学時代の友達という人の家に泊まったかもしれないですけど、もしホテルに泊まったんだったらさらに一か月か二か月分がかかります。加えて、向こうでの食事やら移動やらお土産やらチップなんかを考えるとちょっと想像もつかないような出費になりそうでした。

銃砲火薬店というのがどのくらい儲かるのかは知りません。

けれど少なくともケータイのセールスマンよりは高収入らしく、雄ちゃんは僕の持っていないものをなんでも持っていました。家はもちろん持家で、新しくて立派な二階建てで、温水シャワー付きのトイレが二つもありました。居間には柔らかいソファーが置かれ、五〇インチのテレビ、それに同時に三チャンネルを録画できるレコーダーもありました。家の周りは山がちなせいで民放が二チャンネルしか映らない地域なので、NHKと合わせて地上波は四チャンネル。雄ちゃんちのレコーダーがあれば生で視るぶんも含めて全チャンネルを制覇できるってわけです。もっとも雄ちゃんちには屋根に衛星放送のアンテナがついていて、映画だけを延々とやっているチャンネルとか、ニュースだけをやっているチャンネルとか、ドキュメンタリーとかスポーツとかアニメとか、そういう専門チャンネルが五十個くらい見られるから、全チャンネルを制覇しようとしたら一生かかっても足りないでしょう。

車は前にも言ったとおり、場所柄に似つかわしくないレクサスのセダンで、ほとんど軽トラかせいぜい旧式のRV、もしくはセカンドカーの軽乗用車くらいしか走っていない田舎では目立ちすぎるくらい目立ちました。白いボディはいつもぴかぴかに磨かれていて、店が休みの日には雄ちゃんのお父さんが颯爽と運転して家族で何処かへ出かけていました。

髭面にまんまる眼鏡のダンディな雄ちゃんのお父さんにくらべて、僕のお父さんはどうもパッとしなくて、そんなことを考えるのはよくないと思いつつも、もう十四日早く生まれて病院で雄ちゃんと取り違えられれば良かったのに、と愚にもつかない想像をすることもありました。

僕のうちで唯一雄ちゃんちよりも進んだものがあったとすればそれはケータイでした。お父さんがケータイのセールスマンだから別に自慢することではないんですけど、おかげで家にはいつでも最新のケータイがありました。いや、あったというより、買わされていました。

お父さんはセールスマンとして決して優秀なほうではありませんでしたから、ノルマを達成したり売上を増やすために近所や友人や親戚など頼める人にはみんな頼んでケータイを契約してもらっていました。もちろん家族だって例外ではありません。お父さんお母さんに姉ちゃんに僕、一人一台ケータイを持つのはもちろんのこと、新しい機種が出ればすぐに機種変更していました。だから家族はいつでも最新のケータイを持っていましたが、お父さんはそれでも飽き足らず、柴犬のイチを見ながら「こいつがケータイ持てればなあ」などと呟く始末でした。

そんなんだから、お父さんが友人や親戚から疎まれるようになるまでに大した時間はかかりませんでした。お父さんが何かお願い事をしに行くならばまたぞろ「そろそろお子さんにケータイ持たせては」とか「新しい機種は機能が凄いんですよなんたらかんたら」とか、終いには哀願モードで新規契約や機種変更を勧めるものだから、みんなお父さんの顔を見るなりセールストークお断りの札を顔の前に下げるのでした。

大して稼ぎも良くないくせに家族全員にケータイを持たせているから毎月の基本料金だけでも相当に家計を圧迫していて、家族はみな「無料用途外の利用禁止」を厳命されていました。

音声利用は家族間通話または昼間の同キャリア内通話のみ、パケット通信は最小パック料金定額分の上限まで、というものでした。はっきり言ってそれでは最新のケータイを持つ意味なんてほとんどありませんでした。

さらに困ったことに家には固定電話がなくて、必要な用はケータイで済ませなければならなかったんです。必然的にケータイはかかってくるのを受けるだけになり、たとえ電話に出られなくて留守電に折り返し電話をくれと吹き込まれていても、こちらからは決して折り返しをせず、もう一度相手がかけてくるのを待つのが習慣化していました。

そんなんだから僕の家族の評判はすこぶる悪かったです。いっそのことケータイなんか無い方がいい、ケータイは人間同士のコミュニケーションをだめにする、なんていうデジタル否定派の主張も、僕には妙に頷けるところがありました。

僕も姉ちゃんも学校にケータイを持っていくのは校則で禁止されていました。でも家でさえ自由にケータイを使えないのは、特に姉ちゃんが嫌がってました。女の子にとっては、友達の輪に入って同じ情報を共有したり、同じ擬似時間を過ごすことは命を左右しかねないほどの重大事だというからこれは大変です。僕は姉ちゃんに同情しつつも、そんな面倒くさい女なんかに生まれなくて本当に良かったと思ってました。

僕はといえば、雄ちゃんのほかに友達らしい友達はいませんでしたし、いたとしても、やれ隣のクラスの誰それは生意気だから無視しようだとか、やれ誰それ先輩には抜け駆けチョコレートは禁止ねとか、やたらしち面倒な同調圧力はありませんでしたから、ケータイを自由に使えない不便というのは特に感じませんでした。

雄ちゃんに用事があるときには窓を開け放して大声で呼ぶという手がありましたし、たとえ声が届かなくても雄ちゃん家の勝手口まで隣の家の裏手を突っ切って行き、ピンポンを鳴らしさえすればよかったんです。

 

『こゝろ』は、結局、梅雨に入る直前だったと記憶してますから、六月初めごろになってようやく読了しました。読み終わったあとはしばらくの間、トイレに入っても、お風呂に入っていても、食事をしていてもぼーっとしていたのを覚えています。放心状態っていうんでしょうか、何をしていても、何も手につかないような感じでした。

 

2020年12月6日公開

作品集『ディンゴ・ブルー』第6話 (全8話)

© 2020 鈴木沢雉

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