中年と犬

齋藤雅彦

小説

4,346文字

 ある日の午後、野良犬が、犬も歩けば棒に当たるなんて言うが当たんねえな、なんて思いながら歩いていると、中年男が声をかけてきた。

「やあ、君。これから鬼退治に行くんだが、よかったら手伝ってくれないか? いやもちろんただとは言わない。報酬としてきび団子を一つあげる。どうだ?」

 なんだこいつ。野良犬は、しばし男の顔をじっと見つめた。男の目には、狂気が宿っているように思えた。鬼退治とか言ってぱっと見武器らしきものは所持していない。野良犬は男に尾を向けた。

 繁華街に出た。それにしても腹が減ったな、きび団子、もらっておけばよかったかな。いやいや、あんなのに関わったらろくなことはない。これでよかったのだ、と、おのれを納得させたあたりで、角からお仕着せを着た男たちが現れた。

 自警団か、ご苦労なこった、と野良犬はつぶやき、男たちの間をすり抜けようとした。

 瞬間、首筋に衝撃が走った。

 何が起こったのかすぐにはわからなかった。パニックを起こし、首を絞められながら逃げようとする野良犬の前に、棍棒を持った男が立ちはだかった。

 男が棍棒を振り上げた。

「おい待て!」

 太い声が響き、動きが止まった。

「それはわたしの犬だ。その輪っかをゆるめてくれたまえ」

 そう言いながら近づいてきたのはさっきの中年男だった。

 かなり強く絞められていたようだ。捕獲棒のワイヤーから解放されたころには、息も絶え絶えになっていた。

 リーダーらしき男が中年男の前に進み出た。やりとりから、男たちが保健所の職員だとわかった。

「野犬を媒介した伝染病が流行ってましてね。飼ってるなら首輪とリードをつけてください」

 リーダーらしきはそう言ってから、部下らしき男たちに目配せをし、背を向け、歩き出した。部下らしき男たちが、あとに続いた。

……助けてもらってどうも」

 野良犬が頭を下げながらもごもごと言った。

「ほんとに感謝してる?」

「はい」

「いや、そんな感じしないなあ」

「してますよ」

「そうかあ?」

「してますって」

「またまた」

「してますしてます」

「嘘だあ」

「嘘じゃないって」

「そーお?」

「はい」

「じゃあ、証明してみせてよ」

 なるほど、そういうことか。野良犬は腹をくくった。 

「わかりました。おともしましょう。鬼退治に」

「そうこなくっちゃ。わたしの名前は太郎だ。よろしく」

 俺の名は、と野良犬は言いかけたが、どんな名前だったのか思い出せなかった。名前があったのかどうかもわからなかった。なのでかわりに、「きび団子は?」とたずねた。

「そこの茶店で、茶を飲みながら一緒に食おう」

 中年男、太郎はそうこたえて、あごをしゃくった。

    *

 図書館で本を数冊借りてはろくに読まずに返し、また数冊借りてはろくに読まずに返しを繰り返している。

 映画もそうだ。たまに無料動画配信サイトのおすすめなどを面白そうだと見始めるも、すぐに飽きてしまう。

 本にしても、映画にしても、有料であれば最後までつき合うのだろうが、そもそも金を払う気がない。

 なぜこのようなクールダウンを起こしてしまうのかというと、言うまでもない。ネットの弊害、情報に希少性がなくなった、に加え、年をとったからである。

 ネットの弊害というのはよくわからないけど、やっぱり年とるとそうなるんですね。嫌だなぁ。つまらない。なんて若者は言うかもしれない。そしてどこかに行ってしまおうとするかもしれない。が、待ちたまえ。そこが若者が若者たる所以。生きることはつまらないことなのだ。つまらないことを面白くしようとあがくみっともなさを自覚し、つまらなさを受け入れる強さを持たなければ未来は暗黒である。

 と、かようなことを考えながら近所のバーのカウンターで太郎は酒を飲んでいた。

 三十日ぶりのアルコール。ビールの中瓶を一本空けたが、気分の高揚はない。二本目を注文。三十日前の太郎だったら常連客の会話に割り込み、杯を重ね、ふらつきながら二軒目に行っていただろう。だがしかし、太郎は決心したのだ。日々を淡々と生きることを。

 生きものは生きのびるべく運命づけられているのであって、幸せになるべく運命づけられているわけではない。生きるというのは権利ではなく義務だ。いいことがあったとしたらそれは義務についてきたおまけである。おまけを目的として生きるのはおまけ欲しさにスナック菓子を買うようなものだ。本末転倒なのだ。 

    *

「餓死がいちばん苦しみのない自殺法だ。伝染病にかかったりしなければな。最初はもちろん空腹感に悩まされるが、眠るように死ねる。実際血糖値が下がるから三日食わなかったらたいがい眠くなる。

 人間、死ぬ間際になったらものが食べられなくなって自然と栄養失調状態になり脳が酸素不足になって意識の覚醒水準が落ち、それで安らかに死ねるようになっている。それを現代では病院で無理矢理点滴をして延命しようとするから苦しむことになる。だからひとりでいたほうがいい。家族がいたら病院にぶち込まれるからね」

 太郎がほろ酔い加減で帰宅すると、父はまだ起きていて、母の遺骨に向かって話しかけていた。

「父さん、またひとりごとかい。ぼけてるみたいだからやめてくれよ」

 そう太郎が言うと父は、「ひとりごとじゃない。母さんと話してるんだ」とこたえた。太郎は首を振って、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ラジオをつけた。

 

「本日はお忙しいなかお集まりいただきまして、ありがとうございます。それでは、マルチタスク型の脳の発達についてご説明します。

 まず左脳が発達し、左脳でタスクをこなすようになります。次に右脳が育ちます。右脳が育つと左脳は右脳と連携をとり、両脳でタスクをこなすようになります。タスクをこなすことでさらに神経の連携ができ、ネットワークが複雑化します。

 発達に遅れがなくても臨界期を迎える前に課題を与えなければ脳は育ちません。なので幼児期から九歳ぐらいまでの教育が重要になります。

 三ページ目をご覧ください。三ページ目です。そうです、そこです。あ、破かないで。……ホチキスでとめましょうね。……こちらがシングルタスク型の脳の発達モデルになります。まず通常と遅れて左脳が育ち、その後、遅れて右脳が育ちます。右脳が完全に育つまでに左脳と連携がとれる臨界期が過ぎてしまうため、左脳は左脳、右脳は右脳単体でタスクをこなすことになります。

 この図はあくまでモデルですので、実際にはこのように脳がはっきりと部分ごとに育つわけではありません。

 何かご質問はありますでしょうか?……ないようですのでこれで終了とさせていただきます。お疲れさまでした」

 礼をして会議室を出ようとすると、ぐいっとスカートを引っ張られるのを感じた。熊のぬいぐるみを持った中年の女性社員がホチキスを差し出して立っていた。

「忘れものー」

 声が響き渡った直後、会議室が爆笑に包まれた。わたしはホチキスを受け取り、会議室をあとにした。むかしAIの開発をしていたという人間からきいた、むなしさという感情が、少しわかった気がした。

 SFアドベンチャー、AI。声の出演。講師、しょっつる鶴子。女性社員、恵方巻ノリエ。制作統括と演出、ミツタタツミ。SFアドベンチャーを終わります。次回をお楽しみに。

 

「太郎、ちょっといいか」

 風呂から上がった太郎に背を向けたまま父は続けた。

「そろそろお前も大人にならなくちゃいけない。ナイーブさとはおさらばだ」

「なんだよ、急に」

 意味がわからない。やはり本格的にぼけてしまったのだろうか、パジャマのボタンをとめながら太郎は父の隣に腰を下ろした。

「お前はわたしの実の子ではないんだ。死んだ母さんの子でもない」

……そんなこと、知ってたよ」

「知ってたのか」

「うん」

「いつからだ」

「中一のとき、母さんからきいた」

「じゃあこれ知ってるか。父さんと母さんは偽装結婚だったんだ」

「それも知ってるよ」

「ついでに、父さんはゲイで、母さんはレズだった」

「知ってる」

「じゃあこれは知らないだろう。父さんは贓物故買で生計を立てていた」

「父さんこそこれは知らないでしょう。母さんは俺が就職した翌年、性転換手術を受けたんだ」

「そんなこと知ってたさ。じゃあこれ知ってたか。お前は発達障害だ」

「父さんは統合失調症だ」

「お前は息が臭い」

「父さんもだ」

「バーカ」

「自分でしょ」

「じゃあお前、これ知ってたか。お前の本当の両親は鬼に殺されたんだ」

……父さん、淡々と生きようと二時間前に決心したとこだったけど、いまから俺は復習の鬼になったよ」

「鬼になったら駄目だ。鬼の深淵をのぞく者は自らも鬼にならぬよう気をつけなければならない」

    *

 太郎が縁台に腰かけ、信玄袋からきび団子を取り出し、野良犬に与えようとしたところに、大きいサイズのモデルをやってるような感じの娘が身体に似合わぬきびきびした動きでお盆を拭き拭きやってきて、「ウチは持ち込み禁止です」と言い放った。

「彼が食うのはいいだろう。犬なんだから」

 野良犬を手で示し、太郎は食い下がった。すると娘は、犬をちらっと見てから、「申し訳ありません。ペットも禁止です」と眉一つ動かさずにこたえた。

「そうかたいこと言うなよ。テラス席なんだし」

「とにかく何か頼んでいただかないと困ります」

「頼むよ、そりゃあ……おすすめはなんだい?」

「抹茶フラッペなんかよく出ます」

「じゃあそれで」

「シロップはお入れしますか?」

「抜きで」

「今日はモンブランがおすすめなんですけど、ご一緒にいかがでしょう?」

「そそられるが、鬼退治に行く道中で、あまり金がないんだ」

 人差し指で首のあたりをかきながら太郎が言うと、娘の目が大きく見開かれた。

「あらまあ、鬼退治に行くとは、それならそうと早くおっしゃってくださいな」

 太郎と野良犬は、顔を見合わせた。

「わたしの両親はわたしが幼いころ、わたしの目の前で鬼に殺されたのです。いつか復讐してやろうと考えておりました」

「そうか、わたしの両親も鬼に殺されたのだ」

 若い娘と共通点が見つかった太郎がはずんだ声で言うと娘は、「あんらー、そうなんですね」とはしゃいだ感じになって続けた。

「ところで武器はどこで手に入れるつもりで? 考えてない? そんな計画性がないんじゃ鬼ヶ島に入る前に返り討ちにされてしまいますよ。警備はどうやって突破するの? 鬼ヶ島は島そのものが要塞なんですよ。ああもう駄目ね。わたしにまかせて。まずは作戦会議から。奥に来て。ワンちゃんはお外で待っててね」

    *

 茶店が閉まるまで待ったが、太郎は戻らなかった。野良犬は、おそらくあの娘は鬼の仲間で、太郎はさらわれたか殺されてしまったのだろうと解釈し、立ち上がった。

 俺はどこから来てどこに向かおうとしているのか、てなセリフがどこかからきこえた気がした。あてもなく歩き出す。

2020年11月23日公開

© 2020 齋藤雅彦

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